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愛のみが絶望を救う
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記事一覧

『鬼滅の刃』-猗窩座について-

 ジャンプで終幕まで内容は知っていますが最新刊を購入しました。ずっと所感を述べたかった『…

はる
3年前
9

ひぐらしのなく頃に-運命を断ち切る-

竜宮レナの頬を伝う涙 立ち竦む沙都子 幼き美代子の慟哭 そして最も印象的なのは、懸命に走り…

はる
3年前
2

「頑張れ」という。安易にな鼓舞ではないだろう。「鬱患者に斯く言葉は禁句」とは陳腐だが、森田正馬を信奉している私にはさに非ず。その言葉に留意すべきは急性期だけだ。
だが、私はもう頑張れぬ。自覚する限界近くまではした。猗窩座における小雪の様に、ただ抱擁してもらいたい。愛する人に。

はる
3年前
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ひぐらしのなく頃に-信じる心-

「人を救いたい」。それは医師の根源的使命。それを揺るぎなく抱懐し続ける入江の心を梨花は…

はる
3年前
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暁美ほむらのように

 何度となく絶望が己を囲繞しそうになりながらも、愛するまどかを救うためだけに希望を失うこ…

はる
3年前
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それが愛でしょう

『フルメタル・パニック』の『それが、愛でしょう』という歌をずっと聴いていた。心地よく奏で…

はる
3年前
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僕は凡ゆる精神的、身体的不安定も愛によってのみ解決できると確信している。キルケゴールは死へと至らしめる病が絶望であると云う。絶望は確かに死へと誘う。それ程のものが絶望なる表現には蔵している。絶望には薬なんか効かない!絶望には金銭なんて効かない。金は覚醒剤に過ぎぬ。絶望は愛によってのみ救われる。それは形而上であれ形而下であれ、恋人であれ、家族であれ、自然であれ。そこに愛すべきものが見出される時、絶望は雲散霧消し、希望の曙光が私達を照らす。  愛の欠如はアーレントが警鐘した孤

生を意識するとここがとても愛おしいものになる。僕はきっとTwitterには戻らない。ただTwitterで僕が必死に紡いできた言葉、その一つ一つは残っていてほしい。だからアカウントは消さない。ここは僕のありのままの場所。
twitter:@spring_day_co

はる
3年前
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あんぱん

もし、言葉が私にとって蜃気楼のようなものなら、私は甘い、うっとりするような幻想に浸り続け…

はる
4年前
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あんぱん-CLANNAD-

「渡したいものがあるの。」そう言われたとき、それが何であるのかなど無論彼は想像すること能…

はる
4年前
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愛するもの‐ドストエフスキー

 芥川龍之介は死の際に聖書を傍におき絶息したといいます。聖書は希望の書、天啓の書であり、…

はる
4年前
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回想‐神について‐

 神について思いをはせるようになったのは中学の終わりの頃であったろうか。たぶんそのあたり…

はる
4年前
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泉鏡花論Ⅲ『夜叉ヶ池』

 中上健二が鏡花との精神的血統を覚え忸怩たることなく高らかにその血脈の紐帯を謳ったように…

はる
4年前
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ソーニャ論について

 私は一連のソーニャ論を通して主に愛について感じてもらおう時と企図していた。しかし今、筆が止まっている。それはラスコーリニコフの告白とそれに伴うソーニャの愛の発現に必然性を見出せなくなっているからだ。これは『罪と罰』における私の立場が根底から覆ることをすら意味する重大なことである。なぜなら私は究極的にこの作品は「愛と救済の物語」と位置付けている所以だ。ソーニャのラスコーリニコフへの無私の愛情こそが他の何よりもこの作品の価値を高めていると信じて疑わなかったからだ。それが今、私の