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ミケランジェロとF.リッピ親子、そしてローマ劫掠の取材に行ってきました!

昨日「ミケランジェロ〜追憶の果て〜フィレンツェ革命編③」を投稿させていただきました。ストーリーは既に投稿済の「ミケランジェロの回顧~フィレンツェ革命編~第一話」「~第二話」をコピーしただけになります💦それでもすぐにスキを付けていただいた方々、ありがとうございました!!

あとこの記事を借りてのお知らせですが、改名しました。
前の名前だと、同名の方が多いというのが一番の理由ですね。

「ミケランジェロの回顧~」は「創作大賞2024」に応募するため、これまでの「追憶の果て~」を編集して投稿したものです。応募の条件で字数の制限もあるし、補足がどこまで認められるかがわからなかったからです。
「ミケランジェロ〜追憶の果て〜フィレンツェ革命編③」は応募作品ではないので、補足や写真を付け足しています。

実はローマ、スポレート、フィレンツェ、プラートを2週間かけて周遊して来て、数日前戻ったばかりなんですよ~!!
恥ずかしながら年のせいにしたらダメなのだろうけど、昨日まで時差ボケも抜けきれず💦この記事も投稿できるかわかりませんでした。

第一の目的は「メディチ家礼拝堂」にある"Stanza Segreta di Michelangelo"を見学するためフィレンツェに行くことだったのですが、バッチリ達成できました😊

フィレンツェ Stanza Segreta di Michelangeloの壁画(1530年ミケランジェロが逮捕から逃れるため、隠れたとされる地下室)


他、ミケランジェロや彼に関わる人物、そしてフィリッポ・リッピやフィリッピーノ・リッピ、などのゆかりのある場所や作品で、目的にしていたものは、ほぼ目にすることが出来ました。

プラート 大聖堂 フィリッポ・リッピ作「ヘロデの宴」より


プラート プレトリオ宮美術館 フィリッピーノ・リッピ作「聖母子像」


唯一残念だったのが、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」が修復だか知らないけど、見れませんでした~😭

「ピエタ」がある場所はバリケードに囲まれていて、こんな張り紙がありました。


聖堂の他の場所にこんなコピーが。
(実物ならこんなふうにむき出しで展示しないハズ)


あとは1527年の「ローマ劫掠(サッコ・ディ・ローマ)」の取材がどこまで出来るのかわかりませんでした。
何しろ500年も前のことだし、略奪や破壊されちゃった話なので、現地に行ったって何も残ってない???とも思ったのですが。
でも自分としては、かなり取得というか、手ごたえがあったかなと思いました。
書籍『ローマ劫掠 1527年 聖都の悲劇』(A.シャステル著)に載っていた、ローマを襲撃、陥落させた当時の兵士の「刻まれた落書き」の白黒写真がありまして、それを実際に該当のフレスコ画で目にすることが出来たことが、大きかったかな。修復されて消されてしまっているかもしれないと思っていたからです。

ローマ ファルネジーナ・キージ荘にて。
ローマの街を描いた壁画にドイツの傭兵「ランツクネヒト」による数多くの「刻まれた落書き」の一部。上部に「1528」の年号が読める。

ドイツ語がお分かりの方は、文が読めますかね?
これら来月以降テーマ別に、記事にしますね。

とにかくローマもフィレンツェ(プラート含む)もスポレートも、猛暑の灼熱地獄~!!😂
(帰国時こちらはまだ梅雨時で、羽田に着いた時曇りだったし、こちらの方が涼しかったくらい)
天気予報ではローマ33,34℃くらいでしたが、体感は37℃はあったかも。
恥ずかしながら長年の紫外線で、シミ皴だらけの酷い肌なので😂降り注ぐ日差しの中、帽子かぶり日傘をさし、サングラスかけマスクし、さらに腕カバーして、歩き回りました。
上記の格好は冗談ではなく、ジロジロ見られていたのかわかりませんが、それよりも紫外線の後遺症の方が怖いので、当初、遠慮なくやりました。
日傘などさしていたら、目立つかなと思ったけど、今のローマやフィレンツェでは、日本人以外でも結構いらっしゃいましたね。
しかし!そんな格好でしばらくいたら、蒸れて熱中症になりそうでした(実際何度も頭痛が起きたので、なってたかも)
また、人ごみの中、日傘さしていたら、通行人の方にイヤな顔をされたこともあったので、人ごみでは帽子、サングラス、マスク、腕カバーのうち2つは身に付けました。

この苦労も、イタリアを訪れるなんて人生最後だし、自分の作品が将来漫画になる(?)ためなら何だってやるぞ~!と意気込んでいたのですが。
「アッピア街道」だか、市街地から離れた孤独なところに行ってしまった時は、唯一の交通手段の、帰りのバスが来ないハプニングが!!
ハプニングというか、あまりの灼熱地獄の中、狭い道に車がビュンビュン通り、歩行者が誰もいないとなると、短時間でも不安と疲れが頂点に達してしまうのですよね😂
結局帽子、日傘、サングラス、マスク、腕カバー姿で歩いて、何とか生還しました😅

アッピア街道とサン・セバスティアーノ門
ローマ劫掠から9年後の1536年、この道を侵略の張本人の神聖ローマ皇帝カール5世が招かれ、行進したとのこと


アッピア街道
16世紀の時の道路のままかなと思って行ったのですが…もうどーでもいいから、この灼熱地獄と狭い道幅にビュンビュン来る車の数!!何とかしてくれ~と、心で叫んでました😂


ローマよりフィレンツェの方がさらに猛暑、気温が高かったように感じます。
ローマよりコンパクトな街のため、徒歩での時間は比較的短くて済んだかもしれませんが。
また教会や美術館も暑さをしのぐ避難場所ですね。
フィレンツェは、秋や春先に行ったとき、寒かった記憶があるので、ローマより涼しいかと思ったら、とんでもなかったです。
市場のフードコートで食事した時汗だくでした。
冷房がなく、扇風機だけ。扇風機も当たらない席でした。
要するに室内でじっとしているだけで汗が噴き出すので、湿度も日本と変わらないってことですね😓。
私の場合、唯一冷房があったホテルだったので救われました(☆☆☆ホテルくらいだと、冷房無しのホテルも多し)

フィレンツェ ミケランジェロ広場より
バスがわからなくて、徒歩でこの猛暑の中、行っちゃいました。
18:00頃だけど、サマータイムもあって、日が沈まない(;'∀')
でもこの景色見て、紫外線のことは忘れました(*´▽`*)


今回の旅行は猛暑だけでなく、移動の日に国鉄のストに出くわしたなど、ハプニング、アクシデントがあり、その時は少しうんざりしてしまいました。
でも今、それでもまた行きたくて仕方なくなっています😅。
今回が最後だと自身に言い含めていたんですけどね。
昔と変わらず、また行きたくなるから不思議ですよね~、単なる現実逃避かもしれないけど。
今、現地にいらっしゃる方、またはこれから行かれる方の記事を拝見すると羨ましくて仕方がないです😂。

これから行かれる方がいらしたら、どうかお気を付けて良いご旅行を。
イタリア全土はわかりませんが、ラツィオ、ウンブリア、トスカーナ州を今の時期訪れるなら、暑さ対策をされた方がよろしいかと思います。

これからしばらく、今回の旅行をテーマ別にした記事を投稿予定です。
お読みいただきありがとうございました。


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