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20歳の慶応大生が工場のアルバイトで、30歳のフリーターさんから学んだ事

こんにちは。
国民の地元のバイト先輩はるのです。

ちょっと昔の話書きます。

私は慶応大の二年生でしたが、関東の実家から大学に通っていました。

ただやっぱり憧れますよね。一人暮らし。
私も興味があったので、お金を必死で貯めていました。

そして、1カ月の短期でスイーツ工場のバイトする事にしました。

スイーツ工場と言っても、私の仕事はスイーツを作るわけではなく、
朝五時に作られたスイーツをひたすらエリアごとに分けられているダンボ―ルへ指定の数を詰める仕事でした。

※ちなみにそのダンボールは関東全域のセブ〇に送られ、スイーツの棚に並びます。学生ながら経済はこう回っているのかと感心していました。

カイジの班長的な人から説明を受け、
ペアの人がいるのでその人と仕事をするように。と言われました。

その方が山下さんでした(仮名)
山下さんは非正規雇用の派遣でフリーター/彼女無しでいつも眼鏡を直していました。

「短期ですが、よろしくおねがいします!」
「うん。よろしく」
「大学生?」
「あ、はい…」
「へぇどこいってんの?」

私はなんとなく言いにくかったのですが、
嘘をついても仕方ないと思いました。

「慶応にいってます」
「ふーん」

鼻で笑ったような顔を残して、山下さんは行ってしまいました。
それから雑な説明を受け仕事をしていました。
結局初日はほぼ会話もないまま、仕事を終えました。

次の日も、その次の日も私は山下さんの後をついて仕事をしていました。

一週間くらい経ったある日。
「今日帰り歩くの面倒くさいな」

そう山下さんが呟きました。
私は勇気を出して言いました。

「送っていきましょうか?」
「え?はるのくん免許持ってるの?」
「一応」

その日の仕事を終えて山下さんを乗せて山下さんの家へ向かいました。
山下さんの家は木造のアパートで築35年ほどだったでしょうか。
私はそのアパートの前に車を停めました。

「まぁ俺なんて人生食って寝るだけだからどこ住んでも一緒なんだよ」

そう言い残して、山下さんはアパートの外階段を登っていきました。
階段を上る時のギ―という嫌な音を思い出しながら、帰ったのを覚えています。

それから最終日。
山下さんとは仲良くなっていました。
趣味の話やスポーツの話などをよくして、
色々な事を話して教えてくれました。

山下さんの話はどの大学の授業より刺激的でした。

最後のダンボールを詰め終えて、仕事を終えました。

「山下さん、今までありがとうございました」
「そうか。はるのくんは今日までか。短い間だったけどありがとうな」
「いえいえ。こちらこそいろいろ勉強させて頂きました」
「何言ってんだよ。まぁでも俺も楽しかったよ。」

少し沈黙した後に、山下さんは言いました。

「人生って、思っているよりチャレンジできる時間が短いから頑張ってな。
俺も正社員になろうとチャレンジしてるけど遅すぎたと後悔している。若い内に色々チャレンジしてみてな。俺を反面教師にしてさ。」

そう言って、笑って去っていきました。
去り際の顔は少し寂しそうにも見えました。

あれから10年以上の月日が経ちます。
山下さんには一度も逢っていません。
当時の山下さんの歳をいつの間にか追い越していました。

元気でやっているだろうか。
そんな事を思い出しながらセブ〇のスイーツを食べています。


はるの

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