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つぎはぎ細工(2)

 思惑通りに事が運ばなかった私たちは、学校の近くにあるファーストフード店で話し合うことになった。浜中と小笠原は、荷物を置くとすぐに注文にいった。杉内はまったく動く気配もなく座っていた。私も彼に聞きたいことがあったから残った。
「あの、杉内君」
 恐る恐る話しかけた。杉内は、目だけこちらを向かせた。
「三人の中で教頭先生に恨まれるような事をした人いる?」
 初めて話しかける言葉がこれとは、我ながら半ばあきれる。私は反対された理由が、私怨的なものだと踏んでいた。 
「いる。おれだ」
 彼は即答した。即答されて驚いた。心当たりがあったのかな。
「ちょっと前に、俺が掃除中にふざけてて、水で濡れた雑巾投げたら、たまたま教頭に当たってよ」
 私はその光景を浮かべて、笑いを漏らしてしまった。顔を上気させた教頭先生が目に浮かぶ。
「もちろん、カンカンに怒って、おれを退学にさせる、とかわめいてたけど、校長が取り成してくれた」
 おそらく、それが今回の原因だろう。そのことを教頭先生はかなり根に持っているようだ。これで冷たい眼差しの理由も頷ける。
「だったら、その校長先生にまた助け舟を出してもらったら?」
「残念ながら校長は今、入院中」
 チキンナゲットのセットを持ってきた小笠原が言った。「そんなに重くはないけどね」と、浜中が補足する。
「だから教頭の許可が必要だってわけ」
 浜中の手には、ポテトとジュースが四つずつ乗ったプレートがあった。それを一つずつ全員に配った。
 校長先生が入院しているとは知らなかったが、それでも彼の助けは必要だ。このまま教頭先生に頼み続けても変わらない。
「でも、やっぱり、校長先生の助けが必要だと思うよ。早く部活動を始めるためにも」
 何とか言い切った。面識が薄い男子に話すだけでも、だめな私は苦心する。
 私の言ったことに、小笠原と浜中が頷いてくれた。杉内はまるで聞いていないような顔をして、黙っていた。
「じゃあ、今から病院に行ってみるか。校長が入院してる」
 浜中が提案した。
「今から?」
 小笠原がチキンナゲットにかぶりつきながら、困惑の表情を浮かべた。
「一日でも早く部活動を始めたいからな」
 浜中が言い終らないうちに、杉内が突如、立ち上がって、走り出した。予期していたのか、浜中もそれに続いた。
「お、おい! 待てよ!」
 小笠原はナゲットを口にくわえたまま、慌てて走りだした。そのぐらい置いていけばいいのに、と思いながら私も走り出した。


 病院はそこから二キロ離れたところにある。体力のない私は途中でばてて、先行する三人を見失ってしまった。
 病院の場所は知らないが、名前は知っていた。
「向井病院だ!」
 はぐれそうになる寸前、浜中が叫んで教えてくれたからだ。もう走るのを諦めて、道行く人に、「向井病院はどこですか?」と尋ねながら、徒歩でそこを目指した。
 やっとの思いで病院に達した。正面ゲートから入ろうとすると、ちょうど自動ドアが開いて、中から嬉しそうな顔をした三人が出てきた。
「おう、遅かったな」
 小笠原の声は心なし弾んでいた。
「もう済んだぞ。これ見ろよ」
 浜中が一通の封筒に入った手紙を差し出した。宛名には確かに教頭先生の、差出人には校長先生の名が記されていた。わざわざ手紙を出すとは。今の時代、電話で済ませればいいものを。でも、手紙のほうが重みがあるかも。
 三人が喜んでいる、ということは、校長先生は部活を認める発言をしたということだろうか。
「よっしゃ、早速これ渡しに行こうぜ」
「焦りすぎ。とっくに下校時間だって」
「杉内の言うとおりだ。渡すのは、明日の朝とかでいいだろう」
 この三人は長い付き合いらしい。なんてことない会話の中にも絆の強さを感じさせる何かがある。この三人のやりとりを見ていると、憧れのような羨望のような感情が湧き上がってくる。
 それだけに、不安にもなる。私がこの中に入れるのだろうか。いつか心が通じ合う日が来るのか、と。もし来ないと分かったら、私は自分からこのバンドに別れを告げよう。今はただ、その日が来ることを信じてやっていくしかない。


