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平砂アートムーヴメントについて書く。

「平砂学生宿舎」というのは筑波大学にあるいわゆる学生寮の一つ。(宿舎は大学の南北4つのエリアに平砂、追越、春日、一ノ矢がある。名前はその土地の小字に由来するらしいです。)筑波大学をご存知の方はもしかしたらご存知かもしれないが、この宿舎よく「刑務所の方がマシ」と評されることもある曰く付きの場所。むむっ。格安ではあるが広さとしては6畳もなく壁は薄いし虫は出る…快適に過ごせるかどうかはその人の工夫次第といったところだろうか。私も実際大学1年のころは平砂学生宿舎に住んでいた。比較的私の部屋は広い方であったのだが(棟や部屋によって絶妙に間取りや広さが違うのよ)、制作で使う材料や楽器やらが溜まってくると本当に足の踏み場がない状態になる。ここに住んでいて個人的に思っていたことは、「不思議な場所だ」ということ。大学内で寝食が完結していてかつ隣にも同じような学生が住んでいるような環境は、自分を取り巻くものや他者との距離があまりにも近いような…あるいは無機質で狭い居室の中にいるとむしろそれらと隔絶され遠いような気もしてくる…、的な。あーなんだか1年生の頃とか今思うと夢か現実かわからない感じだな。

そんな学生宿舎ですが、施設の老朽化で使われなくなった棟が存在する。宿舎周辺は通常の生活経路であるので通りがかることは多いが、そこまで昔の建物というわけでもないのに佇まいは廃墟よろしく夜などは特に不気味である。そんな良くも悪くもかつて学生たちの生活の拠点であった旧宿舎、が本展覧会の舞台となった。

「平砂アートムーヴメント」は平砂学生宿舎9号棟およびその周辺の地区(サザコーヒーなど)を会場として学生有志が芸術作品の展示を行うというもの。今回集まった出展者は総勢55名、各々が居室内だったりラウンジだったりカフェ内を利用し表現を追求した。私も出展させてもらいました。どんな雰囲気だったのか、おれの好みの作品を紹介させてくれ〜。いっぱいあるのでとりあえず3作品だけ…。

131号室「顔のない夢」

映像作品、ベッドに横たわって天井を見上げるとたわんだ布に投影されている。女性が枯れ草の中や廃墟の中でうごめく。ブツブツと聞こえるのは何かの文章を逆再生しているかのような音声。白昼夢のような雰囲気は何か「渇き」のようなものを感じさせられました。

238号室「me」

タバコとシャープペンシルの芯で描かれた作品。示唆的なキャプションも。記憶に紐つけられた絵画(と解釈したんですが)が宿舎にある生活の残滓みたいなものと溶け合っていてえもいわれぬ雰囲気ありました…好き。

327号室「MUSHY」

ショートケーキを崩しつつ食べる女性が映るディスプレイの映像、布に投影されているのは苺をミキサーにかける映像、そしてベッドの上には本物が。性的なメタファーとして映像だけでも十分わかるが、部屋に入ると苺の匂いが充満していたのが強烈だった。


あっ、私の作品も載せときます!

234号室「1S」

以下コンセプト文を貼る、一応。

かつて3Sと呼ばれた筑波大生の生活も交通の充実やインターネットの普及により様変わりした。SNSの普及は我々の生活における行動規範を変える。自身の承認欲求を満たすため、我々は進んで私生活あるいは思想をアノニマスな他者に曝け出す。
顔はめ看板は周囲の環境をチープに表象化する。また生活の場としての、宿舎という場所の文脈的特性を意識して制作した。
かつての3Sは今や1Sすなわち”Share”に置き換わったと言えるのではないだろうか。

とか言ってみたりして。

今回の展覧会のテーマであった「ここにおいて みる / みせる」に対する解釈に個人的には2タイプあったのカモと思った。①建築、住環境の機能/スペースという宿舎の空間的特徴にフォーカスした人、②「今は使われていない宿舎」という文脈的特徴にフォーカスした人、である。みんなもちろん少なからず両方が含まれるだろうけど。また私自身、「ここにおいて みる / みせる」を無意識的にある意味で要件、課題文として捉えて考えたり作ったりしていたことに気づいた、タイプ的には後者、かな。公式ツイッターでの出展者紹介文の「デザインを専攻してきた今の自分の視点からアートについて再考したらどうなるのか、の研究」の結論としてはそういう感じかもしれない。

本企画は1イベントとして間違いなく成功と言えよう。廃ビル等をハックするような企画は多く行われているものの、それをつくばでもできると劇的に示した意義は大きい。えいちゃん、あべちゃん含め運営の方々には脱帽です、すごい…。しかし、大切なのはここからというのも事実。すなわち各々が今後の活動に活かしていけるのか、特に我々は「卒業・修了制作展」というものもある。今回一番感じたことそれは、展示することに対する自分のアティチュードがしっかりある人は強い、ということだ。強いというのはブレないということ、観るものを思わず説得してしまうということ。説得する方法が違うだけで、アート/デザインを問わず大事なことかも、ね。

運営の方、出展者の方、鑑賞者の方、ありがとうございました!

〈おまけ〉実は参加しようと思ったの、アトリエ魚の展示面白いなと思ったのも理由の一つ。

「棲家展」は今年の1月末に行われた、芸術3年(当時2年)の4人がアトリエとして借りているアパートの一室(アトリエ魚)での展覧会でした。作品見た後にコーヒー淹れてもらったりして、新鮮だった。

2019/6/4 春

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