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芸能人が政治や社会について語るということ



二人の芸能人の政治的発言に思うこと


 エンタメ界の第一線で活躍されているタレントの眞鍋かをり氏が2024年7月7日に開催する東京都知事選挙にて、元立憲民主党で参院議員の蓮舫氏の小池都政への批判に対し、「批判ばかりでウンザリ。」とワイドショーでのコメントがSNSで炎上する事態になりました。

 それに対して、お笑いタレントのラサール石井氏は2024年6月6日の日刊ゲンダイの連載コラム「ラサールの東墳西笑」で眞鍋氏の発言に驚いたそうです。

 〈「ワイドショー」では眞鍋かをりさんが「自民党の裏金問題あって野党がワァーって言うけど、別に文句しか言ってないみたいなのが、もうウンザリと思って」と言ったのには驚いた。
 裏金はほぼ犯罪だ。それを批判し是正するのは当たり前。「文句しか言ってない」なんてとんでもない。しかも野党はちゃんと改正案も出している。提出がいちばん遅かったのが自民党だ。しかも出て来たのは抜け穴だらけの代物だった。
 では真鍋さんは見識がない人なのか。いや彼女は賢い女性である。これは小池都知事を援護するためにわざと言っている。(中略)
 反対意見、この場合なら蓮舫応援派(あるいは反小池派)の人間も呼び、両論聞かせる客観的な姿勢が番組にないのが問題なのだ。〉

日刊ゲンダイ「ラサールの東噴西笑「野党は批判ばかり」と言う政権忖度コメンテーターの印象操作が国民の政治への関心を妨げている」2024年6月6日


 眞鍋氏の主張というよりも小池都政に忖度するかたちで蓮舫氏や野党に批判的主張を展開するとの印象を受けたというのがラサール石井氏の指摘です。ワイドショーでの偏った言論に同調するような方針を取ること自体、健全な議論ができるとは思いません。

 翻って、眞鍋かをり氏の「ウンザリ」発言の真意はいかなるものでしょうか。2024年6月14日の週刊文春の取材に対し、小池百合子氏の政策を評価している理由について、その一部分の回答を行っています。

< 私自身はこれまで特定の支持政党もなく、また政治団体や政治家の方との繋がりも一切持っていない無党派層ですので、いち都民として感じた事をコメントさせていただきました。
 もちろん、政治と金の問題は大きな関心事であり、私も根本的な構造の改革を望んでおりますが、都民として都知事選に投票するにあたり、東京が与野党の利益に焦点が当たりにくくなってしまうと感じます。候補者の方々には、都民の利益を最優先にした都市づくりを示していただき、ポジティブな投票動機を与えていただきたいです。
 東京都は自治体で初めて、保護者による子供への体罰や暴言を禁止する規定を条例に盛り込んだりと、全国に先駆けて新たな価値観を発信していける力があると思います。子育て支援だけでなく、子供の権利全般に目を向けた都政を望みます。

『蓮舫にうんざり!で大炎上 眞鍋かをりが週刊文春だけに語った「ココだけの話』週刊文春 2024年6月14日

 この記事の一部の文言から読み取れることは、眞鍋氏が純粋に力を入れて欲しい政策は子育てと子どもの権利保障の問題だといえます。そういう意味において、小池百合子氏は子育て環境の充実や各自治体への子育て支援金制度を盛り込むなど福祉政策を在任中に実行しているわけですから、道半ばであっても評価しているということです。

 しかし、2023年に行われた都道府県別の合計特殊出生率に関する人口動態の調査によれば、東京都の出生率は0.99%となっています。1%を下回る結果です。それだけ子育て環境が不十分に行き届いていないことの証左であります。近年では、長年の実質賃金の低下が続いているうえに、円安と物価高が波を打つように家計を直撃しています。その事情を伺えば、生活設計が立てづらいのは自明の理です。これでは若者たちがなかなか恋愛や結婚に踏み切れない事情を抱えていることでしょう。キャリアを重視する女性が初めから恋愛や結婚を視野に入れていない方もいますし、Z世代以降の男女の若者たちは「コスパが悪いから」という理由で結婚や子育てもしないと決めている方もいます。
 以上のような多様な理由から出生率が年ごとに下がってきているという見方がなされています。

