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バスケ物語 ep.10

 寒椿のエース、三年の小松俊平。彼は中学時代から、かなりの実力者として全国的にも名を馳せていた。
 睡蓮のエース、植松達とはかつてのチームメイトだった。二人で無名だった秋桜中学校を全国優勝に導いた。しかし、MVPは――どちらがなってもおかしくなかったが――植松だった。
 そして高校進学の際、二人は寒椿高校に入る約束をしていたにもかかわらず、植松は掌を翻すように睡蓮行きを決めた。多額の裏金が譲渡された、という噂が流れた。
 二人は別々の高校になり、それ以来、都大会で激しく火花を散らしてきた。犬猿の仲ぶりは、多くの人の知る所となり、注目を集めた。
 今ではすっかり和解している。過去のことをなかったことにしたのだ。真相を確かめない代わりに、そのことについて少しも触れたりしなかった。次第にライバルという呼称がふさわしくなり、夏の都大会決勝では、息の詰まるような点の取り合いを展開し、観衆を湧かせた。


「――小松」
 一人で遠くを見つめている小松に、島田が話しかけた。
「次の練習試合、西桜に決まったぞ」
 小松は島田に向き直った。小さな笑みを口の端にこしらえていて、無垢な光が目に見えるようだった。
「あの、いつも序盤で強豪校と当たって、すぐに消える、運の悪いところか」
「何だ、知ってたのか」
 島田は意味もなく頭をかいた。
 小松は西桜と睡蓮の試合を観戦していた。
 言うまでもなく、村瀬と佐々井が中心人物だが、二年のスリーポインターも侮れない。金子には歯が立たないようだったが、彼の中に無限の可能性を感じた。まだまだ強くなる。
 それでも、負けるとは思わない。寒椿の強さを見せつけてやろう。次代を担う一人だろう、名前も知らない彼に。


 練習試合の日、相手が都内ナンバー2ということで、緊張はいつもの練習試合の比ではなかった。実力がどこまで通用するか、胸を借りる立場としての気持ちと、挑戦者として果敢に、貪欲に勝ちを掴もうとする気持ちが胸の中に宿っていた。二つの気持ちは押し合って止まず、時に熱く、時に不安になった。
 寒椿のメンバーが現れたときは、熱い気持ちで占められていた。睡蓮戦の惨敗を思い出し、もっと強くなりたいと願った夜を思った。
 挨拶をし、それぞれのベンチに別れてから、先発が発表された。いつもと同じ五人だった。
「相手のセンターポジションの島田は、日本一と言っても言い過ぎじゃないくらい、ゴール下に強い。体格だけじゃなく、上手いし、状況判断に長けている。だから――平岡、長谷部」
 村瀬は二人を真っ直ぐ見据えた。
「二人で島田にマークついてくれ」
「はい」
 声を揃えた。
「キツイな」
 佐々井の呟きに「ああ」と村瀬は頷いた。
「でも、しょうがない。臨機応変に、三人で四人に対応しよう」


「何で小松のことは触れなかった?」
 ボールの跳ねる音がかしこから聞こえる。試合前のウォーミングアップで、分かれてシュートの練習をしている。
 佐々井が指摘したのは、島田については念入りにデータを伝えたのに、エース小松については何も言及しなかった。いつもの村瀬らしからぬ、手落ちとも言えることだった。
 しかし、小松は手落ちで言いそびれることがあるはずがない存在だった。あえて言わなかったとしか思えなかった。だとしたら、理解できなかった。
「あんまり試合前から脅かしても、硬くなるだけだからな」
 村瀬は抑揚のない口調で答えた。何だそんなことか、というように。
「どうせ試合になったら、別格の実力に驚いて、嫌でも意識することになるぞ」
「佐々井」
 村瀬は言葉を切った。
「ウチが苦手なのはゴール下に強いやつだ。他にどんな速いやつや、遠くからのシュートが上手いやつがいても、どうせ手が回らない。今日の試合から、そういうやつらを意識し過ぎない練習をするんだよ」
「そんな悠長な――」
「まあまあ」
 普段と逆だった。のらりくらりとしている佐々井が突っ掛かって、村瀬にかわされていた。
「練習試合で試せるものは、試してみようじゃないか。もし逆効果だったら、本番ではしないから」
 佐々井はそれ以上、言わなかった。
 ボールの音が体育館に響く。
                                
