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中学生と成人をまるっと抱えて、「夢」と「好き」について考える。


書くことを仕事にしたい。以前の記事にそうざっくりと書いた。

就活中にも身を切り裂かれるぐらい実感したけれど、noteをよく読むようになったこの1ヶ月でもギュッと身を絞られるくらい感じたことがある。自分の表現で生きていく世界の厳しさだ。

どうやって日々を過ごしたらそのような表し方を思いつくんだろうと、ライターさんのことば選びの感性に胸を震わせた。すっご……と語彙が弾けとぶ情景描写に感動してアカウントをのぞいたら、その方は趣味としてnoteを運営しているだけで、エッどうなってんの? と文字通り頭を抱えた。1ヶ月間で何度も「書く」の奥深さを思い知った。

…いや、おそらく、まだまだ思い知れていない。就活が落ち着き、日課のようにnoteを読んで、すごいなぁと目を丸くして、なんとなく思い知ったような気になっている。それが今だ。


悲観的になっているわけではない。
でも冷静に考えて、今の私のままじゃ到底不可能だろうなと、思う。


それでも私は仕事にしたい。


「それをもっと好きになる」文章を書きたい。
何かに対する「好き」をもつ人々が、対象への愛をもっと深められるようなことばを届けたい。
“それ”を好きな人へ向けて、素晴らしさを余すことなく伝える力を身につけたい。


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「好き」の力はすごい。まじですごい。それだけで、生きる力になる。

生きる力と言っても、何も悩みを抱えた人が自死を踏みとどまった経験に限らない。推しがインスタを更新してくれて、少しはいいこともあるもんだなと顔が綻ぶ、とか。2週間後に新刊が出る!よっしゃ仕方ない、明日も仕事だお風呂入ろう…と立ち上がれる、とか。身も心もボロッボロのときにお決まりの映像作品や音楽を視聴して、ばかみたいに号泣してスッキリできる、とか。

日々の疲れや遣るせない気持ちををふわっと包み込んでくれる。

自分に代わって憂鬱を一旦ぶっ飛ばしてくれる。

はぁ〜…♡、と愛のこもったため息とともに、破顔させてくれる。

それにふれている間だけは、心があたたかな平穏を取り戻せる。

受動的なエンタメでも能動的なスポーツや食でも、何でもいい。
「好き」の対象は、生きる力だ。



そして対象を好きでよかったという思いは、自分を好きになる、大切にする心の動きに繋がると考える。

だって、心揺さぶる素敵な“それ”を見つけたのは間違いなく自分なのだから。

少なくとも私は推しへの愛が限界突破したら、え…彼を好きな私ってめちゃくちゃ見る目あるな…私にもええとこあるやん…となる。推しは最高。最高な推しを好きな私も、最高…(頬を濡らし拳を掲げる)って感じ。ここへきて偏差値が5くらい下がった気がする。

そんなアホな考え方はできなくても、そもそも「好き」をめいっぱい受けとめ愛を叫ぶためには、身体と心が健康でなければならない。だからやっぱり自分への愛に繋がる。うん。


短所もコンプレックスもいろいろある。けれど、「 “それ” を好きな私 」は否定したくない。その魅力に気づいて、素晴らしさを存分に感じ、愛せる心をもつ自分のことは、大切にしたい。


「好き」は生きる力であり、自分を愛し大切にするきっかけを与えてくれる。

やっぱり「好き」はすごい。


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だから私は「書く」という好きなことで、誰かの「好き」を応援したい。応援というとおこがましいけど、とにかく「好き」に関わっていたい。

オタクのような暑くるしい情熱はなくとも、誰にでも好きなものはあると思う。「それをもっと好きになる」文章で、対象への愛が深まると同時に自分を大切にできる、そんな循環を生み出せたらとっても幸せだなと思う。

大きすぎる野望を言えば、好きなひとたちに書くことで関わりたいな。好きなひとの魅力を自分のことばで世界に発信できたら、どんなに嬉しいだろう。え…。今ちょっとにやけた。アカウント内に推しを明らかにしてる上で書きすぎるとあまりよくない気もする(逆なのかな?わからない)から、今は静かに炎を燃やしておくとする。


「書く」という行為は今のように、仕事にしなくてもできる。仕事にしないほうが心のゆくままに楽しめるような気もする。

けれどやっぱり私は、仕事としての「書く」世界に足を踏み入れてみたい。ファンの目線でしか書けない純粋な想いがあれば、現場を見た者、直接話を聞いた者にしか書けない情景やひとの鼓動があるはずだ。それを私は感じてみたいし、自分のことばで表現したい。その世界に、挑戦したい。




…………と、ここまで一気に熱く語って少し恥ずかしくなるなどしている。

こういう話、受けつけない人もいるかなと実は少し公開を戸惑っていた。同世代の方々や、特に私が目指したい職に今実際に就いている人が万が一これを読んだら、生意気言ってんじゃねえぞ?って、なる気がする。公開しちゃったけどね。

予想したってわからない心配してたら始まらないよなと、吹っ切れました。
心のままに書く。


目を輝かせてクラス全員の前で夢を豪語する中学生の無敵な心と、現実の厳しさを知っているかのように苦笑いする大人ぶった心が、どちらも同じ大きさでかたく手を繋いで同居している。

前者でばかりでもいられないけれど、後者に染まってしまうのも、もの悲しい。
中学生の無敵感をガソリンにして、成人した人間としての冷静さで地図を見ながら着実に、「書く」仕事への道を走っていきたい。臆せず、しかしひとつずつ。


トップの画像は花ひらく前の向日葵。
私の大好きな推しは太陽みたいなひとだ。
「夢」「好き」の両方において、太陽を追っかけるこの記事にぴったりだと感じる画像に出逢えた。すごくうれしい。ひとめぼれ。


“人生のあらすじでは語られない日々を綴る”と決めておいて早々、episode.0 とかになってくれないかな…なんて生意気にも思う内容を書いてしまったのであった。


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