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仕事を頑張りすぎて適応障害になった話②


こんばんは、大月はるです。
今日は、病院に行くきっかけや私なりの発症の原因、休職するまでの話を書いています。

※前回のお話はこちらです。

病院に行くきっかけ

仕事が落ち着いてそろそろ帰ろうと思ったある日の夜、イライラ・ムカムカしていて、本当に疲労困憊で、いつ泣いてもおかしくない状況でした。もう限界だ、明日休もうかな・・と珍しく思っていました。心も体も悲鳴をあげていたのだと思います。

上司に、体調が悪く、明日休んでしまう可能性があるので、パソコンを持ち帰りたいと交渉しました。(体調不良の詳細は伝えていません。)
答えはNOでした。体調が悪い中、仕事する必要がないという上司の優しさです。
もし何か必要なことがあれば、今日のうちに引き継ぎをするか、その仕事を片付けて帰宅し、明日病院に行くよう言われました。
遅刻しても問題ないから、何かあれば連絡して、と。

休むのは許されないのか?と内心思いました。体調が悪いのだから、今すぐ帰らせてほしいと思いましたが、業務の引き継ぎや同僚への連絡などを行ない、その日は帰宅しました。

熱や咳の症状があるわけではなかったので、病院に行くつもりはありませんでした。

病院に行くように言われたし、行ったって嘘つけばいいかな、なんて言えばいいかな、色々面倒なことになった、どうしよう・・。

考えた結果、「もうこうなったら、明日病院に行こう!内科ではなく、心療内科の方に!」と決意します。

初めての心療内科

帰りの電車の中で、会社の近くの病院をひたすら検索し、隣駅にある良さそうな病院を見つけました。心療内科は予約制の病院が多く、飛び込みで行くのは難しいのではと思いましたが、病院のTwitterに、明日の予約の空き時間が記載されていました。しかも行きたい朝一の時間に空きが!
これは行くしかないと思い、次の日の朝、予約をしました。

病院では、先生に症状や職場環境など、私の状況をつらつらと話しました。途中涙をこらえながらも、自分のことをほぼすべて話したと思います。丁寧に質問してくださるので、安心できました。

ひと通り話が終わり、先生から、
「少しの間お仕事お休みしたらどうですか?
病名をお伝えすると、『適応障害』という診断になります。」

・・・・・・・・・・衝撃でした。

適応障害?わたしが?
休む?そんなことできるわけない。何を言ってるんだろう・・。

その時、先生にもお話しましたが、
「私は仕事が好き、会社のことが好き、社長のことが好きで尊敬している、これからも会社と一緒に成長していきたい」そんな熱い思いで仕事をしていました。休むことで取り残されたくないとも思っていました。

それは会社の都合です。あなたには、あなたの人生がありますから。あなたの人生を大切にしてください。」

言いたいことはわかるけど・・どうしたらいいんだろう・・・どうしてこうなってしまったのだろう・・・

「すぐに判断できないと思うので、ゆっくり考えてみてください。」

次の予約をしてその日の診察は終わりました。そのまま職場へ向かい、病院で遅刻しているのにもかかわらず、何事もなかったかのように、いつも通り21時近くまで働いたのでした。

休職することを決意

数日悩み、休職することを決意しました。本当は長期で休みたい気持ちでしたが、そんなに長い間休むのかと思われたくないし、会社がどう判断するかもわからなかったので、2週間、長くて4週間ほど休みたいと相談することに決めました。

上司との面談では、自分の気持ちがあふれ、泣いてしまいました。
周りに負けたくない、取り残されたくない、もっともっと頑張りたい、昇級したい、でも自分の体も心も悲鳴をあげている、体も大事にしたい、そういった複雑な気持ちを伝えました。

(上司は、私が初めての部下だったので、おそらく相当ショックと言いますか、責任を感じたと思いますし、上からも色々言われただろうなと勝手に想像しています。)

その後、総務人事との面談があり、上司に伝えた時よりも正直な気持ちを伝えました。
一人でつらかった、いつも孤独に感じていた、気にかけてくれる人はいても、自分の業務はいつも一人で負荷がかかっていた、毎日苦しいし、会社に来るのもつらいと素直に言いました。
そして何度か面談を重ね、休職期間は10月1日〜10月19日に決まりました。

私が考える発症した原因

私は事務職の立ち上げとして入社し、約1年半、事務職一人で業務をこなしていました。会社の業績が拡大していけばいくほど、私の仕事量が増え、より質の高い仕事が求められます。自分の業務をこなしつつも、派遣さんの指導もありましたので、明らかにキャパオーバーしていました。

そして事務職一人というのは、当然ですが、女性一人。入社した頃は何とも思いませんでしたが、この状況が原因の一つでもあると感じました。
相談したり、愚痴をこぼしたり、他愛もない会話をしたり、直接話ができる同性の相手が誰一人いませんでした。孤独でした。

同期や他部署の事務職は、地方の本社にいて、毎日Teamsや内線でやり取りはあるものの、仕事後飲みに行って発散したり、休憩中にくだらない会話をしたり、そういったくだけた環境が私には皆無だったのです。
同じ立場の人が職場にいたら、体調を崩すことなくやってこれたかもしれません。

地方の本社にいる同期に休職の話を伝えた時、「何もサポートできなくてごめんね。」と言われました。同じ社内でお世話になっている先輩社員や後輩社員(どちらも男性です)に報告した時も、「気づけなくてごめんなさい。」と言われました。
私は別に謝ってほしいわけではないのに、そう思わせてしまったことが悔しかったです。

自分がもっと声をあげていればこんなことにならなかったかもしれない、でもこうなってしまったのは会社の責任、色々な思いが交錯し、やるせない思いでした。

休職前日

休職前日は気力体力ともに限界で、午後出社しました。(といいつつ、退社時刻は22時近く。午後出社の意味なしです。)

最後の最後まで、自分の業務を全うし、私がいない間に起こりうる業務にできる限り手をつけ、マニュアルや対応方法を引き継ぎ、最終日にできることをすべて片付けました。

夜、ある場所に送るダンボールを梱包している時、別部署の男性から

〇〇さん、いつも遅くまで大丈夫ですか?
その荷物、運びましょうか?
何か手伝いましょうか?

私、明日からいないんです、だから今やってるんです。

その方には、休職のことを話していなかったので、泣きそうになりました。(変な噂になるのを避け、報告するメンバーは最低限にしていました。)
「大丈夫ですよ、ありがとうございます。」とだけお伝えしました。

そして帰宅途中、やり残したことがないか気になって、Teamsの確認をしました。
また別部署の男性から、月末の経費精算についての質問があり、やり取りを続け、最後にこんなメッセージが・・。

遅くまで大変ですね。
悪いことは言いませんから、無理しないでください。
体壊したらおしまいですよ。

涙が止まりませんでした。もうそうなってしまったんです・・。

その方も私の状況を一切知らなかったので、「明日以降、全社共有あると思いますが・・実は・・」と、その方には休職することを打ち明けました。

戻ってきてくださいね、待ってますから!
とても温かいメッセージをいただきました。

その時は、まさか自分が退職することになるなんて予想すらしていませんでした。

仕事からの解放感や不安、声をかけてくださった方々への感謝、色々な感情がごちゃごちゃ入り混じり、複雑な思いで帰宅しました。


少し長くなりましたが、休職前日までのお話でした。
文字を打ちながら思い出して泣けてきました。
本当に温かい職場にいたんだなと・・。仕事が大変だった反面、本当に人の温かさが沁みたんですよね・・。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
次は休職中の過ごし方をお話します。


※追記※
③を更新しました!


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