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わたしたちの恋と革命 ep.14

 廊下をゆっくり歩いて行き、部室に宛がわれている小教室にたどり着いた。ドアに手を伸ばす前に深呼吸をしてから、室内へと足を踏み入れる。ここに来るまでにいろんな光景を想像した。茉白と芽衣が笑顔で会話していて、詩を迎えてくれる光景もその一つ。だが、室内には誰も来ていなかった。
 ふう、とほとんどため息みたいな息を漏らし、詩は手前の椅子に腰掛けた。この場所で、一人で待っていることもこれまでに何度かあったのに、今日ほど嫌な予感に押し潰されそうな日はなかった。時計の針の音が、淡々と時間の経過を思い知らせてくれる。詩は特になにもせず、祈るような気持ちでただ待ち続けた。
 一時間経っても、一時間半経っても茉白と芽衣は姿を見せず、気づいたら詩は机に突っ伏して眠りに落ちてしまった。外から運動部の掛け声や、吹奏楽部の演奏する音がかろうじて聞こえてくるくらいで、この場所はほんとうに静か。


 小教室の扉がそっと開かれる。ゆっくりと開いたそこから顔を覗かせたのは、茉白だった。恐る恐るといった感じで中を窺うと、詩が一人で眠っていた。茉白はそのことにどうしてか安心してしまい、短く息を吐き出した。
 ここへ来るかすごく迷った。詩は必ずいるだろうとは思ったが、芽衣が今後どうするつもりなのか読めない。
(結局、近寄らせてもくれなかった)
 明らかに茉白を拒絶するオーラを出し、そして二人の違和感を詩が怪訝に思っていることも察せられた。
(これからどうしたらいいものか)
 茉白は詩の傍まで行って、無防備な頭に手を伸ばしかけた。だけれど、講堂で走り去っていった芽衣の顔が浮かんで、その手を引っ込める。まだ、言葉にできる自信がない。感情の整理もできていない。
 詩を起こすことなく静かにその場を立ち去って、茉白は一人の帰り道をとぼとぼと歩いた。
 茉白の登場に少しも気づかなかった詩は、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴るまで眠りから醒めず、不安に押しつぶされそうな気持を抱えたまま、彼女もまた一人の帰り道を歩いたのだった。


