暁美ほむらのように

 何度となく絶望が己を囲繞しそうになりながらも、愛するまどかを救うためだけに希望を失うことなく、闘い続けた暁美ほむら。彼女は、弱い自分を捨て葬りさる儀式として眼鏡を外した。その表情に現れた眼差しの揺るぎなき決意は、彼女の確固とした意志の強靭さを示していた。暁美ほむらは過去に戻ることを繰り返しながら、過去の自分に葬式をあげた。そして、在るべき未来のために今を生きることを決断した。暁に照らされる美しい、ほむらのような曙光を信じて。信じて。
 僕は社会人としては赤児のように無知で無力かもしれない。けれど、僕も自己の分裂に懊悩し必死に本を読みあさっていた。誰より深く救いを真理を探究していたのかもしれない。
前向きな行動はとれなかった。だが、苦悩は高尚だというドストエフスキーの警句があるように、自分は自分を愚劣な人間だと侮蔑することはないのかもしれない。
 自己否定は内省であり、畢竟、哲学の要諦であろうか。それでも、自己否定は破滅をはらむ。自分は、今、己に宿る可能性にかけてみることが必要なのかもしれない。
 大切なもののために生きること。それは裏切らないこと。信じること。僕はそうやって、挫けることがあっても、繰り返し繰り返し過去を更新して生きてきた。それは暁美ほむらのように。それが僕の存在理由であるかのように。

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