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バスケ物語 ep.12

 夜も更けてきたが、街を彩るイルミネーションが幻想的で、今日の夜は無限に続く気がした。
 駅前で星野と待ち合わせた。電話越しの声は特別、驚いた様子もなく、「いいよ」と呟いた。どんな状況で電話を受け取ったのか気に病んだが、今さら乗りかかった船も同然、やるしかない。
 先に着いて心を落ち着かせる余裕が欲しかったが、星野はすでに来ていた。白いマフラーに口元をうずめて、小さな鞄を持った両手を寒そうにさすっていた。宮尾に気がつくと、小さく手を振って微笑んだ。
「早いな」
 宮尾の声が白い息に変わって、星野に届く。「たまたま、近くにいたから」
 どんな状況か、少し解けた。とりあえず、外出していたようだ。
「そうだったの? 一人だった?」
「ううん、さっきまでサエと一緒だった」
 また一つ解けた。女友達同士仲良く、イブの夜を過ごそうとしていたわけか。そういえば、毎年、尾崎はこの夜をどう過ごしていたっけ。やっぱり友達とだったかな。というか、それなら三浦も誘えば良かったのに。でも、三浦が見栄を張ったのかもしれない。あるいは一人を望んだだけかもしれない。後者の方が三浦らしい。
 そんなことより、と考えを中断させた。これから目の前の少女に告白するのだ。そのために寒い夜に、こうやって待ち合わせたのだ。星野は呼び出されたことをどう思っているのだろう。尾崎に何と言って別れたのだろう。先に平岡に呼び出された尾崎が、別れを告げた後だったのか。そして、どうやって愛の台詞とやらを切り出そう。バスケだったら、即座に判断がつくのに、経験値のなさはどうしようもない。
 星野と目が合った。見つめ合っていると、星野はいつもみたいなはにかんだ笑みじゃなく、きれいな笑みを返してきた。その瞬間、途方もなく目の前の彼女を愛おしいと思った。
 すると、三浦の一言で崩れかけ、平岡と出会って息を吹き返した決心は、音を立てて崩れていった。
 その笑顔を失いたくないと思った。想いを告げてダメだった後、今まで通りに接せなくなるのが、死ぬほど嫌だと感じた。この笑顔が見られるのなら、今のままでいい。
 宮尾は告白の言葉を切り出さず、ファミレスでごはんを食べようと言った。
 二人は何でもない話をしながら、聖なる夜を一時だけともに向かい合った。
 そして和やかな雰囲気を保ちながら、別れを告げた。


 家に帰り着くと、携帯にメールが届いていたことに気付いた。星野に会っている間中、サイレントモードにしていたから分からなかった。
「上手くいった! そっちはどうだった?」
 平岡からだった。胸が何かの呵責に苛まれた気がした。そして、やはりあのとき星野に伝えれば良かったと、今頃になって後悔した。
 平岡と尾崎が付き合うことになる、理解はできるが、実感が全く湧いてこなかった。ニュースで近所が映されたときみたいに、それだと分かるのに、イマイチぴんとこない。
 尾崎がおれのこと好きかもしれない、という考えは逃げじゃなくて、杞憂だったわけだ。そうだと知ると、自分が自信過剰で哀れな人間に思えてくる。
「できなかった。おれの負けだな。簡単に別れんじゃねーぞ」
 いつも通りの応答をした。メールが便利な所以はこれもそうかもな。
 これから日常が微妙に変わる。どうすればいいのだろう。果たして耐えられるだろうか。宮尾は一人、悶えていた。
 
 星野は二人きりで宮尾と会ったとき、実は想いを伝えようと心に秘めていた。自分から言い出せなくて、逆に向こうから誘ってきたこのチャンスを逃すまいと思っていた。
 しかし、相手の気を引くために作った笑顔が、それまでの宮尾の様子を変化させた。気のせいだろうと、意に介さないこともできた。だけど、神経が過敏になっていたあのときは、無視できなかった。
 作り笑いなんかしたから、慣れないことをしたものだから。星野は別れた後ずっと悔やんでいた。


