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目覚めたら大したことない

考えていること、想っていることを文字化する。

文字は意思伝達手段の一である。人間として生活している以上、これは、ほぼ毎日おこなうことになる。デジタル化社会の中でも決して逃れることはできない。

毎朝メールに返信をする。ラインで誰かとやりとりをする。メモをとる。何気ない日常に、この行為は散らばっている。目に見える文字でなくてもいい。いつもの会話でさえ、全て「文字化」によって成り立っている。文字化のキャッチボールである。

私にとって、たいていの文字化は、夜の方がうまくいく。

なんとも言えない気持ち、モヤッとしたものをあらわすぴったりの表現。できるだけ遅い時間の方が、出くわす回数は多いと思っている。これは感覚的に。

昨晩は、「たおやか」に出逢って、パソコンをそっと閉じた。

朝、「たおやか」に再会する。

……ん?

「たおやか」でいいのかな。という気持ちになる。この女性は本当にたおやかであるのか?たおやかという表現が、齟齬を生みやしないか。と考えて、バックスペースを押す。

こんなことは、日常茶飯事である。永遠にループする。書いて消して書いて消してが続いていく。文字化は決まって「夜」で、大したことない表現だ、これはおかしいと消すのは決まって「朝」

数年前から自分のこの習性に気づいて、推敲は朝やるようにしている。恐らくきっと、これは人による。お勧めはできないけれど、推敲の時間を変えることで、何か新発見ができるかもしれない、とだけ伝えたい。

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