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バスケ物語 ep.7

 合宿二日目。前日と同様のメニューがこなされたが、その後にとっておきのイベントが用意されていた。
 夜、全員が体育館に集められた。
「よし、揃ったな」
 村瀬が前に出た。そしてどこかへ駆けていって、しばらくして学校の全ての電気が消えた。一年に動揺が走る。
「え、本当に何も見えない」
「これでやったら危なくないか」
 皆、これからなにをやるのか知っている。――きもだめしだ。
 宮尾も辺りを見回した。近くにいる平岡の表情が分からない。
 懐中電灯の灯りと共に、村瀬が戻ってきた。
「では予告通り、きもだめしをしよう。――まあ、バスケ部としての意義を付け加えるなら、精神面を強くすることだな」
 場に笑いが起こった。怖がっている人は、今のところ見当たらない。
「まずはくじ引きでペアを決めよう。1から6の番号が書かれたくじがある。同じ番号の人がペアだ。じゃあ、どんどん引いていけ」
 村瀬の近くにいた人から次々に引いていく。
「じゃあ、残ったのはおれのだな。――1番から聞いていこう。1番の人」
 手を上げたのはそう言った村瀬自身と、一年の長島だった。
「次、2番」
 宮尾が手を上げた。もう一人上げたのは、なんと星野だった。
「またかよ、レイジ。お前らダンスもペアだったじゃねーか。仕組んだろ」
「仕組まねーよ、ってか仕組めねーよ」
 うろたえる宮尾を村瀬がフォローした。
「心配ない。おれが公平に作った。……それにしても、すごい偶然だな」
 宮尾も自分でも驚いていた。まさかまさかの連続ペア。星野の表情を窺がってみたが、暗くてイマイチ読めなかった。
 その他のペアもどんどん決まっていき、平岡・尾崎、岩田・矢部、持田・香村、佐々井・長谷部とそれぞれ組むことになった。
「それでは、ルールを説明しよう」
 村瀬がもったいぶった口調で語り出す。毎年、内容は部長が考えていて、去年は学校から近くの神社までの道のりだったが、見慣れた風景だったこともあり、不評だった。
「今年は校内を巡ってもらう。スタートとゴールはここ」
 体育館の床を指差した。
「ここからどういう道順でもいいから、三階の奥にある理科室まで行って、おれが置いてきたバスケットボールを一つ取ってきてくれ。ペアには懐中電灯を一つ、渡す」
 村瀬は笑顔を作って、周りを見回した。
「簡単だろう?」


 一組目の村瀬と長島が行っている間、灯りを失った待ち組みは、体育館の中央で固まって座っていた。そこから動かないように厳命されている。
 また、佐々井には別の指示が出されていて、待っている人たちに即興の怪談話を聞かせることになった。村瀬がいくつか用意していたのだが、いない時は佐々井に代わりを頼んだ形だ。
 佐々井の話は、怖くなかった。先が読める展開だし、何より語り手自身に怖がらせようという意志が欠けている。抑揚のない話し方は、緊張していた面々をリラックスさせ、時に笑いを催した。
 次の組が行くのは、前の組が行ってから三十分たつか、その前に前の組が帰ってくるかである。宮尾たちは後者だった。
 企画者の村瀬がいたためか、予想よりも早く帰ってきた。しかし、長島は隣で疲れ切った顔をしていた。何か、仕掛けが施されているのだろうか。宮尾は思った。
 

 村瀬の指示で宮尾と星野は手を繋いで出発した。体育祭の匂いが甦る。あの時と違って、二人の手は汗ばんでいなくて、掌の感触を確かめるのには充分な落ち着きがあった。
 懐中電灯の灯りで、微かに星野の表情が目に映った。不安そうで、怖いのが苦手だと言っていたことを思い出した。
「大丈夫?」
 星野はゆっくり首を縦に動かした。
「うん。ちょっぴり、怖いけど」
「まあ、暗いけど見慣れた学校だし、脅かす役もいないし、大丈夫だろ」
 言ってから、長島の疲れ切った表情が浮かんだ。あれは、どういうことだろう。長島がただの怖がりなのか、それとも何かがこの先に待っているのだろうか。
「――でね」
 星野が何か呟いたようだったが、語尾しか聞こえなかった。「ごめん、何?」と宮尾は聞き返した。
「先に行ったりしないでね」
 その声から、彼女の潤んだ、訴えかけるような瞳を思い浮かべた。本当に涙目になっているのかもしれない。
「心配すんな。そんなことしねーよ」


 コツコツコツ。足音だけが学校に響く。普段、歩き慣れているはずなのに、違う世界にいるように錯覚する。
 三階に上がり、理科室へ真っ直ぐ伸びる廊下のスタート地点に立った。あと少しで往路が終わる。
 教室の前に掃除用具を入れたロッカーがあった。通り過ぎようとしたら、いきなりほうきの束が激しい物音とともに倒れてきた。
 宮尾は叫んだ。これには驚いた。暗くてよく見えないが、何か仕掛けがあるようだった。これが長島の表情を変えた要因だったのか。宮尾は驚きの後に納得した。
 ふと、星野の気配が消えたことに気付いた。ほうきが倒れたときも、彼女の声が聞こえなかった。宮尾の叫び声にまぎれたのかもしれぬが。

