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白線に革靴を

旅に出るときはいつも不安だ。空を見上げると、心なしかいつもより灰色が濃く見える気がする。

3ヶ月前にチケットを取り、1ヶ月前には大体の旅程が立った。2週間前には最初の何日か分の宿が決まり、1週間前は荷物に足りないものを確認した。
今回の旅には英語が堪能な同行者もいるし、2度目のバックパック旅ということで慣れもある。
しかし出発するまでは不安がつきまとう。

自分が何もしなくても何者かになれた家を出て、育ててくれた街からバスに乗り込む。友達との思い出が詰まった最寄駅から電車に乗り、自分のアイデンティティとして分かりやすい日本の玄関口である成田空港に向かう。
どんどん自分の持っているものが減っていく気がしてならない。 

以前のnoteでも書いた気がするが、自分に貼られていたラベルが剥がれて、他人に放っておかれること自体は悪いことじゃない。その不安の先には自由もきっとあるのだろう。

ただ、今回については不安がそれだけではないような気がする。 

行ったことのないヨーロッパに、大学の卒業旅行として訪れる。社会人になって、ある程度休みを取るにしても1ヶ月以上の旅行なんてなかなかない気がする。

3時間ほど出発時間が遅れた飛行機の中で思いを巡らせていると、1つの感覚に出逢った。

それは、自分が試されている感覚。

もっというと、言い訳や後戻りができない状態で自分の器を測られているような気分だ。 

僕の持論だが、人は愚かで賢い。知らないものに対しては強気で臨むことができるが、知っているものに対しては慎重さを忘れない。
今まではヨーロッパなんて知らないから自分の価値観に迷いを持つことが少なかった。それに英語をろくに使う機会なんてそうないから、ノリでなんとかなると自信を持って言えていた。

例えばこういうことについて、今回の旅で知ってしまうことになるかもしれない。バカンスをはじめとする働くことについての捉え方の違いだったり、母国語が英語でないにも関わらず英語が堪能である人が多いことだったり。

その上で自分を見てみると、ビハインドを巻き返すだけの学生期間なんてもう数えるほどしかない。今までの生活に後悔はしていないが、まだ1年生だったらこれから留学に行くこともできるかもしれない。

その意味では僕はとても無力だ。
そして自分を超えるものについて理解ができるのかとても不安だ。 

そこで先ほど出逢った「感覚」を思い出してほしい。
自分が試されている感覚。自分の器が測られている感覚。 

これは、その不安を健全な形のパワーにできるかどうか試されているということだと思う。
本当に率直に言えば、社会人になって海外に出て活躍したいと思っているし、様々な価値観を理解した上で自分がどう過ごしていきたいかを選択したい。実際に内定者アンケートにも海外行きたいって書いたわけだし。

そのためのスタートラインにさえ、きっと立てていない自分を受け入れなければいけない。
ついては、この旅を非日常としての観光としてではなく、これから会社に入っても努力をし続ける宣言/原体験として耐えうる体験にしたい。 

まずは元気な状態で帰ってくることが目標なのだけれど、旅初日の開会宣言をこの文章に代えておく。

これから春休みで旅行も多くなると思います。是非みなさん良い旅にしてください。
また、ヨーロッパについて知っていることがある人は教えてくれるととても
嬉しいです。

それに、今回の旅は何人かには話しましたが、裏テーマを設定しています。達成できるといいな。

おわり

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Haru
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