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「承認」は価値観?それとも…

コーチングをする中で価値観の探索をしていると、「誰かに認められたい」とか「承認欲求のカタマリです」という人に出会うことがとても多い。

結論これは「自分の」価値観ではない。
なぜなら、「承認」というのは「誰か」が価値を感じた証としてFBされるものだからだ。
価値観とは、自覚的か無自覚かはさておき、自分自身が大切にしている考え方や思いのこと。

「承認」の向こう側にあるものに価値観が隠れている

コーチングで関わったとあるクライアント(掲載許可を得ています)とセッションをしている中で、自分のことを「承認欲求おばけ」と表現していたYさんの話をしたい。

「Yさんにとって承認ってどんなことなの??」
と聴いたら
「Yさんのおかげで元気になれました!とか、Yさんのおかげで楽しくなってきました!って言われるとすごく幸せな気分になるんです。」

「それって承認って言うのかなー?自分を主体にしてみるとどんな言葉になるんだろう?」

「うーん…「誰かの役に立ちたい」ですかね?」

「役に立つってどういうこと?」

「自分の影響で相手にいい変化が起こるとすっごく嬉しいんです!」

「変化、成長、好影響、役に立つみたいな価値観があるのかな?」

「確かにそうかもしれません!」

「じゃあ、「承認」って言葉と「役に立つ」だったらどっちがしっくり来る?」

「断然「役に立つ」です!」

マズローの欲求5段階説の2段飛び?

「承認」だと思っていた価値観は身ぐるみ剥がすと「人の役に立つ」だった。

マズローさんいわく、「承認欲求」は最上段の「自己実現欲求」の下。
晩年マズローさんは
「5段階ちゃいましたわー!」
言わはりました。
幻の6段目は「利他の欲求」
他者の幸せが自分の幸せ。

厳密に言えばこの説に当てはまらないのかもしれない。

だけど

自分の影響で誰かが前向きになったり、元気になることが喜びなのだということに気づいた彼女の目には涙が浮かんでいた。

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