 足元を見ると、星野がしゃがみこんでいた。
「星野、どうした?」
 ライトを軽く当てると、恐怖に顔が歪んでいた。
「ごめん……立てなくなっちゃった」
 その声は弱々しさを極めていた。


     九


 腰が抜けた星野を約束上、置いて行く訳にはいかない、と考えた宮尾は、星野の腕を肩に回して背負う形で進んだ。
 理科室に辿り着くと、入口の脇にボールが並べられていた。よく見ると、黒板の前にいつもより多くガイコツが整列していて、これも驚かすための物だろうな、とこの時は冷静に捉えた。
 ボールと星野を抱え、宮尾は復路を歩み進めていった。もはや恐怖を抱く余地はなく、真っ白な頭で足を前に出した。
 途中、ボールが手からこぼれた。弾む音がしてどこか見えないが転がっていった。
 落としたのがこれじゃなくて良かった、と思いながら懐中電灯で周囲を探した。
 だが、懐中電灯で見つけるより先に、自分の足がそれを認めてしまった。上に足を乗せてしまい、片手を突いて転んでしまった。当然、抱えていた星野も一緒に倒れた。
 二人は抱き合うようにして地面に着地した。重なり合っている部分が熱く感じる。宮尾の目の前には星野の瞳が二つあった。
 すると、星野が宮尾の唇に自分の唇を重ねた。柔らかい感触が広がり、思考は混乱を極めて停止する。とても長い時間に感じたが、実際は一瞬の出来事だっただろう。
 その後、どうやって体育館まで帰れたのか記憶が曖昧になっている。ボールを持っていたからちゃんと見つけたようだし、星野は普通に歩けていた。転んだ時に落とした懐中電灯も無事だった。ただ、星野と何か言葉を交わしたのか覚えていない。終始、無言だった気もするけど、何かとても大事なことを言ったか、言われた気がする。


 全ての組が終えると、村瀬は電気をつけた。久しぶりに見る明かりが眩し過ぎて、しばらくは目を細めるしかなかった。
「これできもだめしは終了だ。部屋に戻って、ゆっくり休んで、明日の練習に備えてくれ。寝坊するなよ。じゃあ、解散」
 疲れていたことを思い出したのか、言われなくても、という感じで皆は部屋へと戻っていった。
 宮尾はちらっと星野のことを見た。向こうもこっちを見ていたようで、目が合った。見なければ、見られなければ、見つめ合うことはない。
「その……」
 星野の頬は目に見えて赤く染まっていた。
「ごめんなさい」
 そう言い残すと、星野は尾崎を追いかけて走っていった。
 ごめんなさい――か。謝る必要はない、と言うつもりもないし、その謝罪をただ受け入れるつもりもない。自分でも今の気持ちが分からないけど、星野に対して悪い感情を抱いてはいなかった。
                               

 部屋に帰ると、平岡がすでに布団の中の人になっていた。
 宮尾も電気を消してから、隣に敷かれた布団にもぐり込む。暗闇の方が今は目に楽だった。
 蝉の声が聞こえる。儚い命を全うする蝉が、とても哀れに感じた。
 隣の部屋から笑い声がした。長谷部と岩田の部屋だ。きもだめしのことを振り返っているのかな。
「レイジ」
 平岡はまだ起きていた。「何だよ」と宮尾は聞き返す。
「あのさ……単刀直入に聞くけど、お前と――星野、キスしてたよな?」
 宮尾は平岡の顔がまともに見られなかった。動揺を隠せているとは思わなかったから。
 よく考えれば迂闊だった。宮尾らは時間がかかっており、次の組が出発する三十分は経過していた。あの場面を次の組である平岡と――尾崎に見られていたとしても不思議ではない。
 平岡が見たということは、尾崎も見たわけだ。宮尾は何故か後ろめたさを覚えた。
「――ああ。見てたのか」
「あれって、星野からしたの?」
 宮尾は少し考えた。ここでありのままに言っていいものか。しかし、とりあえず事実をそのまま言うことにした。
「そう」
「へえ、やるなあ。おとなしいやつほど、大胆な行動に出るもんだな」
 平岡は笑ったが、冗談で済ませる気分はなかった。宮尾は笑わなかった。
 星野はどうしてあんなことをしたのだろう。それともあれは、事故だったのだろうか。それこそ星野に謝る必要はない。
「シンジ、あのことは誰にも言うなよ」
「……そりゃ、言わねーけどさ」
 宮尾は平岡に背を向けて、眠る振りをした。平岡もそれ以上は追及してこなかった。
 たぶん、尾崎は口止めしなくても大丈夫だろう。
 宮尾は眠りについた。