 色んな人たちの想いが詰まったクリスマスが、今年も終わった。


 そして、新年を迎えた。
 村瀬と佐々井にとって、残された時間はほんのわずか。


 一月が始まって一週間もたたないうちに、冬の大会が到来した。

 西桜のバスケ部が、会場に乗り込んだ。
 すでにトーナメントが発表されていて、西桜の相手は山茶花高校となっている。あの台湾、韓国人留学生を擁する所だ。練習試合で対戦したときは、23―50で敗れている。宮尾たちは雪辱に燃えていた。
「何より相手は」
 村瀬が控え室でいつも通り話している。この光景も、敗れた瞬間に、見納めになってしまう。一試合でも多くバスケがしたい。少しでもたくさん村瀬の話を聞きたい。
「フィジカルが強いから、ゴール下が強い。防ぐためには、最初からゾーンディフェンスを仕掛けよう」
「体力的にきつくないか」
 佐々井が肩をゆっくり回しながら言った。
「当然きつい。でも、勝つための最善を尽くすしかない。それにきついのは向こうも同じこと。走り込みで鍛えてきた体力を見せつけてやろう」
 部員とマネージャーを交えて、円陣を組んだ。「気負わず、平常心でいこう」村瀬が第一声を上げる。
「絶対勝つぞ!」
「おお!」
 内側から心地良い感情が湧きあがってくる。緊張にならないように、胸に手を当てて静かな闘志に変換を試みる。
 コートに出た。冬の大会が幕を開ける。


 試合開始早々、宮尾がスリーポイントシュートを挨拶代わりにぶち込んだ。西桜に主導権を持ってくるには、インパクトが強い方がいい。
 次に魅せてくれたのは、西桜の押しも押されもせぬエース、佐々井。ドリブルで二人かわして、空中でシュートのタイミングをずらし、ディフェンスの腕をかいくぐって決めた。この華麗な技に、観客席から賞賛の声が上がった。
 平岡は山茶花の留学生たちにゴール下で果敢に挑み、幾度かリバウンドを捕った。
 長谷部はパスカットを連発。さらに上手くマークを振り切って、得点に貢献した。
 そして精神的支柱である村瀬は、キラーパス、ゲームコントロールの冴えが遺憾なく発揮された。
 西桜は実力を余す所なく見せつけ、四十点差で快勝した。
 西桜98―58山茶花
「ありがとうございました!」

 冬の大会、一回戦を突破。


 西桜は着実に成長していた。個々の力もそうだが、五人の連係も春先から見違えるようなレベルに達していた。また、試合に勝ったことで自信もついて、次の相手が東京都ナンバー2の強豪、寒椿にもかかわらず、精神的に落ち着けていた。
 昼休みを挟んで、午後にその試合が行われる。
 軽い昼食やストレッチなどで昼休みを費やすと、また控え室に集まった。全員揃うと、村瀬が今日二回目の話を始めた。
「一回戦、おつかれさま。もう分かったと思うが、おれたちは強くなった。寒椿が相手でも引けを取らない。だが、驕れるなよ。まだまだ定着していない。勝ち続けることで、少しずつ確かなものになる。
 今のおれたちには勢いがある。これを利用しない手はない。前半はガンガン攻めて、後半は打って変わって守りを重視する」
「前半でリードされてもか?」
 一回戦と同様、佐々井が質問した。村瀬は首を横に振った。
「いや、されない。前半は命懸けで攻めて、必ずリードして後半に繋げる。リードできなかったら負けだと思え」
 村瀬の作戦は積極的だった。勝つことを本気で考えている。桶狭間の信長も顔負けの、わずかな希望を見出す作戦だ。
「じゃあ、また円陣を組もうか」
 立ち上がって、近くのやつと肩を組んで円を作る。
「絶対勝つぞ!」
「おお!」
 ふと、星野と目が合った。だが星野はすぐに目をそらして、飲み物やタオルの準備を忙しそうに始めた。宮尾は何も言わずにコートへ出て行く仲間たちに続いて、控え室をあとにした。


     十六


 寒椿といえば、睡蓮のエース植松の好敵手、小松を軸に、今大会ナンバー1センター島田、そして高井、永田、中村とスタメン全員が三年生のチーム。彼らにとって最後の大会だから、懸ける気持ちは強い。
 一方、夏秋と涙を呑んできた西桜も、村瀬と佐々井にとって最後の大会であり、彼らの思いも小松たちと同等にある。
 試合が始まった。先にボールを手にしたのは長谷部。素早いドリブルで、ゴール近くまで達した。そこに小松が立ち塞がる。
「ここまでだ」
 静かに告げた。
 長谷部はひるまずに飛んだ。といって、シュートではなく、背中越しのパスを平岡に通した。平岡は落ち着いてそれを決めた。
 西桜2―0寒椿
 攻めが前半のテーマだが、攻守が入れ替わるバスケだから守りもおろそかにできない。
 小松がボールを持った。全身に緊張が走る。ドリブル、ゆっくりしている。村瀬の前まで来て、突如スピードアップ。簡単に振り切って、宮尾と一対一に。宮尾は片手を上げて構えた。シュートを打つのか、ドリブルで抜かしに来るのか見極めようとした。
 ところが、小松がとったのは予想外の行動だった。反転して、ゴールに背中を向けたままシュートを放った。ふざけているのかと思っても仕方がないプレーだったが、それが見事に決まってしまった。
 観客がどよめいた。どこかで見ている植松も驚いているかもしれない。
 西桜2―2寒椿
 西桜の面々は舌を巻かざるをえなかった。