 子育て世代の方々も、子どもにかける養育費や教育資金を工面するのは至難の業です。都政が少子化に本気で歯止めをかけたいのであれば、子育て世帯の家計が汲々としている現実を直視しなければなりません。

 子どもの権利についても人権、性教育、体罰、学校のいじめなどの諸々の課題が浮き彫りになっています。親にとって子どもを守るのは当然ですから、法律の知識を身につけたり自治体でのワークショップなどのサークルで子どもにまつわる課題について話し合い、条例を考案したりするなどが求められています。
 眞鍋氏をはじめとした女性の方々の不安を払拭するためにも、都政は積極的に耳を傾け、知恵を絞り、政策につなげていくという確信を持つべきでしょう。

 ラサール石井氏は眞鍋かをり氏が小池百合子都知事を擁護するようにわざと言っていると述べていますが、本質は「子どもにかかわる政策」を評価しているだけであり、小池百合子という「人物」を全面的に賛同しているのではありません
 ましてや小池氏の学歴は「カイロ大学卒業」という肩書をめぐってネット上で再び問題が浮上しています。カイロ大学は独裁的国家の気質を持つエジプトの教育機関といわれています。ですから、エジプトが国家権力を振りかざして小池氏をテコにして政治の中枢に介入するようになれば、日本にとって外交問題に発展します。国益を棄損することにつながるのはジャーナリストや専門家から警鐘を鳴らしています。ですから、眞鍋氏にはカイロ大学の問題についても目を向けなくてはなりません。(小池百合子氏とカイロ大学の関係については浅川芳裕『エジプトの国家エージェント小池百合子』(ベスト新書)が最新の情報を提示しています。電子書籍として刊行。)


蓮舫を応援する日本共産党の問題点


 ラサール石井氏の問題意識は眞鍋氏が批判ばかりを行う野党勢力に辟易しているという意味での発言がいかがなものかということです。確かに、蓮舫氏は立憲民主党の議員時代から国会で自民党政権の政策に真っ向から批判してきました。テレビで閲覧する人の目に映るのは彼女が野党勢力の一員だから「批判・追求型の政治家」というイメージが描かれてしまったのでしょう。
 しかし、石井氏の指摘どおり、野党は対案を出しています。裏金についての方策として政治資金規正法の改正案や基本政策は立憲民主党のホームページや国会での政治家の主張を聞けば自ずとわかるでしょう。

 加えて、蓮舫氏は双子の子どもを持つ母親であります。子育て支援や教育関連政策に全力で取り組んでおり、子どもや弱い立場にいる人に寄り添っている温かな心を持っています。「批判ばかり」というイメージは一新すべきことでしょう。

 自民党の裏金問題を巡って文句の言い合いになってしまうのは小田原評定になりかねません。民主主義を尊いものと考えるのであれば、偏った意見に固執するのではなく、日本の未来をつくるためにどう解決していくべきか。建設的な討論が必要です。

 ただし、蓮舫氏の応援サイドに問題点を挙げるとすれば、日本共産党が全面的に応援するということです。日本共産党という組織の全貌を理解している人は蓮舫氏に対する疑念を抱かせるをえないのもまた然りです。
 なぜなら、日本共産党は暴力主義革命を放棄していないからです。一部の文化人やジャーナリストは「共産主義における暴力革命はとっくに捨てているから問題ない。」と主張していますが、警視庁や公安調査庁がいまだに警戒を解いていない点が否めません。日本共産党は破防法(破壊防止活動法)の調査対象団体であるという立場にあります。これについては以下の説明がなされています。

