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バスケ物語 ep.14

 村瀬からボールが渡された。目の前には金子。宮尾は抜くしかない、と心に決めた。
 目で四人に合図を送る。宮尾が動き出したら、四人が相手の他の四人を防いで、ゴールへの道を開けるように。これは、簡単なことでは決してない。体格で上回る清水と飯岡、技術で凌駕する植松と草野、長く抑えることは不可能だろう。
 一瞬でいい。一瞬で、宮尾はゴールまで飛んでやると誓った。
 そして、動いた。
 まずシュートフェイクをして、次に左から抜こうとし、一度止まって、体を回転させて、右から抜こうとした。
 しかし、読まれていた。どうしても完全に抜けそうにない。これが金子涼。
「どないしたん? 疲れとるんか?」
「次は抜いてやるよ」
 強がって言い返すが、金子の言うとおり疲れはある。
 ここは、意表をつく以外に方法はないと考えた。正攻法で敵う相手ではない。失敗するリスクもそれ相応に伴うけど、勝ちにいくには、それしかない。負けないための消極的なバスケより、勝つための積極的なバスケが西桜のバスケだ。
 宮尾はスピードをつけて、金子に突っ込んでいく形でドリブルした。そして、手前でボールを右側に投げ、宮尾は左側に抜けて、金子の後ろでボールと合流した。遊びでやったことがあるが、試合で使うとは夢にも思わなかった。
 あとはゴールに入れるだけ。
 ――お前、ダンクしたことないやろ。
 かつて金子に言われた言葉が、ふと頭に浮かんだ。そして考えるより先に体がそうしようと動いた。
「宮尾!」
 尾崎の叫び声が聞こえた。その声に後押しされて、一気に踏み込む。
 ところが、植松がマークを振り切って、目の前に立ちはだかった。一瞬、怯む。
「宮尾君!」
 今度は星野の声が聞こえた。初めてと言っていいぐらい、聞いたことがない彼女の叫び声。応援する、という口約束を彼女は果たしたのだった。
 怯んだ気持ちが引き締まる。
 植松に構わず、ボールを片手に飛んだ。
 ボールはリングの中に収まった。
 バスケ人生初のダンクだった。


     *


 ……――尾崎が通う大学の近くにある、とある焼肉店。尾崎は金子と二人で会っていた。
「大学はどないや? 楽しいもんなんか?」
「うーん、ぼちぼち。サークルに入ったら、もっと楽しいやろうけど」
 尾崎はもう大学一年生になっていた。
「リョウ君も、大学行けたら良かったのにね。そしたら、みんなとバスケできたのに」
「リョウ君はやめてや」
 金子は照れ臭そうに笑った。
「じゃあ、何て呼べばええの?」
「……何やろな」
「他にないんやから、ええやん」
 金子は苦笑いして頷いた。
「今まで、親に散々、わがまま聞いてもらってきたんや。これからは、恩返しせな。それにバスケは続けとるし」
 尾崎は何も言わなかった。昔からの付き合いだから、互いの家庭の事情はよく知っている。
「……それより、サエの彼氏も今日、来るんか?」
「来るで」
 今日、ここで西桜バスケ部の同窓会をやることになっていた。
「宮尾も?」
「もちろん……何か、あの頃が遠い昔みたいに感じられるわ」
「歳とったんやな」
「――うん、高校が終わって、一気に老けた気がするわ」
 二人は妙にしみじみとしてしまい、思わず笑い合った。
 二年前の冬の大会、西桜は結局、睡蓮に勝てなかった。それでも最後まで競って、彼らは敗れても満足感を得ていた。とはいえ、悔しかったのも事実だが。
 翌年は三年が抜け、新一年生が加わった。夏はベスト8、秋はベスト4、冬はベスト16と結果を残し、宮尾たちは引退した。
 金子が立ち上がった。
「ほな、ぼちぼち帰るわ」
「え、みんなに会わんでええの?」
「ええわ。部外者は、大人しゅう帰ります」
 荷物を取って、そそくさと去っていった。


 最初に来たのは、岩田と持田だった。
「おお、久しぶり尾崎」
 岩田が笑った。
「岩田に持田やん。懐かしいわあ」
「変わってねーな、見た目も、関西弁も」
「えー、かわいくなった、とか言うてや」
「大丈夫、お前、元からかわいいから」
 持田が冗談っぽく、サラッと言った。
「あら、おおきに」
 三人に笑いが起こる。
 そこに村瀬と佐々井が到着した。
「盛り上がってるなあ、と思ったら、まだ三人か」
 と言ったのは、村瀬。
「先輩方、お久しぶりです」
 二人は声を揃えて、軽く頭を下げた。
「腹へったー。先に食ってようぜ」
 佐々井は相変わらずのマイペースぶりをいきなり発揮。
「そろそろ来るだろ。少し待とう」
 村瀬があの頃と同じようにたしなめる。
 時を経ても、あの頃と変わらないものがある。


