メンタルがボロボロだった時の日記①
初めまして。宝春(ほうしゅん)といいます。
これはあくまでも記録なので、私の自己紹介はざっくり目に。ここ4年間の中で3回くらい、環境が変わる度に1ヶ月くらい泣いて寝て1日を終えるくらい酷い抑鬱状態を繰り返している大学生(1年生、女)です。メンクリでパロキセチン、という薬を飲んでいます。メンクリに行くのは今回が初めてなのと、診断書を使ってどうのこうのする意図が無いのとでハッキリとした診断は貰っていない為、抑鬱状態と記載させて頂いてます。また、人が多いところにいると息が苦しくなり、酷い時には過呼吸になってしまいます。(こちらも診断は特になし)
今年の2月下旬頃から調子を崩し、大学生の中で1番楽しいはずの1年4月を抑鬱状態で何も出来ずに終えました。が、また例の如く最近少しマシになってきて、また鬱状態になったことを忘れてしまいそう(過去2回の記憶が飛んでいます)なので、自分への戒めを兼ねて、ほんとに苦しかった時の日記と、その日記を今振り返った感想をここに残しておきます。
と言っても、あんまり苦しくなかった日は日記がなかったりするので、日付が飛んでいることがありますが、その点はご了承ください。
2月21日
(後日記載)確かこの辺りから1週間くらい高熱と咳が続いた。
↑これをわざわざ後日書いたのは、今思えばこれがきっかけのような気がしたからです。
ずっと1週間くらい寝込んでいる時に、ずっと不安感があって。体が健康になっても、その不安感は消えることなく、今もいます。
2月29日
母の提案で祖母の墓参りに同行するものの、寝込んで居たのもありかなり体力が落ちていた。自転車がまともに漕げない。
駅に入った瞬間息苦しくなった。顔色もとても悪かったらしい。駅のホームでも息苦しくしゃがみこんでしまいたかった。なんとか墓参りに行ったものの、涙脆くなんでもないことで泣いてしまう。食欲もない。
↑記憶も記録も飛んでいますが、21に出した熱が治ってから~29日までも、ずっと泣いていたのは何となく覚えています。だから母が見兼ねて連れていってくれたのだと思いますし。
息苦しさは、病み上がりで体力が落ちている、というのも少なからずあったのでしょうが、それよりも、パニック障害の初発の方が主な原因だったのでしょう。この後4月下旬くらいに、混んだ電車の中で過呼吸を起こして駅員さんに着いていったということもありましたし。
(幸い自分で電車から降りて駅員さんについていける程度のもので済みました)
こうやって振り返ると、案外兆候ってあるものですね。
3月1日
(後日記載)高校の卒業式の日だったが、1人で電車に乗るのが怖くて、15時くらいに母と一緒に卒業証書を取りに行った。やっぱり、人の多い駅が怖い。
↑駅での過呼吸がパニック障害だと気付いていなかった時の事ですが、何となく「人が多いところは怖い」とわかっていたようです。
余談ですが、私は一般受験組だったので、1月の共通テスト頃から高校は不登校でした。
ただ受験のため、というよりは体育に行くのが嫌だったのが大きいです。運動ができなくて、チームメイトに迷惑をかけて、それが嫌で、受験を理由に不登校になった、という感じです。
それもきっとこのメンタル不調と少なからず関係しているのでしょうが、今となってはもう分かりません。
3月2日
音楽を聴くのが趣味のひとつなのに、音楽が煩わしく思えてきてしまう。それで、「イヤホンをしているが何も聞いていない」状態になる。
↑私は音楽を聞くのが好きで、元気な時には一日中イヤホンで曲を聴いていたのに、気が付いた時にはそれができなくなってしまいました。
今もしんどい時には、何も聞きたくないなって思います。趣味が死ぬのはやっぱり鬱の兆候なんだなって思います。でもここから1ヶ月も抗うつ薬なしで生活しています。そりゃ悪化もしますね。
3月4日
(後日記載)頭の中を砂嵐のような衝動的な不安感が覆っていた。
ただ、希死念慮はこの時はなかった。
↑不安感が急に、勢いよく来て、頭が混乱していた記憶があります。ただ、この時にはまだ死にたいとは言っていませんでした。
3月6日
耐えきれなくなりメンクリにかけ込む。
ロラゼパムを処方される。
↑この時の不安感は先程も言ったとおり衝動的なもので不安が来ると非常に混乱して、気が狂いそうで、当日受診が売りのメンクリに駆け込みました。ロラゼパムという、抗不安薬(頓服)を処方されました。
尚、相性が悪かったらしく全然効きませんでした。それ以来そこのメンクリには行っていません。
と、まあ今回はこの位にしておきます。誰かが見てくれたら嬉しいです。
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