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褒めることについて

こんんちは、りょーさんです。

今回は、「褒めること」をちょっと深掘りしてみます。

『嫌われる勇気』がベストセラーになってから、アドラー心理学が一時期流行りました、僕も流行りに乗って色々読みました。

どちらかというと「学問ベース」っていうっていうよりも、自己啓発とか子育ての文脈で語られることが多いアドラーですが、カウンセリングの大家ロジャーズに影響を与えたり、認知療法などにもその考えは組み込まれており、現代のカウンセリングに大きな影響を与えた人です。

さて、『嫌われる勇気』の著者岸見一郎氏によると、アドラーは「褒めてはいけない」と言うそうです。
「褒めて育てよう!」って聞くと、多くの人が「そうだよなー」って思うはずだし、僕が前回書いた『褒めるところはたくさんある』っていうのも「褒めたほうがいいね」って文脈で書いたものです。矛盾していますね。

今回は、「褒める」について考えてみたいと思います。


どんな目的で褒めてる?


結論から言うと、「褒めるのがなんでも正しい」「どんな時でも褒めてはいけない」って言うわけではないってことです。状況や目的によるってことです。
「褒める」ことも「褒めてはいけない」っことも上位目的があって、その目的に即してさえいれば、どちらも有効な手段なのです。

具体的に考えてみましょう。

みなさん、最近褒められることありますか?
友達や恋人や家族に褒められた時、「嬉しいな!」って思うでしょう。

でも「褒められたけど、なんか嫌な感じする」って時がないでしょうか?
「なんか馬鹿にされている感じがする」とか。

それってどう言う時ですか?

何か対等ではない上から目線で褒められた時。「お前に言われたくねーよ」って思いませんか?
無理やりやらされている時に褒められた時は、「だったらお前やれや」って思う時ないですか?

どんな時に褒められると、人は嫌な感じがするのでしょうか?

なんとなく、上から目線(対等じゃない感じ)、支配やコントロールされていると感じる時、一人の人として尊重されていない時、ではないでしょうか?

逆に、僕は久しぶりに会った友達から、「おまえ、なんが頑張っているなー!!嬉しいなー!」ってなんか対等な目線で心から関心された時って嬉しいし元気が出てきて、「また頑張ろう」って思えます。


褒めることの弊害


アドラーは「褒める」ことの弊害は、以下のようなものであると考えました。

条件つきで相手の行動を褒めることは、「褒めないとやらない人間」になる。
褒めることは上下関係を前提としており、上下関係は「コントロールする/される」を前提としている。
上下関係の下に置かれた人が褒められて行動することは、自分が主体となって何かをしようとする意思を奪われていく。

アドラーの思想(心理学っていうよりは思想に近いですね)は、「人生の主体としての個人」に対して、「対等に関わること」が大事であり、「人をコントロールすることはできない/してはいけない」という考えが根っこにあると思われます。

子どもを褒める時、自分の思うように相手に動いて欲しいと、操ることを目的にそれを使っているとしたら?
上下関係と支配を前提とし、それは子どもが人生の主体であること否定しているのではないか?
ということです。
(代わりにアドラーは、「勇気づけ」という方法を提案します。僕はそれは広い意味での「褒める」だと思うので、アドラーは褒めること全般を否定したわけではないと感じています)

ペアレントトレーニングの目的


ペアレントトレーニングでは、子どもが「好ましい行動」をとった時に褒めることを推奨します。

これは相手をコントロールすることではないのか?

やはりこれも「何が目的なのか?」によるのではないかと考えています。

ペアトレを受ける親は、子どもが発達凸凹を持っていて、育てるのに苦労している、育て方がわからず悩んでいる、自信を失っている状態の場合が多いです。
また、大変な子育てをなんとかしたいとする思ってする努力が、悪循環を起こしており、子どもとの温かい関係が壊れてしまっている場合もあります。

親が自信を持って子育てできる、親子の温かい関係を育む、それによって子供の自尊感情を挫かず育てていく、、、ペアトレはこのような目的を持って作られてきたはずです。
そこには「相手を支配するため」という目的はないはずなのです。

子どもをコントロールすることを手放すために


誰かにコントロールされ、支配されて育てば、誰かをコントロール・支配するような人との関わり方を学びます。
その人は仲間や恋人や家族を大切にすることができるのか?
僕はコントロールと支配によって苦しんでいる人たちを何人も見てきました。

「褒めること」においてもコントロールが入り込んでいるなら、褒めることはアドラーの言うように確かに「その人の勇気をくじく」と言うことに他ならないのではないか。
僕はそんなふうに思うのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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