母との思い出

 今、これを書く段になって眼窩に涙が溢れてきた。予期せぬことであった。鬱々と頽廃した気分で綴ろうとしていたからだ。義絶するような心持ちさえ感じていたからだ。
 涙はお母さんのことを考えたせいだ。僕は母をここでは「お母さん」と表記する。それは、この言葉の響きにこそ、僕のお母さんへの思い、愛情の歴史が充溢しているから。
 僕の机の引き出しにはお母さんの昔の写真がある。僕はこの写真を自慢気に幾人かの友人に見せていた。写真にはお母さんの美しさが如実に現わされている。それは若さゆえの生娘然としたあどけない美である。
 僕は今のお母さんに対し、当時の、おぼこ娘のような楚々とした美とは多少違う美を感じる。それは外面的なものと内面的なものが渾然し、一つの完成された芸術の如きに堂々と屹立した凛乎たる美である。
 お母さんが放つ美の芳しいその香気を僕は幼き頃から愛していた。そして、今も変わらず愛している。
 幼児の時分、僕はお母さんにべったりであった。記憶が曖昧なところもあるが、僕がお母さんをこの世で最上のものとして思慕していたことは追憶のかなたに今も著明に残留している。そう、僕はお母さんをこそ恋慕し、お母さんをこそ懸想し続けていたのだ。
 K医院の待合室にある半円形の円柱のようなものを覚えている。そして、硝子の少し分厚く模様がかった様も覚えている。尤もかかる記憶は正確でないかもしれないが、僕は最近になってお母さんとの甘美な思い出を想起するとき、このK医院の情景にまず行き着くのだ。今、医院はなくなってしまっている。しかし、あの待合室でお母さんと二人時を過ごしたことは消え失せない。お母さんの僕への慈愛は消失することなく、K医院の風景とともにこの胸底に留まり続けている。
 S病院に向かう車中。カーステレオに日本歌謡曲が流れている。歌は記憶を刺激する。僕はお母さんが好んで聴いていた歌をよく覚えているが、それが一等淡い叙情となって遡及されるのはS病院への道程であった。中学生の僕は、学校に遅刻していくことのどこか背徳的な高揚とともに、その時間をお母さんと過ごせることに一層の悦を感じていた。それは不可思議な悦楽であろう。僕は然るべき理由があって病院に行っていたのであるから。病院の地下売店に行くのが好きだった。僕はそこでお母さんからもらった小銭を握りしめジャンプやお菓子を買ったりしていた。ああいう一時は僕には世界であり、日常の喧騒を離れたお母さんと二人の小旅行であった。
 僕はお母さんを母として愛していた。しかし、それ以上にお母さんは僕を愛してくれていた。今の肉体はお母さんによって形成されたものだ。お母さんの愛がこの体躯を生産したのだ。この四肢もこの頭も、今在るそれは昔日からの絶え間なき愛情がもたらしたものなのだ。
 美しさは僕の胸を打った。しかし、僕を感動させた美しさは表層であり、内部に秘められた真なる美を僕は感受し得なかった。一般的に母親の美しさとは、我が子に向けられる無償な愛である。その愛は無窮である。然ればこそ母の愛は真に美しいのだ。
お母さんが灰になった。眼前には生前の、あの芳香に包まれた毅然としたお母さんの姿とは凡そかけ離れた灰白色の物体が無機質なその姿を顕にする。僕は慄然としながら、その「お母さんであった物体」を不器用な箸使いで骨壺に納めた。皆が泣いていた。兄さんは泰然としつつも、その眼の端に光る粒子があった。やがてそれは落涙し頬を潤した。僕はただ恐ろしかった。この現実を受け入れることが出来なかった。このような現実が事実現実としてここに存在していることが信じられなかった。
 その時である。僕は何処からか囁くような声が聞こえたような気がした。僕はそれをお母さんのものだと思った。そしてお母さんの声だと認めることをその時奇異だとは感じなかった。 僕には妙な確信があったのだ。お母さんの囁きは段々と明確な音節となり、言葉となった。はっきりとした声。周りを見渡しても誰もが悲嘆にくれている様子で、僕以外この事態を知覚しているものはいないようであった。
「ごめんね。お母さんもう御飯用意できなくなっちゃった。もう一緒にオリジンやケンタッキーを食べられなくなっちゃった。お皿を洗うことも洗濯物を干すことも、何にもできなくなっちゃった。あ、そうだ、もうもみっこもできないんだね。一人で先に逝ってしまってごめんね。鏡台の化粧品あげるから使ってね。
 ホリーもいなくなって一人で苦しいかもしれないけど、早く今の閉塞状態から抜け出せるように、お母さん、ずっと祈っているからね。ホリーもシェルもプランサーも願っているよ。」
 それは刹那の出来事である。しかし、僕にはそれは永遠にも等しいものであった。絶息の晩、落ち窪んたお母さんの眼窩をみていたときの遣る瀬なき感情が去来した。そしてお母さんを殺してしまったのは自分ではないかとさめざめした。飛行機に乗っていて墜落でもしたら楽であろうにと半ば自嘲気味にいっていたお母さん。奇跡のような何かが起きるかもしれないと淡い期待をしながら、毎日を送っていたお母さん。屈託ない女学生のように嬉々として熱弁し批評していたお母さん。僕はそういう姿を見る度にもの悲しい、茫漠とした寂寥と呵責を感じざるを得なかった。あの豊麗で婉然とした美しさ。炯々たる眼光の奥に潜む気高き魂。幼少の頃感じた外面の美も、年を重ねて実感した内外の調和した美も、それを然るべき位置にまで上げられなかったのは、僕がいつまでたっても悲哀と苦悩と悔恨と呪咀と諦観と自嘲と愚劣と屈辱と醜悪と混沌と堕落のなかにあって、薄志弱行、困難に立ち向かう気概もなにもなくなってしまっていたからに違いない。それでもお母さんはずっと優しかった。

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