 すべては勘違いだったと、笑い話になってくれたらどんなによかっただろう。一晩眠って、翌朝登校したら今までの日常が戻っていた――そうだったらよかったのに。
 翌日に期待することを三度繰り返し、詩はその期待を三度裏切られて、こうなったら自分から動くしかないと覚悟を決めた。
 昼休み、詩は茉白をお昼に誘った。
「いいけど、どこで食べる?」
 その問いに、詩は用意していた答えを口にする。
「講堂」
 そう告げた途端、茉白は一度目を見開き、でもなにも言わずにただ頷いた。講堂で食事を摂ることはおそらく許されていない。だけれど、そこに行くべきだと感じた。
 二人で教室を出るとき、芽衣の席の方に視線を向ける。芽衣はチャイムが鳴ると同時に教室から姿を消していた。
(ずっとそうやって過ごすのは、寂しいんじゃないかな)
 芽衣には、詩たち以外にも仲のいい友達はいる。でもそういうことではなく、たとえ友達の一人に過ぎないとしても、切り捨てようとすることは心を重くするはずだ。
 無言のまま廊下を渡っていき、目的地にたどり着いた。照明が落とされた講堂はしんとしていて、こんなに広かったかと感じさせられた。舞台で劇を披露していた二日間が遥か遠い昔みたいに思える。
 茉白は客席の最前列まですたすたと歩いて行って、腰を下ろした。詩は一人分空けて座った。舞台を正面に見据えながら、二人はお弁当を食べ始める。
 早く話を切り出してもよかったけれど、そうしなかったのは、会話の流れを組み立てる時間が欲しかったわけでも、茉白から話を始めさせる目論見があったわけでもなかった。ただ、並んでご飯を食べてからにしようとなんとなく思っただけ。その空気を、茉白も察知してくれたのかもしれない。
 舞台を見つめながらもぐもぐと口を動かす。今でも信じられない。あのステージで、スポットライトを浴びて、大勢の視線に晒されながら演技していたことが。きっともう二度とできないだろう。最後までなんとかやりおおせたのは、どう考えても茉白と芽衣がいてくれたからで、二人のためなら、と踏ん張れた。それなのに本番が終幕を迎えた途端、この状況だ――詩はこの数日ずっと思い巡らしてきたことを、頭の中で改めて繰り返した。
 茉白の方が先に食べ終わった。お弁当箱を片づけている様子を横目で確かめ、まだ途中だったが、詩も片づけ出した。ほとんどお腹いっぱいだから構わない。
 詩は前を捉えたまま、口を開く。
「わたしたち、ほんとによくがんばったよね」
 茉白は今どんな表情をしているだろう。
「二日間もそうだけど、それまでの準備もずっとがんばって。そのがんばりが、みんなからも認められて。早くその喜びを分かち合いたちと思ってたのに」
 ねえ、と詩は顔を横に向ける。詩と同じように前を捉えていた彼女の横顔が目に飛び込んできた。
「ねえ、芽衣となにがあったの?」
 声が震えないように、強く発声することを意識した。上手くいったのは、演技の練習の成果だ。
「話してくれる?」
 がらんとした講堂に、詩の声が響く。その声に気圧されたように、茉白が詩の方を向いて、二人の視線が交錯した。
「革命を起こしたかったんだ」
 求めていた言葉ではない。言い返そうとするのを遮るみたいに、「ごめん」と短く吐き出して、茉白は頭を下げた。
「ちゃんと話して」
 今度は静かなトーンで呟いた。このところモヤモヤしていたのは、二人の間になにかあったらしいことが明白なのに、詩だけが蚊帳の外だったからだ。与り知らないところで事件は起きたのかもしれない。それでも、なにも伝えてくれないのはあんまりだ。だって――
(だって、わたしたちは同じ同好会の仲間で、同盟の一員で……友達じゃない)
「告白したんだ、芽衣に」
 どういうことだか、まだ分からなかった。
「……は?」
 茉白の表情を窺っても、冗談を口にしているようには見えない。
「なにを」
「ずっと好きだったんだ、芽衣のこと。特別に想ってた。わたし、同性愛者なんだ」
 返す言葉が思い浮かばなかった。近頃、この世界には多様な価値観がそれぞれに内在していて、それを拒絶するのではなくて、尊重してあげなければならない、というような話を見聞きする。異性に恋愛感情を抱くことが全員にとって当たり前だと決めつけてはいけない。同性を好きになる人もいる。
 だけれど、と詩は目の前の茉白を見つめた。茉白がそうだとは思いもよらなかった。そんな素振り、微塵も見せたことなかった。そして、その事実を聞いてから、茉白と少し距離を取ろうとしている自分を発見する。
 茉白はそれに気づいたかのように苦く笑った。
「大丈夫。詩は友達で、それ以上でもそれ以下でもないから」
 目の前の茉白が、さっきまでと同じ人物だと思えない。一緒にいる時間が長くても、お互いの考えていることなんて十分の一くらいしか分からないのかもしれない。知らなければよかった、と思う。聞かなければよかった、と思ってしまう。
「芽衣は友達以上だったってこと?」
 詩はハッと気づく。
「じゃあ、三人で部活を立ち上げようとしたのも、芽衣と親しくなるためだったの?」
 そこで茉白は慌てる素振りを見せた。
「違う。それは違う。あの頃はなんとも思ってなかった。一緒にいる時間が長くなるうちに、好きになっていった」
 詩は頭を抱えたくなった。なんとなく二人の間で起こっただろうことを予想していたものの、少しも思い浮かべなかった展開に、どう軌道修正したらいいものか。
(これからどうしたらいいか決めなきゃいけない……この事実を踏まえても三人でいたいか、どうか)
「……告白しただけで、芽衣は、茉白と一切関わらなくなったの?」
 茉白はバツの悪そうな顔をした。左右に揺れる瞳が言葉を探している。
 詩も、たった今茉白の隠していたことを知って驚き、戸惑いはしたが、それだけで関係性を断とうとはすぐに思いつかない。それに、芽衣はあんなに優しい。
「――キスした」
 また、茉白と距離を取りたくなってしまう。比較的背が高く、短髪で、言動も女の子らしいとは言い切れない茉白だけれど、やっぱり女性であることに変わりはない。茉白のことを女子としてしか見てこなかった。だから、二人がキスをする光景をぜんぜん思い描けない。
「舞台が終わって、溢れる想いを抑えきれなくなって――つい。芽衣は戸惑ってた」
「それだけ?」
 それで芽衣は、茉白とどう接したらいいか分からなくなってしまったのだろうか。
 だが、茉白は首を横に振る。
「告白して、抱きしめた」
「……それで全部?」
「胸に触れようとした」
 ハグをするくらいなら、同性同士でもする。だけれど、二人の関係を男女に置き換えたとき、告白をして、まだ相手が頷いていない時点で胸に触れようとするのは、訴えられたとしてもおかしくない。もちろん、それまでの関係性如何にもよるが。
「最低じゃん」
 上手く、言葉を選べなかった。知らないところでそんなことが起こっていたのか。芽衣は、戸惑い、恐怖したのかもしれない。信じてもいいと思っていた人に襲われたようなものだから。
「最低だよ。でも、どうすればよかった? 好きで好きでしょうがなかったんだ」
 茉白の顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。だけれど、決して涙しないだろう。泣いていい権利はないと、自分に言い聞かせていそうだ。
 詩はため息をついた後に立ち上がって、茉白を置いて歩き出した。待って、と言われることも、追いかけてくる気配もなく、二人の距離が離れていく。
 気持ちを寄せることができなかった。同性愛者の苦しみも、遠い。そして、誰かを好きになるときのどうしようもなさも、果てしなく遠い。

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