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ぼくの就活ー東京を飛び出し、離島で公務員になるまでー

いわばさん、こんばんはー。

あっと言う間に3月になってしまいましたね。

お返事が遅れてすみません!!

さて、ぼくが離島公務員になってからはもう3年目が終わろうとしています。

いわばさんの東北地方から東京への就活と真逆の、東京から離島への就活のお話をしていきたいと思います!

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東京と離島の距離感を肌で感じた就活の思い出。

離島の公務員試験は、筆記と面接の計2回の試験あるのだが、筆記試験が延期になったという経験をすることに。

そう、台風の到来で島に渡れなくなったのだ。それを知ったのは、東京・羽田空港から飛行機で飛び立とうとする、わずか30分前のこと。

それから、1ヶ月遅れで筆記試験を、さらに1ヶ月後に面接試験を経て、今のぼくがいる。

東京から対馬の地理的な距離は長い。

けれども、ぼくと離島との距離は短いものだと感じた就活。

港に降り立って感じる、あの感覚。

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大学3年生の頃に初めて降り立った感覚とは違っていた。

「これから、ぼくは対馬で暮らしていくんだ。」

対馬市役所で社会福祉士として働くんだと胸を躍らせていた、当時のぼくが懐かしく感じる。

片道だけで2万円以上費やしていた交通費。けれど、それくらい対馬への思いが強かったんだ。

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対馬への直感というものか。対馬は韓国にもっとも近い島で、国境離島で働く・生きるという選択肢は海外に羽ばたこうとしていた自分にとっては必然だったのかもしれない。

そういえば、面接試験で当時の副市長に聞かれたな。

「将来は対馬に永住する気はあるか?」ってね。

そりゃあ、「もちろんです!」と答えたのも良い思い出の1つになっている。

そして、そんな直感を信じていた矢先の12月上旬。

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東京の実家に採用通知を知らせる文書が届いた。

まさか、ぼく自身が離島公務員になるなんて思ってもいなかった。

でも、本当に嬉しかったな。だって、対馬のために働けるし、離島で楽しく生きていけるんだとワクワクしていたから。

それに、対馬では沢山の人がぼくを待ってくれていた。

対馬市社協の方々やお世話になっていた寮母さん、インターンで韓国から来た同年代の人といった、離島に降り立ったから出会えた人たち。

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そんな人たちが持つ島人の暖かさが、ぼくを勇気づけてくれて、採用まで繋いでくれたのだった。

そして、ぼくはいつか対馬に関わる人たちに恩返しがしたいと思っていたのだ。

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あの頃の純粋な離島への思いだけは忘れたくないな。

対馬というフィールドを選んだ自分だけは信じていきたいな。

コロナ禍で1年以上東京から離れているけど、離島にいる誇りを胸に生きていきたいな。

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あの頃に感じた、直感は忘れたくないものです。

そして、離島に降り立った時に感じる、言葉にするのが難しい感覚も。

東京に来る感覚と離島に来る感覚はきっと違うものなのでしょうね。

20210303 はりやひろき

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