 当時、一年だった香村と矢部が次に来た。少しして、平岡と長谷部も到着した。
 そして、三浦は一人で来た。
「ごめんなさーい。遅くなりましたあ」
 すると、そこには以前よりかわいさが増した三浦がいた。変化に戸惑った男子は、言葉を失った。
「何か、マコ、かわいくなったなあ」
 彼らを代弁するように、尾崎が言った。
 三浦は親の仕事の都合でまた転校が決まり、三年生になる直前に西桜を去っていた。そのため、彼らには約一年半のブランクがある。
「ホント? ありがとう、サエ」
 三浦は佐々井の方を向いた。
「先輩、お久しぶりです! 元気にしてました?」
「ああ、まあ……」
 佐々井ですら、たじろぎ気味。これは、遠くない内にくっ付くか、と尾崎は一人笑った。
 これで来ていないのは二人だけになった。ちなみに与謝野は呼ばれていない。
「でも、クルミもかわいくなったで」

 尾崎がまだ来ぬ人の名を挙げた。
「あとはあの二人だけか」
 平岡が呟いた。言い終わると同時に、店のドアが開いた。
 宮尾と星野だった。
「すいません、遅れました」
 宮尾は開口一番に謝った。隣で星野も軽く頭を下げる。
「やっと来たか。これで全員だな」
 佐々井が早く食べたそうに言った。
「お二人さん、昼間からアツアツだな」
「肉が焼けそうだな」
 平岡と長谷部が冷やかした。
「うるせえよ」
 宮尾は照れ臭そうに笑った。

 宮尾たちが二年の冬の大会の後、すれ違いとまではいかない間の悪さで、なかなか付き合わなかった二人だったが、宮尾が星野に想いを伝えて、決着がついた。今では同じ大学に通い、時間を共有している。

 村瀬が前に立った。あの頃みたいに、話をしようとした。
「今日は同窓会ってことでわざわざ集まってもらったわけだけど、昔を思い出しながら、楽しい時間を過ごそう。――個人的なことを言うと、今でも大学でバスケを続けている。だが、まだスタメンじゃない。それでも、腐らずに頑張っていこうと思っている」
 村瀬のバスケに懸ける情熱は、まだ衰えていなかった。
「まあ、おれの話はこの辺にして、おれの次の代の部長に、続けて話してもらおうか」
 そう言うと、視線が一斉に長谷部に集まった。それに促されて、長谷部が立ち上がった。
「村瀬先輩の後を継いだ、部長の長谷部です。――正直な所、僕が部長になるとは思っていませんでした」

 ――二年前の冬の大会後、村瀬と佐々井は当然、引退した。
 村瀬は与謝野に退部届けを手渡した後、二人っきりで話がしたい、と言って、体育館に長谷部を呼んだ。
「長谷部、お前にバスケ部部長を引き継いで欲しい」
 長谷部は驚かずにはいられなかった。
「え、僕にですか? どうして、宮尾や平岡じゃないんですか?」
 長谷部からしたら、実力が劣る自分に部長の役は回ってこないだろうと踏んでいた。性格的に、平岡が適任じゃないかと意見として持っていた。ところが、目の前の村瀬は、自分に部長を託すと言っているのである。
「……宮尾、今年一年で伸びたと思わないか?」
 この言葉に異存はなかった。遠くからのシュートに頼りがちだったスタイルが、中に切り込むようになったし、冬の大会ではダンクを決めた。
「それはな、ライバルの存在があったからだ。たとえば、金子。ウチの中なら平岡」
 長谷部にはまだ何の話しをしたいのか判然としなかった。この話が、どうやって部長のことまで繋がるのか。
「宮尾は外からの刺激で一気に成長するタイプだ。平岡もそうだろう。だが、お前は違う。内からじわじわと湧き上がってきて、ゆっくりと、しかし確実に成長するタイプだ」
 村瀬は鼻をさすって笑った。「まあ、おれの分析だから、絶対ではないが」
「つまり、どういうことですか?」
「宮尾が一気に覚醒したように、平岡も覚醒させたい。あいつにはその可能性がある。それには、宮尾を目標にさせるのがいいと思うんだ。そのためには、同じ立場の方がいい。他に煩わせないで、バスケだけに集中できる方がいいと思うんだ。
 こう言うと、お前を軽んじているみたいだが、決してそんなことはない。お前なら部長の任を果たしながら、確実に成長を遂げてくれると思うからこそ、長谷部、お前に託したいんだ。だからって、おれの分析を過信するなよ。練習は絶対に怠るな。部長は口だけじゃ示せない部分がある。背中で模範とならなければダメだ。次の代は新入部員が多そうだし、誰よりも練習して、西桜を引っ張ってくれ」
 長谷部はようやく理解した。人員配置の意図、自分への期待、部長としての役目を。
「どうだ、やってくれるか?」
「分かりました。全力を尽くしましょう」
 村瀬は笑顔になった。
「ありがとう、これで心置きなく引退できる」
 そして、結果的にこの村瀬の人事が功を奏し、長谷部の代は好成績を残した。

