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加速する極化

いつまでも自分の不幸を誰かのせいにしたり、自分で選択することで発生する責任を避けたいがために、決めることを何でも他人任せにする人。
外側の世界にイチャモンをつけてばかりで、自分は何も変わろうとしない人。
もはや時代は、そんな幼稚なことをやっていていいフェーズにはいない。

極化のコントラストが、よりはっきりしてきている。
私は体感的に、8月あたりから明確に感じ始めた。
“明らかに違う”人とは、物理的に本当に離れた。
今同じ場を共有している人とも、道が分かれ始めているのをすごく感じる。
「あぁあなたは、そっちに行くのですね」っていう、それは大好きな人に対しても、もう引き止めようがないほどに、道の分岐を感じる瞬間がある。
情状酌量の余地なし。と言わんばかりに、本当に、それぞれの生き方の方向性やエネルギーの質が問われている。

そこには、〝それぞれの選択を尊重する〟という宇宙の愛がある一方で、私たちが自然界に対して度々感じる、人間的な情愛を含まない、淡々とした残酷さを感じるような側面がある。

「いい人だからいい世界に行ける」
という単純な話ではなく、その「いい人」の奥に何があるのか、ということが最重要で、現実に掘り起こされるのは、表面的なもののそのもっと奥にあるもの。
それは「打算」かもしれないし、「怖れ」や「自己卑下」かもしれない。
そういう奥にあるものが私たちが本当に「選択」しているもので、その見えない根っこが、現象化してゆく。



今、本当に大事な時。
どう生きたいか?を自分に問い、丁寧に選択していくことが大切なタイミング。

他者への同情とか、他者の選択を否定するようなことに気を取られることで、別方向へ舵を切っている人たちに引っ張られないようにすることも、けっこう大事。
その為に、「私はこうしたい・こう在りたい」っていうことを、自分の中で明確にしておくことが必要。
「自分のことだけを考える」が必要な場面も、けっこうある。

外側の何かにグラつく度に、私も日々調整してる。
例えば「嫌いな人」って、自分の中ですごくインパクトが強いし、それと戦おうとしてしまうけれど、それをうまく受け流したり、放っておけるスキルがホントに大事だと、実感することがある。笑

自分の世界に“いらない”人を、極力視界から外していく。

「目には目を、歯には歯を」っていう姿勢で生きるような時代も終わっていて、その構えを取った途端に、相手と同じ次元に自ら突っ込んでいる。


人は人。自分は自分。
それは、家族に対しても。

自分の中がどんどんドライになって、どんどん軽くなってゆく。
私たちが「愛」と呼ぶものの性質も、平成の時代のそれとはもうだいぶ変わっていて、感情でべちゃっと何かを粘着させてそれを「絆」と呼ぶような感覚じゃなくて、もっとさらさらと流れるような、淡々としたものになっている。
だから、まだ粘着質な感情で繋がろうとしてくる人とは、なんとなく距離を取るようになっている。

より軽く、そしてシンプルな方向へ。
それが、この時代の正解。


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