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私が目指す十人十色な社会


はじめに

その折折に話しているが、これまで学生を卒業して社会にポンっと投げ出されてから、自分が何をしたいか分からず、社会的な評価を気にしてキャリアを積んできた。学生時代は真面目に授業を聞いて、真面目にテスト勉強をすれば、それが社会的な成功に繋がると思っていた。大学在学中も就活に有利そうだから、という理由でサークルを選んでいた。でも、成功なんてそもそも人によって価値観が違うのに、わたしは勝手に年収や社名や肩書で、成功を定義してしまっていた。

自分と本気で向き合うきっかけ

子供を授かったことで、これまで通りに働くことができなくなり、初めて自分の今後の人生に本気で向き合うことになった。実は、妊娠出産を経て我が子と向き合ううちに、自分が幼少期に我慢していた感情がフラッシュバックし、なんであの時、親はこんなことを私に言ったのだろう・・・と疑問の渦が沸いてきた。そう、子育ては自分育てでもあるのだ。

自己分析に明け暮れる日々

それからというもの、あらゆる自己分析の本を読んだり、占いを受けたり、Youtubeで自分の星座、九星気学、数秘など沢山インプットを重ねた。そして、時代の流れに乗ろうと、Webライターの講座を受けてみたり、資格の〇ーキャンで整理収納アドバイザー準1級を取得したり、英語講師養成講座を受講してみたりした。今だから言えるが、正解は自分の中にあるのに、そこと向き合うこともせず、外へ外へと自分探しをしていたのだ。自分の中にあると言っても、簡単に見つかるわけではなく、自分との対話や、他者と対話の中から、少しずつ分かってくるものだと思う。

やっと気づいた、生まれながらに大事にしていること

過去の記憶をたどっている内に、小学校の低学年の時に、習字の授業で四字熟語を書く機会があり、国語辞典の中から、好きな言葉を選んで書くというものだった。そこで私はパラパラと辞書をめくっている中で、『十人十色』というシンプルながらも、とても意義のある四字熟語に出会った。みんな違って、みんな良い。めちゃくちゃ良い言葉だと思った。自分の既存の価値観と共鳴したから、あの時ピンと来たんだと思った。
そして、小学校4年生の時に、初めて中国人の転入生が来て、私は彼が日本語が全く分からない中で、どうやって友達になろう・・・と、目の前にいる初めて会う身近な外国人の彼に興味深々だったことを思い出した。仲良くなって、彼の母国のことや、言語を教えてもらいたいなっと思っていた。この頃から、海外や外国人という、まったく異なる価値観に対する興味や好奇心があったのだと思う。そして、私は小学生時代から、支援学級にいるお友達にも、分け隔てなく(困っていることがあれば)手を差し伸べたかったし、美術の課題で周りの生徒が、ゾウさんの絵描くときに、みんなグレーで塗っている中で、私はピンクで塗っていたというエピソードを思い出し、枠にとらわれない考え方も、このころから私の個性だったのだと思う。

終わりに

学校生活は集団の中でのルールや協調性を学ぶ、とても大切な場だと思う。その反面、小学生の頃の私は、その小さな社会の中で、ざっくり分けると、明るく元気なチーム、おとなしく静かなチームのどちらに所属すればいいのか、、自分は何者なのか、、悩んでいたなと思う。
親から言われる価値観と、先生から言われる価値観と、何を信じれば良いのか、大人は自分の目線で物を言いがちで、子供がそこに疑問を感じても、誰に相談すればいいか分からずに悩んでいた。当時は、自分が悩んでいるのかさえ、子供だからわかっていなかったのかもしれない。日々を生きるのに必死だったようにも思う。(学校でいじめられないように、先生や親に怒られないように。。部活や習い事での人間関係。。)
私は自分のこれまでの経験を通じて、子供が生まれながらに持っている、輝く個性の光を消すことなく、自己肯定感を高く、成長して、社会に出るときに、『私はこれがやりたい』『私はこういう個性です』と胸を張って言える大人になって欲しいと心から願っている。そのためには、他人と比べてうらやむ必要なんてないことを、子供の頃から伝えていく必要があるし、すでに持っている個性がいかに素晴らしいものかを、伝えてくれる大人の存在が必要だと思う。成績やテストの点数、どんないい学校に行くか、でその子の価値は決まらない。
今、保育園で自分の好きな虫を追いかけて、好きな絵を好きなように描いている子供達が、小学校に上がって、集団生活の中で、悩んだり迷ったり、親や先生には相談できないことが、きっとあると思う。親や学校の先生以外の駆け込み寺のような存在になりたい、と密かに願っている。








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