 夕闇が空を侵食し始め、やがて世界は漆黒に覆われ、街には文明の灯りがともる。そしてまた朝が音も立てずにやってくる。世界で何が起こってもその秩序は変わらない。戦争が起こっても、大切な人との別れがきても、無情にもそれを繰り返し続ける。
 私の昨日までの日々は、その繰り返しの中で平凡に過ぎていった。でも、今日は違った。結局、バンドはできなかったものの、放課後に目的を持って過ごすのは、意外と有意義だった。一年のときも何か部活をやっておけばよかったかもしれない。
 そんなことを考えて風呂に浸かっていると、ややのぼせ気味になって、風呂から出た。
 タオルで体を拭きつつ、洗面台に置いた携帯を見やると、メールが来ていた。送り主は浜中。そういえば、帰り際に教え合ったな。
 タオルを体に巻いて、浴室のすぐ隣の自分の部屋へ行ってから内容を読んだ。
「浜中です。今日はお疲れ。明日からバンドの練習、始めようと思うから、ギター持ってきて。あと、もしかして二つ持ってない? 持ってたら、大変かもしれないけど、持って来てくれる? お願いしまーす」
 ギターか。幸か不幸か、私は二つ持っている。習い始める頃に買ってもらったのと、お父さんからお下がりでもらったもの。大変だろう、なんて簡単に浜中君は言ったけど、非力な私にとって本当に大変だ。綾の助けを借りなければ。
「お疲れです。二つ持ってるよ。明日持って行くね。おやすみなさい」
 返事を返すと、体を包むものがタオル一枚だと気付き、風邪をひく前に寝巻きに着替えた。
 そして明日もいい日になると願って、眠りについた。


 私がギターを始めたきっかけは、幼い頃に誰もが抱くかっこいいものに対する憧れだった。テレビの音楽番組でギターを弾いている姿をたまたま目にし、夢中になった。親にギターを習いたい、と懇願し、お父さんが高校時代やっていたこともあって、あっさり了承してくれた。最初はギターができる喜びで通い続けていたが、次第に面倒くさくなって、でも言い出した手前、やめたいとは言い出せず、後半は義務的に続けていた。
 それでもコードはちゃんと覚え、やめて数年たった今でも弾ける。
 だから、こんな形でまたギターをすることになるなんて、思いもしなかった。幼い頃のあの気持ちがなかったら、彼らとバンドを組むことはなかったわけだ。
 今回は面倒くさがらずに、続けていけたらいいな。そう思う。


 ギターを持って学校に行くのは、やはり苦労した。綾に一つ持ってもらったから重さは半減した。しかし、周りからの視線がやや気になった。ウチの学校には軽音部はないから、ギターを持って登校する人なんてまずいない。
「何でギター持ってきてるの?」
 とか聞かれて、
「バンド組むから」
 という内容の言葉をうやむやにして返した。自信を持って、答えるのは私にはとうてい無理だった。
 学校に着くと、私の席の近くで小笠原、浜中、杉内が話していた。私の姿を確認すると、
「よし、揃ったな。じゃあ、教頭に渡しに行こう」
 と浜中が促して、教室を出ていった。私はギターを置いて、「綾、ありがとう」と告げると、慌てて三人を追いかけていった。その姿を見ていた綾の顔は、やはり子どもを見守る親のようだった。さしずめ、私は親離れが始まった思春期の子どもといったところか。


「教頭先生、校長先生からお手紙を預かってきました」
 浜中が代表して、その手紙を渡した。
 教頭先生は受け取って、中から手紙を出して読み始めた。
「……フーム」
 読み終わったのか、短い嘆息を漏らした。そして、しぶしぶ喋り出した。
「校長先生が言うには、もう一組バンドを組んで軽音楽部を始めたいといっている生徒たちがいるそうだ」
 私たちの顔に驚きの色が現れた。
「そこで一ヵ月後にライブを行い、全校生徒の投票を募り、多かったほうが正式に部活動として認められる、ということだ」
 てっきりもう認められると思っていただけに、予想外の展開に動揺を隠せなかった。
「どうして一組だけなんですか?」
 小笠原が尋ねた。
「予算の関係とできるだけしっかりしたバンドを初代軽音楽部のメンバーとしたいそうだ」
 それなら、別に二組がなってもいいと思うけどな。まあ、校長先生が言うなら仕様がないか。
「相手は誰ですか?」
 今度は浜中が尋ねた。
「田辺、吉村、森山、高田の四人だ」
 全員男子で、顔と名前も一致する。といって、特別仲のいい間柄ではない。
 彼らと勝負するのか。たとえ軽音部になれずとも、一回は全校生徒の前でライブをする、ということだ。情けない話だが、泣きそうなほど緊張してきた。
「勝負までの練習は、音楽室を使っていいんですか?」
 高鳴る鼓動を感じながら、私が質問した。
「ああ。明日から一日交替で使ってくれ。――田辺たちには、私のほうから伝えておこう」
 私たちは朝休みが終わる時間が迫ってきたので、教頭先生にお礼を言って、教室に戻った。