 合宿も中日を迎えた。この日は誰もが良い気分ではなかった。何故なら、体力トレーニングの日と銘打たれているからだ。
「今日はバスケットボールを触れないと思っておけ」
 村瀬が高らかに宣言していた。そんな、陸上部じゃないんだから、と平岡は嘆いていた。
 午前中はとにかく走る。長距離、短距離の順番でしゃにむに下半身と肺を鍛える。
 長距離は、学校の周り2・5キロを四周、つまり10キロ走る。それだけで体力を使い果たしそうだ。
 バスケ部で長距離が滅法強いのは、佐々井と宮尾。いつもこの二人が一位を争う。

 スタートラインに立って、尾崎の合図で一斉に駆け出した。
 前に出たのは宮尾と村瀬、それに平岡。佐々井は少し後ろで様子見の態をとった。
 半周ぐらいで急に一年の香村がとてつもない速さで先頭集団を抜いていった。驚いたが、焦ってペースを変えたりはしなかった。やがて香村のペースが急に落ち、ずるずると後退した。
 一周が過ぎた。タイムを尾崎が言ってくれたが、久しぶりの10キロなもので、平素より遅めだった。

 三周までは順位の変動がなかったけど、ラスト一周に入って佐々井のペースが上がった。宮尾もついていった。平岡と村瀬は置いていかれた。
 ゴールが見えてきた。見えてきただけで、ここからが結構、長い。佐々井と宮尾は横一列に並んで、互いを牽制し合いつつ、ペースをさらに上げていた。一位争いはこの二人に絞られた。
 結局、佐々井が一歩の差でゴールを駆け抜け、宮尾は僅差で負けた。初めはいつもより遅いと思っていたタイムも、最終的に自己ベストを更新した。
 三位は平岡、四位に村瀬。
 宮尾は座って休んでいると、尾崎がお茶の入ったコップを渡しに来てくれた。
「はい」
「ありがとう」
 尾崎も昨日のことを知っているはずなのに、いつもと変わった所は見当たらなかった。
 そういえばと、星野の方を目の端で捉えたが、こちらも落ち着いていた。
 最後の二人が帰ってきた。香村と長島で、香村が猛スピードで最後の直線を駆け抜けていった。
 そんなに最後、頑張れるなら、最初からペース考えて走れよ、と思った宮尾は先輩として後輩を指導しに行こうと腰を浮かしたが、村瀬がそれに先んじた。走り終わったばかりの香村に、一言二言、話しかけている。
 村瀬が頼りになる部長だということは、周知の事実だ。
 いったい、自分の代では誰が部長になるのだろう。宮尾は思いを巡らしてみた。平岡、長谷部、宮尾の三人の内の誰かだろう。決めるのは村瀬の役目だが、誰に西桜バスケ部の舵取りを託すのだろうか。


 合宿四日目。宮尾は早起きして体育館に向かった。筋肉痛は否めないけど、バスケをしたい気持ちが勝った。ボールを持って、早朝練習を始めた。
「おはよーさん」
 尾崎が現れた。
「尾崎、早いじゃん」
「宮尾こそ、どないしたん? 合宿中やのに、元気やな」
「うーん、何か早くに目が覚めたら、バスケやりたくなってよ。筋肉痛がやばいけど」
 宮尾は笑った。尾崎も笑った。「付き合おうか」
「頼む」
 普段と同じようになった。シュートを放ち、尾崎が拾って、宮尾にパス。また打っては、それの繰り返し。ディフェンスをやってもらい、それを抜いてレイアップシュート。
 適当に汗を流した後、壁に寄りかかって小休止の体勢をとった。尾崎も隣に腰掛けた。
 やっぱり蝉の声が聞こえる。夏の風物詩はおれだと主張しているようにやかましい。
「なあ、宮尾……」
 尾崎が口ごもった。宮尾はちょっと覚悟した。まさか――。
「何だよ?」
「……何でもない」
 しかし、尾崎は言わなかった。
 微妙な空気が流れた。いつまで続くとかと不安になった。
 それを打ち破るように明るい声が耳に入った。
「お邪魔しますわ」
 関西弁の男の声。誰だろうと首を向けた。
「あれ、リョウ君」
 尾崎が立ち上がった。リョウ君?どうやら知り合いらしいが。
「おお、サエやん。すぐに会えて良かったわ」
 尾崎を名前で呼んだ。二人は親しい間柄のようだが、まさか付き合っているのかと宮尾は推測した。
「そちらさん、サエの彼氏か?」
 そしたら反対のことを聞いてきた。「ちゃうわ、ただの友達」と尾崎がすぐに否定した。
「はじめまして、宮尾レイジです」
 歳が分からないから、敬語で名乗った。
「知っとるで。スリーがよう入るやつやろ。おれは金子リョウ、睡蓮高校のバスケ部二年や。よろしゅう」
 金子は宮尾の手からボールを奪うと、「せっかくやし、勝負せえへん?」と言った。
 宮尾はそれに応じた。

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