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バスケ物語 ep.4

     五


 教室は騒がしいことになっていた。先生がいるのに騒がしいのには理由がある。毎年、桜の面影が消えて、夏が顔を覗かせ始める頃、体育祭が行われる。この行事に対する思いは様々に錯綜していて、こと種目決めになるとそれぞれの本音が見え隠れする。
 学級委員が前に出て種目を決めていくが、譲らない人が多く、かなりの時間を要していた。
 そんな光景の中、宮尾は頬杖を突いて傍観者に徹していた。
 宮尾が体育祭をどうでもいいと思っている、という事ではなく、希望の種目は一つに決まっているからだ。バスケで培われてきた体力が自慢の宮尾は、それを最大限に生かせるスウェーデンリレーに出たいと思っていた。スウェーデンリレーは、もちろんリレーしていくのだが、襷が渡っていくにつれて、走る距離が長くなる、という特殊なリレーなのだ。一年はそんなに長くないのだが、二年男子や三年は中距離走並みに走るため、とてもきつい事で知られている。そのため希望する人も少なく、宮尾は焦らなくても出られそうなので、おとなしく傍観しているのであった。
「頬杖突いてると歯並びが悪くなるで」
 宮尾の前の席の男子は、前の方に出て自分の希望を通そうとしていたから、その席は空いていた。そこに尾崎が座った。
「何それ、都市伝説?」
 宮尾は歯並びが悪くなるのは嫌なので、頬杖をやめた。
「何でやねん。ただの豆知識や」
 尾崎はふくれた。
「傍観しとってええんか?」
「ああ、おれはスウェーデンだから」
「何や、私と一緒やん」
 宮尾は意外だと思った。尾崎は女子の中で運動神経があるけど、足の速さはそんなでもない気がしていた。同時に納得もした。どうりで、話し合いが盛り上がっている時に宮尾にちょっかいかけに来られたわけだ。
「去年はあっさり決まったのに、今年は時間かかっとんなあ。まあ、一年は入って右も左も分からんうちに迎えたから、希望も何もなかったんやな」
 尾崎の分析に宮尾は相槌を打たず、ぼんやりと教室をまた眺めた。
 ――いつの間にかおれの周りに人が集まらなくなった。クールなキャラを気取っていた訳じゃないのに、クールというレッテルを貼られ、それに縛られている感じがする。人前でバカみたいにはしゃいだりする事がなくなった。友達はいるけど、寂しさに似た感情がたまに呼び起こされる。
 それでも尾崎はおれの近くに来る。物理的な距離でも、心理的な距離でも打算なしで近くに来る。小学校、中学校、そして高校とずっと同じで、でも同じおれな訳じゃないのに、尾崎の態度は変わらない。あいつも立場が微妙に変化しているけど、おれに対する態度は一貫している。
「次やで」
 席の主が戻ってきたため、尾崎は自分の席に戻った。
 黒板を見ると、次に決めるのはスウェーデンのようだった。
「じゃあ、次にスウェーデンリレーに出たい人」
 良かったな、スウェーデン。体育祭の度に、認知度が上がっているぜ。なんて思いながら手を上げた。


 印象としてはバスケ部が多いなあ、といった所か。体力を日頃からつけているのはスウェーデンのためではないのだが、自然と人数は多くなってしまう。
 体育祭はA・B・C組を縦割りにした対抗戦で、各種目で基本的に同学年で競い合う。例外のスウェーデンリレーは他学年のメンバーも重要になってくる。
 宮尾らB組は宮尾と尾崎に加えて星野もメンバーに。
 A組は部長の村瀬と長谷部が出る。
 最後にC組は佐々井と平岡の二人。どの組も一年生バスケ部員はいなかったが、合計で七人と、部活が二十近くあるにもかかわらず五分の一を占めた。
 それからもう一つ、競技の他に決めなければならない事がある。体育祭の恒例となっている創作ダンスのペア決めだ。三年生のダンス部員が作る簡単なダンスを放課後に練習時間を取って、本番に披露するもので、男女ペアで踊る。そのペアは、便宜が図られるカップル(組が同じだった場合に限る)以外はクラス内でクジによって決められ、大いに盛り上がる。ちなみに人数の関係で他学年、あるいは同性の人とペアになる場合もある。
 こればっかりは希望の通しようがなく、クジに運命を託すしかない。
 宮尾は仲がいい女子が少ないため、誰でもいいと仲間内で話しながらも、内心は尾崎なら楽でいいや、と思っていた。しかし言うと冷やかしのネタにされるから決して言わない。
 何となしに窓の方に視線を向ける過程で、星野の横顔が目に付いた。――ああ、星野でもいいか。って、何様だよ、おれ。そんな選べるほどの立場でもないのに。
 ところがクジ引きは、宮尾と星野のペアを実現させたのだった。