 昼休みに私たち四人は再び集まった。
「まさか、こんな事になるとはなあ」
 小笠原がみんなの気持ちを代弁して言った。
「ま、決まったことは仕方ない。できることから始めようじゃないか」
 浜中が中心になって話し合いを始めようとする。彼には、生まれ持ってのリーダー性があるようだ。この短期間でそう思わせるほどに。
「まず、楽器構成を決めよう」
 まだ決まっていなかったのか、とちょっと拍子抜けした。浜中は続けた。
「まず、ギターは相川。これは決定事項だな」
 と言って、私を見やった。私は微笑みながら頷いた。
「次にボーカルは杉内、でいいか?」
 振られた杉内は、「ああ、いいよ」と短く答えた。前から打診されていたらしい。
「じゃあ小笠原、残りのベースとドラムからやりたいほうを選んでくれ。おれは余ったほうでいい」
 小笠原は低く唸った。
「うーん。ずっと考えてたけど、やっぱりベースかな」
 それを受けて、
「ということは、おれはドラムだな」
 浜中が自動的にドラムに決まった。
「杉内は歌いながらギターも弾くからな。お前が一番、大変だぞ」
 杉内は苦笑した。一ヶ月でできるようになるのだろうか。
「相川が杉内に教えてやってくれ。まあ、昔から音楽のセンスはあるから、教えがいはあると思うよ」
 へえ、杉内君に音楽センスがあるのか。私は感嘆の声を漏らしながら杉内に視線を向けたが、彼はまっすぐ前を見たままだった。
「にしても、田辺とかと勝負するのって、何か面白いな」
 小笠原が話題を変えた。彼は舌がよく回る人だ。
「田辺って、あのオタクだろ。楽器できるのかよ」
 田辺君がオタクだと知らなかったから、私は一人、驚いた。でも、オタクをかばうつもりはないけど、オタクが楽器できない、なんて偏見だと思う。
「高田って、老けてるやつだよな。あいつがやるのは分かるよ。ロック好きそうだし」
「吉村も好きそうだな。あいつ声でかいから、ボーカルかもな」
「森山って、誰だっけ。いまいち分かんないな」
「ああ、あの女好きだろ」
「そうそう。また不純な動機でバンドやろうと思ったのかな」
「はは、あり得るな」
「……おれたち、勝てるかな」
 浜中がぽつりと呟いた。その声の響きは、勝つ自信があるとも、負ける不安があるとも受け取れた。
「大丈夫。杉内がいるだろ」
 小笠原が期待の目を向けた。その目線の先で、杉内はまた苦笑した。
「プレッシャーかけるなよ」
 どうやら、杉内君は歌うのが相当、上手いらしい。
「杉内君って、そんなに上手いの?」
 私は思ったことを口にしてみた。
「やばいよ。聞いたら、絶対ほれる。――な!」
 小笠原が杉内の背中を叩いた。叩かれた杉内は、照れくさそうに笑った。
「そうだ」
 呟いてから、私は壁に立てかけていたギターを一つ取って、杉内に渡した。
「私のお父さんが使ってたものだから、古いけど、音はちゃんと出るよ」
 杉内はギターを両手で受け取ると、「ありがとう」と呟いた。その響きが新鮮で、しばらく頭の中で余韻を残した。
 こうして、私の神様に用意されたシナリオは、分岐点に差し掛かった。この先がどうなるかは、誰にも、もちろん私にも分かり得ない。まさに、神のみぞ知る、だ。
 ちなみに曲はバンプの『天体観測』に決まった。

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