「……じゃあ、僕の次の部長にも話してもらおうかな」
 今度、視線が集まったのは矢部だった。咳払いして立ち上がった。
「現部長の矢部です。まあ、僕も部長になったのは驚きだったです。でも、長谷部先輩と違って結果を残せてないので、申し訳ない気がします」

 一年前の冬の大会後、同じように部長を選ぼうとした長谷部は悩みに悩んだ。飛び抜けた存在がいないため、宮尾や平岡にも相談した。
 最終的に性格が真面目な矢部に任せようとなり、矢部は受諾した。
 しかし、結果は散々で、夏とつい最近の秋の大会で一回戦負けを喫し、強豪校への階段を上っていた西桜は大きく後退した。

「冬は勝てよ。目指せ、ベスト16」
 宮尾が言った。周りもそれに乗っかった。
「そうだよ、せめて一勝」
「部員減らしてくれるなよ。せっかく増えてきたんだから」
 OBたちは当事者の苦しみを知らないため、言いたい放題。長谷部と違って、矢部は肩身が狭そうにしていた。
「まあまあ、その続きは後にして」
 村瀬はその間に入った。
「とりあえず、食べようじゃないか。もう焼けてるだろ」
「いただきまーす」
 佐々井が真っ先に取りにいった。遅れまいと、他の部員も続いた。
 場は和やかな雰囲気に変わった。


 一時間ほど経っていた。外の空気を吸いに行くのか、宮尾が誰にも告げずに店を出た。それに気付いた星野は、自分も外に出ようと思い、立ち上がった。
「あんまり、ゆっくりしたらあかんで」
 尾崎が小声で言ってきた。
「ちょっと様子見てくるだけだよ」
 星野はそう言って、そっと店から出て行った。

 宮尾は店の正面にある、緑と白のガードレールに座って、ぼんやりとしていた。星野に気付くと、目を丸くした。
「どうしたの?」
 星野が尋ねると、「ちょっと疲れたから、休憩」と答えた。人と積極的に関わろうとしない宮尾にとって、気の置けない仲間たちとの時間はこの上なく楽しいが、息切れしてしまうようだ。
 星野は宮尾の隣に座った。そこから店の看板が見えて、楽しそうな笑い声が聞こえた。遠くの空は青く澄んでいて、寒い季節の到来を予告している。
「星野」

 宮尾がぽつりと呟いた。
「おれと一番、最初に話したとき、自分が何て言ったか覚えてる?」
「自分がって、私が?」
「そう」
 星野は思い出そうとしてみたが、転入当初の記憶は曖昧だった。正確に覚えているのは、公園で宮尾に会って、朝一緒にバスケをする約束をしたことだけだった。それが初めてではないのだろうか。
「分かんない。はじめまして、じゃないの?」
「だったら、聞かないよ」
 星野はさらに考えたが、これという言葉は出てこなかった。
「じゃあ、正解を教えて上げよう。――ごめんなさい、だよ」
「え、本当に?」
「本当に。転入初日に、体育館を見てる星野に話しかけたら、そう言ったんだよ。何でもない、ごめんなさい、って」
「いきなり謝ったの?」
「ああ。よく分かんなかったけど、緊張してたんだな、たぶん」
「私もよくわかんないと思う」
 二人は笑った。
「――告白の返事が、そうじゃなくて良かった」
 星野は宮尾を見つめた。宮尾も自分を見ていて、とても優しい眼差しをしていた。
「ありがとう。これからもよろしく」
 いつから彼に恋をしていたのだろう。バスケが好きだったように、いつの間にか、当たり前の感情として胸の中に宿っていた。恋した相手が彼でよかった。こんなにも優しくて、愛おしいのだから。
 枯葉を舞わせる秋風の中、どちらからともなく、キスをした。

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