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日本は、終わってるのか問題

「日本が沈没した時の為に」、わざわざアメリカまで行って出産して、子どもにアメリカ国籍を取らせた友人がいる。
ちょっと前までは、そこまでする必要があるのか?理解できなかったけれど、ここへ来てやっと私自身も、日本の危うさを実感するようになった。

「日本沈没」
その4文字の、現実味が増してくる。
そして、そんな中にあって何もできない無力な自分に、やるせない気持ちも湧いてくる。

だけどこうやって、日本という国や、日本人という民族を客観的に見ることを与えられているこのタイミングは、もはや当たり前のことすぎて埋没させてしまっている、「日本の良さ」みたいなものを自覚させられるような機会にもなっている。

「海外と比べて、日本のこういうところがダメなんだ」という誰かの意見を聞く度に、もちろんそうなんだけれど、同時に私の中には「え?でもなんか、それだけじゃないような…」というボヤッとした感覚が湧き起こってくる。

ものごとには必ず多彩な面があって、一方向から見ると確かに悪いことではあるけれど、別の方向から見ればそこには素晴らしい要素が転がっていたりもする。

あぁ、これって、なんだろうなぁ~・・・

そうやって、ここ数ヶ月ずっと、モヤモヤと形にならなかったものを見事に言い当ててくれるような記事を、美容室でたまたま読んだ雑誌の中で見つけた。(思わずdマガジン契約して読み直した)


PRESIDENTの、このお2人の対談で



そう!これ!!
私はこの「曖昧さ」に、優しさであったり、双方のことを思いやれる賢さであったり、なんとも言えない、粒子の細かい美しさを感じることがある。
白黒はっきりつけることだけを良しとせず、グレーゾーンをたゆたうようなこの国民性。

いちいちアレとコレを明確に分けるような線引きであったり、枠をガッツリ設けることに、本来あまり興味がない精神性。
だからこそ、誰かに与えられた枠に安易にハマりやすい、ということでもあるんだけれど、この柳のようなたおやかさが日本人の良さだよなぁ…と心底感じることがある。

「個」の重要性が強調される昨今、確かに、あまりにも世間や他人を意識し過ぎる私たちにはそれも大事なことなんだけれど、「個」を際立たせることが正解というそのベクトルは、けっこう西洋的な考え方だよなぁ…と、感じることもある。

確かに日本人は、全体性に呑まれ過ぎで、全体主義に絡め取られやすい…
そういう面は否めないけれど、別の面から見ればそれは、「個であるわたし」と同時に、「すべてであるわたし」「全体を内包するわたし」という、「わたし」を「全体」として認識する、無意識の領域に対する感受性の高さの顕れであるのかもしれない。

個人に対してと同じように、短所を改善しようとするよりも、長所を伸ばす方に意識を向けた方が成果が上がるとするならば、日本という国は、日本人と言う民族は、これからどう発展・繁栄していけるだろうか。

この美しい国を、簡単に諦めたくない。


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