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ある面において、僕は三島由紀夫も僕と同じ様なものを抱えていたのだと思っている。僕は自分…
何もかもが嫌で嫌でどうしようもなく、人生を悲観し世の中を呪い、憔悴し尽くしては無気力とな…
「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」 …
今、これを書く段になって眼窩に涙が溢れてきた。予期せぬことであった。鬱々と頽廃した気分で綴ろうとしていたからだ。義絶するような心持ちさえ感じていたからだ。 涙はお母さんのことを考えたせいだ。僕は母をここでは「お母さん」と表記する。それは、この言葉の響きにこそ、僕のお母さんへの思い、愛情の歴史が充溢しているから。 僕の机の引き出しにはお母さんの昔の写真がある。僕はこの写真を自慢気に幾人かの友人に見せていた。写真にはお母さんの美しさが如実に現わされている。それは若さゆえの生
ソルリも自殺してしまったし、名も無き大衆もまた今日も明日も自殺している。 五木寛之は…
暫く沈黙してしまいました。抜き差しならぬ問題が決定的に顕在化したが為です。夭逝されたク・…
昨夜、一身上の都合によりTwitterを削除しました。当該SNSからの小生に対するこちらへの反応…
如何なる状況、状態であれ、動いていた方が間違い無く健全である事を私は知悉している。陳腐な文句だが、行動の中にこそ暗闇を穿ち得る希望の可能性はある。然るに、私は未だ活動出来ていない。この矛盾に蔵しているものは抽象すれば苦痛であろうか。活動は生の胚珠だが、主体的活動の苦は私を臆させる