     十三


 両校先発の十人が、コートの中に立った。
「佐々井先輩、頑張ってください!」
 三浦が声援を送ったが、集中している佐々井は見向きもしなかった。
 三浦の声を最後に、体育館には声という声が掻き消えた。誰もが、今まさに始まろうとしている試合に神経を向けている。
 宮尾と島田のジャンプボールで始まった。身長差から予想できたが、島田が勝った。しかし捕ったのは佐々井で、佐々井は迷わず攻め上がった。寒椿から先制点を奪えたら、大きな価値がある。
 だが、そう簡単にいかない。小松がすぐに詰める。
 佐々井はレイアップのように飛んで、背中にボールを回し、パスを出した。そこには宮尾がいて、きっちりとシュートを決めた。
 西桜2―0寒椿
「油断するな、すぐ来るぞ」
 村瀬が注意を喚起した。すぐにディフェンスに戻って、ゾーンを作る。
 寒椿のボール運びは小松。外側には三年の高井、永田、中村の三人、島田は中を窺おうとしている。スタメンが全員三年生なため、チームワークがいい。
 島田が中に入った。平岡と長谷部がマークするが、その上をパスが通り、やや強引にシュートした。
 西桜2―2寒椿
 村瀬はプレーを止めずに攻めに転じた。ボールを受け取ると走って、敵陣深くまで達した。小松と一対一になり、ようやく止まった。
 左に一歩でて、反転して右から抜いた。しかし、後ろで永田が待っていた。いわゆるシャドウディフェンスでカットして、前線に走る中村にロングパス。
 佐々井が中村の正面に立った。中村は後ろを見ずにバックパスを出し、受け取った高井がフリーの状態でシュート。
 西桜2―4寒椿
 諦めない。宮尾は村瀬からボールを貰うと、外から打たずに中へ切り込んだ。
 いきなり目の前に山が現れたようだった。島田が立ち塞がった。フェイントを仕掛けてから、ジャンプシュートを放ったが、読まれていた。空中ではたかれて、ボールが転々とする。
 まだ終わらない。平岡がそれを拾って、ディフェンスが来る前にシュートした。壁に当たって、ネットを揺らした。
 西桜4―4寒椿
 宮尾と平岡がハイタッチ。
 小松が来た。まず、村瀬を鮮やかに抜いて、宮尾がカバーに入ったが、これも簡単に抜かれてしまう。
 佐々井と向かい合うと、ボールを両手に持ち替えて、ゴール下の島田に山なりのパスを出した。パスだと思ったから、小松から離れて、島田についた。
 ところが、直接シュートだった。見事に引っ掛かった。
 西桜4―6寒椿
 今度は小松と島田がハイタッチを交わした。


 寒椿の連係プレーは穴がなかった。一人ひとりの実力が傑出している睡蓮とは違う強さだった。
 次第に点差が離れていき、後半残り十分となっていた。
 西桜49―65寒椿
 それでも西桜は最後までくらいついた。流れを変えようと、色々と試みた。
 村瀬が普段通りボールを運ぶが、ここでパスを出さずにロングシュートを放った。
 ゴール下で待っていた佐々井がそれを空中で捕って、ダンクシュート。アリウープという技の一つだ。練習でごく稀にしか成功しないのに、本番で見事に決めた。
 村瀬がロングを打たない、という固定観念を打ち砕くものだったが、状況の打破には少し足りなかった。
 残り時間七分。
 西桜55―69寒椿


 中へ果敢に突っ込んだ宮尾が、相手のファールを誘った。フリースローを得て、宮尾は二本とも決めた。
 プレーをいったん止めたことで流れが変わるかと期待したが、寒椿は一糸も乱れない。
 残り時間四分。
 西桜59―80寒椿


 平岡がドリブルで攻め、何人かに囲まれながらも、粘っているところで、審判の長い笛の音が鳴った。残り時間なし。試合終了だ。
 西桜69―99寒椿
 何とか百点ゲームにされずに済んだが、やはり実力の差は明白だった。
 ――大丈夫かなあ
 誰かの声で台詞が降ってきた。誰もそんなこと口にしなかったが、雰囲気からそれが出てきてもおかしくなかった。それぞれが抱える表情に明るさはなかった。
 秋の大会まで一ヶ月を切っている。


 後から振り返れば、言い訳は何とでもできる。だけど、それで過去が戻ってきたりしない。過去と名付けられた瞬間、人間には干渉できないものになってしまう。悲しかったとか楽しかったと過去の上に冠を被せても、捉え方が微妙に変化するだけで、その形が本当に変わることはない。
 だから明るい未来を望んでいるだけでは駄目なのだ。次々にやってきて現在に変わる未来を大切に、真剣に取り扱わないと、絶対に後悔することになる。
 宮尾たちは全力を尽くした。現在を蔑ろにしなかった。でも、報われなかった。また一つ、終わってしまった未来が過去になった。