 たった一年前のことなのに、去年は誰と踊ったのか覚えていない。まして、どんな風に練習していたのかなんて記憶の片隅にすらない。でも、今年は忘れないだろう。と思ったことは決してなく、突きつけられた事実を何となくの感情(無感情ではない)で受け止めていた。
 人のことを言えた口じゃないが、客観的に見て星野は踊りが苦手な方だった。何より恥ずかしがり屋の性格故に、素振りが小さくて、表情も硬かった。しかし、宮尾にとってノリノリで踊られるのも困るから、星野は気楽でいいや、と思っていた。
 ペアで手を繋ぐことが間々あり、その度に星野の柔らかくて小さな手の感触を不思議に思う。女子の手ってこんなに小さいのか、と。
 宮尾は「女」という生き物を良く分かっていなかったことを思い知り、そして自分が男であることに安堵した。あんなに弱々しい手じゃ、バスケットボールを思うままに扱えなかっただろうから。
 何でもバスケ中心に物事を考えてしまう自分が、いつでも確かにいた。暇な時間に家の近くを走りにいこうとする瞬間、バイキングで肉を多めに取る瞬間、何かをしようとする時、それをいつもバスケに結びつける。宮尾のマインドマップは、バスケからなら果てしなく広がる。
 別にそんな性癖を悪いと思ったりはしていない。バスケバカで、勉強も恋も疎かになりがちな「自分」が本当の「自分」なのだ。
 そう思っているはずなのに、たまに不安になってしまう。何か、人生にはもっとたくさん満足させるものがあるのではないか、バスケだけに興味の全てを傾けている自分は、実は損をしているのではないか、と。ふとした瞬間にそういう考えが頭をよぎる。
 そんな哲学的な問いの答えは出せないだろうけど、宮尾のこの些細な「揺らぎ」は、宮尾に少しずつ変化をもたらした。
 ダンスの練習中、星野と踊っていることに喜びを抱き、その笑顔を見て心は言い逃れができないほど満たされた。まだ恋とは呼べる域じゃないが、宮尾は異性に対する意識を初めて強くしたのだった。


 最近、尾崎と話す機会が減った。部活とか教室で会えば挨拶代わりのやりとりを交わすけど、何か少ないと感じる。尾崎がいなくても学校生活は普通にできるし、話すことがゼロになるわけじゃないけど、調子が狂う。
 傍にいることが当たり前だと思っていると、いつかしっぺ返しを食らう。そんな考えが浮かんで、真剣になってみたりする。でも、それは現実味があまりなくて、そりゃいつかは別れる日が来るだろうけど、しばらくは心配しなくても尾崎は割りと他の人たちよりも近くにいて、「ミヤオザキ」は続くのだ。
 尾崎は今の状況をどう感じているのだろう。宮尾は真剣でなく、かといって適当でもなく、当てはまる形容詞がない感情でこのことを考えていた。あいつもおれみたいに、この関係がいつか終わることに思いを巡らしたりするのかな。おれが尾崎を思っているように、尾崎も何らかの感情をおれに抱いているのかな。「好き」や「愛している」は相応しくないだろう。おれから尾崎へも、そしてたぶん、尾崎からおれへも。
 生活のリズムが変化した原因は、体育祭のせいである。体育祭の準備期間中、放課後をダンスや競技の練習に充てるため、部活が朝練に変わっていた。当然、尾崎と星野とで毎朝、欠かさずに行ってきた朝の自主練習はなくなり、何気なく話をする機会が一つ減った。
 宮尾にとって、この生活リズムは好ましくない。バスケも尾崎も、いつもと違うからやっぱり調子が狂うわけだ。
 早く体育祭が終わればいい、とたまに思うこともある。でも同時に、星野が考え中の脳内に現れると、その思いには疑問符がつく。
 早く体育祭が終わればいい?
 まるで尾崎と星野を天秤にかけているみたいだ、という言葉が浮かんだ。苦笑いでかぶりを振り、その例えをすぐに打ち消す。決して二人を比べているわけじゃない。それは違う。全然、違う。


