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すゞめ-8


高等学校を四年で卒業し、数年ののち、私はハラデ君と結婚いたしました。

エダさんがいなくなった学校で、私は勉強を続けることができなくなったのです。私が家を継ぎこの村に残る、と決めたとき、私はエダさんの目がないことが、これほど楽だったのだと気がつかずには、おれませんでした。

私はエダさんが大好きで、その強さに憧れ、彼女の言う女性像に近づいてみたいとのぞみ、そして努力しました。けれど、いつからか、私は自分の中にエダさんほどの情熱がないことに、気がついていました。私は雀だったのです。飛ぶのにも羽ばたき続けなければならず、木々や地面の、休める場所を探しながら飛ぶことしかできない雀なのです。私は自分が海を超える翼を持てないと気がついたときから、羽ばたき続けることに、疲れ始めていたのです。羽を休められる場所を、ずっと探していたのです。エダさんがいなくなり、私はようやく、羽ばたくことを、休むことができたのです。

私は当初、エダさんが大学へ進まれてから、勉強に集中できなくなっていることや、家に残ることに心が揺れている自分を、ひどく恥じました。エダさんの信じた道を、唯一のお友達であった私が信じきれないでいるのです。そして、その大元に、エダさんが遠くの地に行ってしまわれたことで、ほっと安心した自分がいることに、私はひどい嫌悪と罪の意識を感じずにはいられませんでした。

中学を卒業する時、私はとうとう、就職すらしないことに気がつきました。私はエダさんとした、いつかの約束を全て破ってしまったのです。

それからは、私は懸命に田畑の世話をいたしました。学校で勉強に打ち込んだ日々も、勉強ができなくなった日々も忘れてしまいたかったのです。父も母もまだまだ元気でしたし、妹も大きかったので、土をいじり田畑を世話し、家族と語らう間が、とても心安らぐひとときでした。

けれど町にお使いに出ますと、ふと、ブラウスにスカートで仕事をされる女の方に、目がいってしまうのです。すると、土にまみれた継ぎ接ぎの自分の姿が、急に後ろめたくなってしまうのでした。

ハラデ君の元に行ったのは、こうして町に出ていたある日でした。

ハラデ君は高等学校卒業後、港町の造船所に就職し、主に港へ寄った船や漁船の修理の仕事をしていました。後になって考えても、私はあの時、ハラデ君をお慕いしていたのか、あまり覚えがありません。というのも、ハラデ君の元を訪ねてみよう、と思うたび、それを何度も引き止める自分に出会ったからでした。

港に向かいそうになる足を、無理やりバスに向かわせ、何度も私を村に帰した自分は、いつかの柿の木の下にいた私の姿でこう言うのです。

「これではエダさんに対する裏切りです。自分の足で立たなくては。足元がおぼつかないうちに、男の人に頼るなんて、エダさんの嫌った、エダさんのお母様と同じと思われても、仕方ないですのよ。」

 そう言う幼き日の私の目は燃えるように輝き、この翼の短い小鳥には、町でブラウスを着て働くことができそうだ、と私に予感させるような生き生きとした力がありました。

 この小鳥が出てくると、私はハラデ君に申し訳なく、そして港に向かおうと思った自分が、とても責められるべき罪を犯しかけたように思えて、大変な後悔に襲われるのです。

 ですから、この小鳥を振り切って港を訪ねた時、私はあえて罪を犯そうとしていたのか、エダさんを裏切ってしまおうと思っていたのか、それとも本当にハラデ君をお慕いしていたのか、恥ずかしながら断言できないのです。ただ一つ言えるのは、私は切実に、羽を休める拠り所が欲しかったということです。その思いの強さは、田畑を継ぐことをほのめかすような、自分の話し方気がついても、言葉を止められないほどでした。

 ハラデ君は突然来た私に、大変驚いた様子でしたが、食事に誘ってくださり、そこでしっかりとお話しを聞いてくださいました。その頃には私も頭が冷えておりましたから、自分のはしたなさが目について、ハラデ君に申し訳ないやら、恥ずかしいやらで、どうにも不安な心地をうろうろしておりました。

ハラデ君は私の失礼な申し出に、すっかり呆れたようで、話を聞いたきり、しばらくぷかぷか忙しなく煙草をお喫みになり、窓の外を眺めたまま、顔すら合わせてくださいませんでした。

 私もさすがに居たたまれなくなり、「帰ります。」と声をかけましたら、ハラデ君は「この話は、ご両親もご承知なのですか?」と、問いかけられました。その様子が、あまりに慌てたようなのと、私を見て困ったように顔を赤らめられましたから、私はほとほと恥ずかしいことをした可笑しな女に思われたに違いないと、すっかり自分が嫌になってしまいました。

 ハラデ君はこんな情けない女にも、紳士な態度で接してくださり、バスまで送ってくださると、次の休暇には私の両親に話をしに来てくださりました。

 それからしばらくして、ハラデ君から、「一緒になりましょう。」と言っていただいた時、様々なものがこみ上げてきて、私は涙を止めることができませんでした。

 驚いたハラデ君に背中をさすってもらいながら、私は大きな安堵を感じました。地面に降り立ち、海風に踏ん張りながら羽を休めていたところを、大きく温かい両手にすくい上げられたような心地です。

そしてそれは、私が決定的にエダさんを裏切った瞬間でした。エダさんへの憧れや、小鳥であった幼い自分との拘りを、全て断ち切って、私は深い安堵に包まれたのでした。


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