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仕事を頑張りすぎて適応障害になった話①


こんばんは、大月はるです。
以前、自己紹介でもお話した適応障害の話をしていこうかなと思っています。
長くなるので、いくつかに分けて書いていきます!

※適応障害を発症した前職のお話はこちらからご覧ください。

発症した当初、わからないことや不安だらけで、YouTubeやブログにある体験談をたくさん見ましたので、そういう人たちの力に少しでもなれればと思います。

症状や置かれている環境は人それぞれなので、こういうパターンもあるんだな〜と頭の片隅に残る程度で、少しでも参考になれば幸いです。

体調不良の予兆

適応障害と診断されたのは2022年9月。
自分の体調がおかしいかも・・と思ったのは、2022年3月頃で、体の異変をなんとなく感じていました。
異変と言いますか、女性ならわかっていただけると思いますが、PMSの症状をはっきりと自覚するようになったのです。
今まで特に気にしたことがなかったのですが、ある時期になると、イライラ、ムカムカ、体の奥底から湧いていき、急に泣きそうになったり、トイレで泣いたり、私の場合は体より心の方が不調でした。
自分には無縁だと思っていたので、私にもそういう症状が出てしまうんだなと少しショックだったのを覚えています。心が穏やかな時ももちろんありましたので、時間を見つけて婦人科にでも行こうかな〜と軽く思っていました。

決定的な一撃

勤めていた会社は、8月が決算月だったので、7月8月は追い込みで、ありえないほど忙しく、さらに、夏季休暇も長い会社だったので、休暇明けの業務量が尋常ではなく、そこで決定的な一撃を食らったと思います。

日々の業務量が多すぎて、トイレに行く時間も惜しい状況でした。休憩はほぼとれませんでした。帰りは21時、22時近くなることは日常茶飯事。退社が遅くなれば、なぜ遅くなってしまったのかを日報に書き、次の面談で注意される。この繰り返しでした。
35時間の残業時間を超えないよう、上司が休みの日は早めに打刻してから、仕事の続きをする。そろそろ仕事を終わらせようと思ったら、先に打刻して、日報を書く。35時間を1秒でも超えたら査定に響くので、本当はいけないことだとわかっていながらも、残業時間を操作していました。

仕事用のノートを常に持ち歩き、行き帰りの電車でもノートを開き、今日はあれをしよう、明日はこれをしようとメモをとっていました。家に帰ってもその続きをして、寝る前までも仕事のことを考えていました。

帰宅し、化粧もコンタクトレンズもそのままの状態でベッドに横になってしまい、朝を迎えるなんてことは、数え切れないほど。明日が始まってしまうと思うと怖くなり、泣いていました。家で、好きなアーティストのYouTubeを見ていても、いつの間にかボロボロ泣いていました。

この時期になると、休みの日は疲れ過ぎて、一歩も外に出られませんでした。メリハリをつけて休みを満喫できるタイプなのに、休みを満喫できない程の精神状態になっていることもショックでした。

体の症状としては、仕事中、顔が痙攣したり、動悸が止まらなかったり、泣きそうになるのを堪えていました。不眠や頭痛、倦怠感もありました。とにかく苦しかったのを覚えています。

心も体もかなりボロボロな状態だったのに、次の日頑張って仕事に行っていた自分が今となっては恐ろしいです・・・。なぜそこまで追い込んでいたのだろうと思います。


今日はここまでにします。次は、病院に行くきっかけや自分にとっての原因についてお話しますね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※追記
続きはこちらからどうぞ。


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