 それでも西桜の攻めの姿勢に衰えが見えることはなく、得点を重ね続けた。前半でリードする、という試合前の目標は達成できそうだった。
 そんな中、ゴール下で島田に対する佐々井のディフェンスがファールを取られた。
「ファウル! バスケットカウント、ツースロー!」
 フリースロー二本、与えた。
 島田はセンターとして高い評価を得ているが、フリースローにはやや難がある。
 一本目はエアーボール、つまりリングにすら当たらずに外れた。
「おいおい、頼むぜカイ」
 小松が島田の名を呼んで笑った。
「分かってら、次は入れてやるよ」
 島田も仕方なく苦笑い。
 二本目は本人の言ったとおり、ボードに当たってゴールに入った。
 それと同時に前半終了の笛が鳴った。
 西桜45―30寒椿
 前半が終わって十五点差もつけられた。あとはこのリードを守れば良いわけだが、それには一つ問題があった。


「まずいな……」
 ハーフタイムに入ってから、村瀬が開口一番そう言った。
「何がですか?」
 宮尾が聞き返す。
「ファウルが多過ぎる。リードを奪うことに専念し過ぎて、そこまで考えが回らなかったな」
「村瀬、おれいくつ?」
 佐々井が尋ねた。「お前は四つ。あと一つで退場」
「マジかよ……」
「先輩、おれは?」
 不安になったのか平岡も尋ねた。
「平岡は三つ。長谷部が四つ、宮尾は――あれ、なし? お前、ディフェンスちゃんとやってたか?」
「やってましたよ!」
 場に笑いが起こる。
 つまり、問題とはスタメンが欠ける恐れがあることで、選手層に薄い西桜にとって、一人でも欠けたら守り切るのが大変になる。
 それでも守り切るしかない。


 後半がスタートした。守り切るために、攻撃時もカウンターに備えて平岡が常にディフェンスに残っている。
 小松がドリブルで切り込んで、ゴール近くで高井にキラーパス。高井はもちろん打ちにいった。
 それを佐々井が防ごうとして手を出したが、ボールではなく手を叩いてしまい、後半早々にファウルを取られた。再びフリースロー二本。
 そして五つ目となったから、佐々井は退場。恐れていたことが、現実となった。
「そんな、先輩が……」
 思わず宮尾は呟いてしまった。
「すまねえ、後は頼んだぞ」
 佐々井は背中を向けたままそう言って、ベンチに下がった。


 佐々井のバスケットにおけるテクニックは群を抜いているが、フィジカルが弱いことが玉にキズとも言えて、相手に強く当たれなかった。そのため怪我を恐れることもあって、ディフェンスに必ずしも積極的ではなかった。
 そんな彼を親友の涙が変えた。秋の大会二回戦で、悔しさに涙を流した村瀬を見て、決心した。これからは、もっとディフェンスでも貢献できるようになろう、と。
 そして一回戦の山茶花、今の寒椿戦で実行した。ただ、不慣れなことだったため、失点を防ぐには防げたが、ファウルがどうしても多かった。それでも最後まで躊躇しなかった。勝つために、親友のために。


 代わりに岩田が入って、試合が再開した。
 高井はフリースローを二本とも決めた。
 西桜45―32寒椿
 攻めは宮尾のスリーが中心になった。だが、直後のプレーでいきなり外してしまった。
 そして、寒椿は逆襲に転じる。小松のパスを永田が入れた。
 西桜45―34寒椿
 今度は村瀬が運んで、また宮尾にパス。シュートと見せかけてから、長谷部に渡した。長谷部は中に入ろうと、中村を肩で強く押した。反動で中村は倒れた。審判の笛が鳴る。長谷部はボールを持ったまま、青い顔で立ち尽くした。
 ファウルだった。長谷部も退場を宣告された。これでスタメンが二人も欠けてしまい、点差を守りきれるか不安が胸をかすめた。

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