< 破壊活動防止法第四条第一頂に規定する暴力主義的破壊活動とは、具体的には、刑法(明治四十年法律第四十五号)上の内乱、内乱の予備又は陰謀、外患誘致等の行為をなすことと、政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって刑法上の騒乱、現住建造物等放火、殺人等の行為をなすこと等である >

公安調査庁『日本共産党と「破壊活動防止法」に関する質問主意書及び答弁書

 これは恐ろしいことです。公安調査庁は破防法に基づいて日本共産党に対する調査を行っています。2024年6月7日に鈴木宗男参議院議員が提出した質問主意書で内閣総理大臣の岸田文雄首相は「政府としては、日本共産党が日本国内において破壊活動防止法第四条第一項に規定する暴力主義的破壊活動を行った疑いがあることなどを踏まえ、同党を同法に基づく調査対象団体としている。」と答えています。過去に暴力革命主義に基づく破壊活動を行っていた歴史がありました。「疑いがある」という言葉は現下日本で破壊活動を行っていませんが、今後において再び行う可能性があるという解釈がなされています。
 仮に蓮舫氏が都知事になり、都政を運営する立場になれば、そこに日本共産党の政治思想が介入するリスクが高まることでしょう。
 逆に言えば、日本共産党は国政や都道府県の行政で破壊活動を一切行わないと宣誓し、組織の体制改革を実現したとすれば、警視庁や公安調査庁から調査対象を解くことになるでしょう。

 最近ではジャーナリストで共産党議員の松竹伸幸氏は『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を上梓して、日本共産党から除名処分を受けたことで「松竹問題」としてネット上で話題が沸騰しました。それくらい日本共産党が党内で異論を許さない雰囲気が漂っていることの証左です。

 その後、除名処分を受けた松竹氏は日本共産党の決定事項に納得せず、最高裁判所に提訴しました。その記録をまとめ上げ、『私は共産党員だ!シン・日本共産党宣言Ⅱ』(文春新書)を上梓しました。

 蓮舫氏も「共産党も含めた野党共闘をやらなければ勝てないのでは」という新聞記者の質問に対して「いまおっしゃった方たちとの信頼関係ももちろん大事にしていきたい」と答えたそうです。「信頼関係を大事にしていきたい」という発言の意図は日本共産党の提案を聞き入れることがあるという意味になるでしょう。ですが、警視庁や公安調査庁から調査対象にされている以上、都政に悪影響を及ぼす可能性は高まります。

 ですから、蓮舫氏は日本共産党の政治的意見とは別にして、都政運営でやるべきことを公約に掲げ、アピールすればよかったのです。結果として、都知事選は小池百合子氏が3期目の当選を果たしました。小池都政は続投することになります。

 日本共産党の議員は決して悪い人々ではありません。まじめな方が大勢を占めています。彼らの政治理念に「戦争の撲滅」「暴力の廃絶」を掲げ、平和で豊かな社会をつくろうと努めています。しかし、暴力主義的革命を放棄していないことは政治理念と全く矛盾しています。
 政治活動における「まじめさ」がかえって都政および国政での社会事件を起こすかもしれないという予断を各々の有権者が持っておく必要があります。

芸能人が政治や社会を語ることは悪なのか

 一般的に、日本の芸能人が政治や社会について語ったり行動したりすることは禁忌だとみなし、テレビメディアや世論から激しい非難を浴びます。そのせいか、芸能の仕事がもらえなくなるといわれます。
 実際に眞鍋かをり氏はタレントとしてバラエティー番組などで活躍されていますし、テレビ界からも重宝されています。一方で、ラサール石井氏は舞台を中心とした演劇活動を展開する分、時代の趨勢によってブラウン管から姿を消しました。政治や社会の問題についてSNSを中心に発信する度に、避難を浴びることになり、テレビからほとんど呼ばれていない状況になっています。