 秋の大会、西桜高校は一回戦を突破した。一回戦の相手は、五月の練習試合で対決した新設校の百合高校だった。宮本渚の実力を改めて思い知らされることになったが、レベルアップを図ってきた西桜の前に膝を屈した。
 意気揚々と次の試合を待ったが、またも厳しい現実を突きつけられた。二回戦の相手校は、またもや睡蓮高校だった。
 それでも早々と白旗を揚げる彼らではない。必死にくらいついて、最後まで折れそうになる心に鞭打って、勝利の二文字を掌に収めようとした。
 しかし、及ばなかった。
 試合後、悔しさのあまり、村瀬が周囲の目もはばからずに、声を上げて泣いていた。宮尾はもらい泣きしそうになったが、こらえた。自分に泣く権利はない。そう戒めた。


 ……――それから一週間がたった。
 本格的な冬に入ろうとする中、西桜高校ではある行事が始まろうとしていた。それは球技大会である。
 種目は、バスケ・サッカー・バレーボール・卓球。そこから一人二種目を選んで、クラス対抗で争う。
 西桜はバスケ部員が各クラスに上手い具合に散らばっているため、秋の傷が癒えぬとはいえ、白熱した試合が期待された。
 午前中に女子のバスケの試合がまず行われた。準決勝で、女子バスケ部員がいるクラス同士、つまり尾崎と星野がいるB組と、転入生の三浦が加わったC組が当たった。
 三浦は中々の実力者で、他の運動部員たちを嘲笑うようにドリブルですいすいと抜いていった。ただ佐々井目当てでバスケ部に入ったわけではないと証明するのに充分な説得力があった。昔からバスケには携わっていたようだ。もしかしたら、女子バスケ部のある学校で、プレーしていたのかもしれない。そう思うと、宮尾は彼女に親しみを覚えた。
 尾崎も負けていない。元々、球技大会の女子バスケでは彼女の独壇場になっていたから、三浦が対抗馬として現れたのは、良い刺激になっていた。
「クルミ」
 試合の終盤、尾崎が星野に話しかけた。
「私がマコにマンマークでつくから、クルミが攻めてや」
 星野は普段の彼女らしからぬ力強い返事をした。
 残り時間わずか。その星野にボールが渡った。――一瞬、宮尾は視線を向けられた気がした。そうかと思った刹那、スリーポイントラインから両手でシュートを放った。
 ボールは高々と上がった。そして気持ち良いぐらい、きれいにゴールへと突き刺さった。
「ナイッシュ!」
 尾崎が背中を叩いた。星野は上気した顔で「ありがとう」と答えた。
 その点差を守りきり、B組は決勝進出。
 さらに決勝も勝利し、女子バスケ優勝を飾った。


「星野かっこよかったな、あのスリー」
 球技大会の日は、どこで昼食をとってもいいため、宮尾は尾崎に誘われて、平岡と星野を加えた四人でグラウンドの隅に弁当を持ってきていた。
 星野は照れながら頭をかいた。
「自分でもビックリした。宮尾君みたいなスリーが打ちたいなあ、と思って、練習してたけど、あそこで決められるなんて思わなかった」
 宮尾君みたい、というフレーズが頭に残った。そういえば、朝練で練習している姿を見かけた。宮尾は嬉しさのあまり、二の句が継げなかった。
「ちょっと宮尾、私も褒めてや」
 その微妙な間を縫うように、尾崎の言葉が入った。宮尾は我に返って、いつものように軽口を叩いた。
「ああ? だって、今さらって感じだしなあ……何てな、三浦を上手く抑えてたじゃん」
 と言うと、尾崎は得意気に胸を張った。
「そやろ? マコ、上手いかも、とは思ってたけど、予想以上やったわ」
「ただの佐々井先輩ファンじゃなかったな」
 と言ったのは平岡。
「――ところで、宮尾と平岡は、当たるとしたらいつや?」
 尾崎が話題を変えると、「決勝」と口を揃えて答えた。
「そうなん? できるとええね」
「シンジ、上がってこいよ」
「お前こそ、一回戦で負けんなよ」
 冗談っぽく言ったが、一回戦負けは現実的な話だった。一回戦の相手は、佐々井がいる三年C組。トーナメント表が張り出された後、佐々井はウチのくじ運の悪さはお前のせいじゃねえか、と悪態をついたが、宮尾もこれでおれらが勝ったら、先輩のせいですよ、と言い返した。
 宮尾は星野の方をちらっと見た。笑顔で尾崎と話していた。
 試合中のわずかに向けられた視線は、気のせいだったのだろうか。確かめるわけにもいかないが、そうしたらもう一つ、もっと大事なことを確かめたい。合宿のこと。そして星野の想い。
 頭の中が覗けたらなあ、と考えた宮尾は、心の中で苦笑した。それができたら、知りたくないことまで知ってしまいそうだ。

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