選択基準の変化。激動の今を、ただ正直に選んでゆく
動画も文章も、その内容云々に関わらず、なんとなく重たさを感じるものに、だんだんと触れられなくなってきている。
その情報の内容や、その人が社会的にどんな活動をしているのか、ということよりも、発信者自身から醸し出されてくる雰囲気や、その言動を表出させている根底にあるものの性質がどんなものなのか、ということがめちゃくちゃ気になる。
言っていることは正論でも、胸のあたりがぎゅっと苦しくなるものや、なんとなく偽善的なものや何かを隠されているような違和感を感じるものからは、そっと距離を取るようになっている。
今までは受け流せたそれらが、なんだか気持ち悪くてたまらない。
それはネットの中だけじゃなくて、リアルでも。
今までぼやっと曖昧にしてきたものの輪郭がはっきりしてきて、「違い」に対して、より敏感になっている。
新たな情報を得たい というよりも、価値観の近い人を見つけたい
ということに、主軸が移り変わっている。
どれが正解・不正解ということではなくて、自分はどれを選択するのか?という、きっとただそれだけの話で、丁寧に、正直に、自分と「合う」と感じるものを選別してゆく。
私は、どんな世界にいたいか?
どんな人たちと一緒にいたいか?
色んな場面で、自分によく問うようになった。
優しい世界にいたい。
これは私の中で出ているひとつの答えで、
精神的に自立できてる人たちと一緒にいたい。
というのもひとつの答え。
ひとつひとつ言うと長くなるので、それはカテゴリー分けしてこれからここで少しずつ書いていくとして、ざっくり大枠は、そんなふうがいいな、と思っている。
そうやってやんわり決めているだけでも、日々の選択基準や、今目の前にあるものの中から何を拾い上げ、どう対処するのか?という姿勢が変わってくる。
「風の時代」とはよく言うけれど、本当に自分の軸をしっかり持って、根を張っていないと吹っ飛ばされるな…ってことを、最近よく感じる。
今のような多様化した現代に於いての“根を張る”って、自分の「信念」や「選択」に、意識的であることだと思う。
自分軸がしっかりしていないと、選択肢が多いことは苦しみとなる。
自分はどんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか。
何が自分にとっての、本当の幸せなのか。
すごくシンプルなことだけど、無駄なことを色々擦り込まれてる私たちにとって、そんなシンプルなことを認識することが、すごく難しかったりもする。
そういうのって、自分の感覚を信じて、自分を丁寧に見つめる習慣がないと、日常の義務的なあれやこれやの陰に、あっという間に押し込まれ後回しにされてしまう。
だけど多分、今ってそれらを後回しにして、線引きを曖昧にして、いいんだか悪いんだか分からないものも受け入れる…って姿勢でいるのは、なんだかマズい気がする。
それほどに、自分のシンプルな内面で、「選択」「選別」していくことが、本当に重要で、大切なタイミング。
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