言葉にできぬ咆哮

何もかもが嫌で嫌でどうしようもなく、人生を悲観し世の中を呪い、憔悴し尽くしては無気力となり、気が狂いそうな時間のなかで、ただただを狭いアパートを蹌踉しては絶望的な気分でその場に崩れ落ち、頭を抱え、涙を流し、無慈悲な時間の悪魔的力に負けては、無為に立ち上がり、『白痴』のイッポリートのように、茫然と壁の一点だけを見ることを余儀なくされている「鮮明なる自失」の状態で、嫌らしい胸の拍動に苦悶しながら、死が何か具体的なものとして迫りくる感覚に漠たる甘美さと恐ろしさを覚えては戦々恐々となり、「なんとかしなければ」という抜き差しならない焦慮に駆り立てられ、三時頃の子供達の快活で無邪気な声が、その溌剌たる声色を増幅させながら僕を圧迫させてくること、それを己の境遇に対する憐れさなのだと認めている事実に自嘲、呪咀しながらも、やがて僕は、西日が部屋を染め上げ、次第にその色彩を夕闇へと包み込んでいく夕刻、幾何かの平静と根拠のない期待が自分を多少なりとそわそわとした心持ちにさせている奇妙さに苦笑しつつ、文机の椅子に腰を下ろし、止むことなき名状出来ぬ不安と寂寥と倦怠に苦患し、人生を落伍していく破滅的な恐怖に矢も盾もたまらなくなり、ばたんと持っていた本を閉じては、拍動の締め上げる痛みを覚え、それは現実上の問題となり茫洋の彼方からその輪郭を現してくるのを知覚し、斯く作用が僕をして実際の目的、目標に対処しなければならないとの念を喚起させては一心不乱、臥薪嘗胆の必死さでもって、生きていく為、今やるべきこと、やらなければならないことに僕は向かおうとするのであるが、漸次その気概も、時の経過から堆積し固着、慢性化された病的なまでの動悸、心身疲弊に崩れ落ち、落魄した僕の眼前には巨大な、「現実」が正対屹立し、結句、汚泥に浸りへし折れ瓦解した僕の精神に錯雑なる心理の交錯を看取するのであるが、かかる機序の絶望的認識は、己を完全なる廃人、駄目人間、淫逸者とするに敵対する陽炎となり揺曳する蜃気楼の自我で、畢竟、僕は分裂する自己にただ煩悶疲弊し滑落していくこととなり、時間がこのまま永劫止まってくれることを、一生涯眠ったままでいることを、夜が明け、忌々しい朝が更新されることがないことを、永久に闇に埋没したままでいることを渇望しながら、遣る瀬なき苦しみという痛覚をずっとずっと甘受しなければならないのかと、屈辱し屈辱し屈辱するっっ‼︎

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