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やる気なんて大層なものはない。意気込む必要は一ミリもない。
大人になるにつれて
大人になるとさ、宿題とか出ないですよね。
なんとなく子供の頃って宿題をしっかりしていれば良かったり、もっと勉強する人は年代にあった参考書があったりする。
「これをしていれば大丈夫」
というものがきっちり決まっていた気がする。
テストのために勉強する。
それだけで頭をいっぱいにしていれば良かった。
でも、いきなり大学で自由に勉強していいですよって言われたって無理です、わたしは。
自分の頭の中で正解を見つけて論文にする。
自分の要素を信頼していない人間にとってはとても苦しいことでした。
社会にでても、がんばり方に決まりなんかない。
自由だからこそ、縛られる。なにもできない。
言われたことをやっていればいいんでしょ。
他力本願で生きてきたわたしはこうやって躓いたわけです。
やるべきことを自分で考える事ができない。
頑張り方がわからない。
働きやすいから。
周りに自慢できるから。
これをやったら何を得られるかばかり考えて、得られるまでの過程をないがしろにして、焦って結果をもとめる。
将棋のルールを覚えたばかりの人がいきなり勝てるなんてことはめったにないのに、最初の一回負けただけで、自分の力に絶望する。
おかしな話です。
世の中そんなに簡単じゃない。
上達するためにはできない期間が必要なわけです。
できないを繰り返していくうちに、できるに変わっていくのです。
でも、できないを一度か2度繰り返しただけで、諦めてしまう。
できるための方法はとっても単純でできないを繰り返すだけでいいのに。
それだけだったら、気負う必要もやる気もいらない。
でもできないを繰り返すことは、ストレスに思えます。
それは多分、自分のやりたいことじゃないからだと思います。
やりたいことなら、自然とできるまでやってしまいますから。
ここからは一応こういうパターンもあるよなってはなしです。
誰かのためのちから
誰かのためって思うと、変なパワーが出たりしますよね。
家族が喜んでくれるなら、頑張るぞって。このエネルギーは少し特殊に感じます。
苦しいことも嫌にならないからです。
何が言いたいのかというと
大人って自分で決めなきゃいけないのめんどくさい。
できないことをやらなくなるのは、なんかもったいない。やる気なんていらないのに。
でも誰かのためとなると、頑張れるときもあるよね。
さいご
なんというか、決めつけたような一方的な言葉が、多いのですがあくまで自分のボヤキのようなものなのであしからず。
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