     六


 晴天の下、体育祭が始まった。開会式を経て、ハードル走や500メートル走がまず行われた。
 グラウンドはいつもと姿を変えて、道路沿いに生徒席が並べられ、日差しを避けるためにテントが張られた。反対側では来賓や保護者のためのテントがあり、挟まれた広いスペースで生徒たちがそれぞれの種目を順々にこなしていく。
 ほぼ全員の生徒が応援しにテントを出ていたが、宮尾だけ席にふんぞり返って座っていた。
 目線の先では応援している横並びのクラスメート。その先では、やはりクラスメートが必死こいて争っている。普段は授業だるい、掃除サボりたい、暑いのはマジ勘弁、とか文句が多いやつらがあんなに必死になっているのは興味深い。何故か行事には真面目に取り組むことが当たり前になっていて、不良ぶっているヤツも(ウチには本物の不良はいない)、すぐに文句を口にする女子も一つでも上の順位を目指して全力を尽くしている。学校側としても、宮尾からにしてもこの風潮は良いことだと思うが、理由はあまり好ましくない。ここでは、親が見に来ているから、良い子ぶっているなんてことは有り得ないわけで、高校生が親以上に恐れているものは、仲間外れにされることだ。周りが一生懸命やっている以上、だるそうにやっている人がいたら、その人は白い目で見られ、はたまた非難され、最悪の場合、「ハブ」にされてしまう。大人からすれば「そんな大げさな」と嘲笑を浮かべるかもしれないが、当事者にとってみれば学校生活の重要事項だ。友達のいない学校生活は、傍から見て思う以上に苦しくて、つらいものだ。皆はそれを薄々知っていて、知らない振りをしている。
「宮尾、応援しーな」
 尾崎がひょっこりと顔を出した。宮尾がぼんやりと眺めている間に、競技は障害物競走に移っていた。
「えー、メンドイ」
「何、言うてんの。応援されたかったら、他の人の応援をまずするもんやで」
 尾崎は宮尾と違って応援に出ていた。二人が出るスウェーデンリレーは午後なので、午前中は団体競技だけ。
「ほら、いくで」
 手を引っ張られて宮尾が立ち上がった。そのままクラスの方まで連れて行かれたが、周りに見られたらと思い、とっさに手を放した。
 すると尾崎が振り返った。口を少し開けて宮尾を真っ直ぐ見据えていた。
「宮尾」
 日差しが強い。汗が顎を伝って滴り落ちていく。
「ダンス、クルミとなんやろ?」
 宮尾にはその質問の真意が測れなかったが、「ああ、そうだけど」とその先を促した。
「手、強く握りすぎたらあかんで」
 その日差しに、夏の訪れを実感した。


 午前の競技が終わると昼飯の時間になった。
「疲れたー」
「弁当、食おうぜ」
 誰もがいつもより気合の入った弁当箱を手にしている。
 宮尾もクラスの男子の輪の中に混じって、弁当を食べ始めた。
 女子の輪の方にちらっと視線を向けると、星野の姿が目に入った。ピンク色の、男子からしたら腹の足しにならなそうな小さい弁当箱を片手に、尾崎と笑顔を交えて話している。最近になって、クラスの女子と話せるようになってはいるが、尾崎が一番、話しやすいようで、いつも一緒にいる。尾崎は気さくで話し上手なヤツだし、そんなに気を遣わなくてもいいから、控えめな星野にとって楽なのだろう。
 そこに平岡が通りかかった。
「おっす、レイジ」
 宮尾の横に腰を下ろした。
「もうメシ食ったん?」
「ああ、とっくに。それより、お前スウェーデンだろ。何走目?」
 スウェーデンリレーは全学年対抗で行われるのはすでに述べた。一クラス男女、各二人ずつ出し、合計十二人でリレーする。一年女子から始まり、一年男子、また一年女子、一年男子、二年……と続いていき、最後は三年男子の二人目となる。走る距離は女子が100メートルからスタートして走順が上がっていくごとに50メートル伸びていく。最後の三年女子は350メートル走る。男子は150メートルから始め、同じく50メートルずつ伸びていき、アンカーは400メートル走る。
「おれは八走目。シンジは?」
 つまり300メートル。
「おれも八。安心したぜ、確認してなかったから心配だったんだ」
 そう言いながら、不敵に笑った。宮尾はそれを自分への挑戦と受け取った。
「何だよ、おれに勝てると思ってんのかよ」
「さあ? まあ、できれば勝ちたいかな」
 何かと切磋琢磨して争ってきた二人。ここでもライバル心むき出しで、たかが体育祭、されど体育祭という一行事に熱意を燃やす。
「そうだ、長谷部も出るってさっき聞いた」
 平岡は本当にプログラムでメンバーを確認していないようで、今さら誰が出るのかを話題にすることになった。
「佐々井先輩と村瀬先輩も出るよ。佐々井先輩、お前と同じクラスじゃね?」
「おお、そうそう。先輩、速いからな。アンカーかな」
「たぶんな。尾崎と星野も出るぜ。バスケ部、多いよな」
「へえ、マジかよ。……って、星野も?」
 平岡は本当に意外そうな表情をした。 
 そういえば、宮尾は思った、今日まだ一度も星野と話してないな。

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