 私はかつて大学生のころに『クイズ!ヘキサゴン』でラサール石井氏と眞鍋かをり氏が共演するところをテレビで観賞していました。クイズをめぐって知と知のぶつかり合いを繰り広げていたことに驚きを隠せなかったのです。互いに雌雄を決す者として頭脳で負けられないという姿勢が目に焼きつき、「芸能人は高学歴でありながら、知性を磨いているものなんだな。」と感動したことを覚えています。

 しかし、令和時代を迎えてなお「重宝される人」と「姿を見なくなった人」の扱いの差はなんだろうかと勘繰りたくなります。「芸能人が政治的主張や社会的主張を行ったら仕事をもらえなくなる」という謎の常識はなぜまかり通るのか。不思議でならないのです。
 生物学者の池田清彦氏は芸能人が政治的主張を展開したら仕事がなくなるという理由について、このように分析しています。

 < アメリカなどは歌手や俳優などの芸能人が政治的発言をすることも多いが、日本の芸能人はそれをしない。
 人気のことを考えれば、「右翼からも左翼からも叩かれたくない」のだろうが、とくに政権に楯突くような発言をして炎上でもしてしまえば、仕事がなくなると考える芸能人が多いのだろう。>

池田清彦『「頭がいい」に騙されるな』宝島社新書 p.73

 これは自民党政権に楯突くことをいえば、テレビ界から仕事を提供できなくなるという意味での評でしょう。

 社会学者の小谷敏氏は芸能人の政治的発言に非難を浴びる理由について思想家の丸山眞男の著作の言葉を引用しつつ、アメリカでの芸能人による政治的発言を比較しながら、こう指摘しています。

< 丸山が述べている―
 政治活動は職業政治家の集団である「政界」の専有物とされ(中略)それ以外の広い社会の場で、政治家以外の人によって行われる政治活動は本来の分限を超えた行動あるいは「暴力」のようにみなされるようになる。>
※ 註は省略

小谷敏『無能と失敗の社会学』高文研 p.84

< アメリカでは芸能人の政治的発言は珍しいことではありません。二〇一六年のトランプ大統領の就任式においては、ジョニー・デップやハリソン・フォードらのハリウッドスターたちが、反トランプを公言しています。世界的に広まったセクシャル・ハラスメントを告発する『Me too』と書けば、この問題の大きさをわかってもらえるのではないか」という投稿でした。>

前掲書 p.85

 さらに、著書の中で社会学者の松谷創一郎氏のネット記事の論文を引用しながら、このように述べています。

< 社会学者の松谷創一郎は、アメリカの芸能人が「干される」心配なく政治的発言を行うことができるのは、日本のように芸能事務所が芸能人たちを支配するのではなく、欧米の芸能人の「エージェント」は、彼彼女らの利益をはかる「代理人」であるからだという興味深い見解を述べています。松谷の分析は正しいと思われますが、それ以上に欧米では、芸能人を「一つの枠に閉じ込める」のではなく、一人の人間(個人)として認めているからではないでしょうか。(中略)
 日本における政治的発言を行う芸能人へのバッシングには、丸山が言うような、芸能人は芸能人の「分際」に安んじるべきであるという前近代的な、もしくは儒教的な意識が強く働いているのではないでしょうか。>

前掲書 p.86-87

 儒教道徳とは、中国の諸子百家の一人である孔子という人が始めた実践的道徳のことで、おおまかな信念は「仁・義・礼・智・信」の5か条にあたります。仁は「人を思いやる心」、義は「正義を貫く心」、礼は「礼をつくす心」、智は「知恵を磨く心」、信は「人を信じる心」という意味です。
 ただ、小谷氏はこの儒教道徳に基づく意識が現代でも続いているのかについて疑問視しています。

< 二一世紀のいまも、儒教道徳が人々の政治意識を拘束しているなどということがありうるのかという疑問です。四書五経を読んだことのある者など、若者に限らずいまの日本にはほとんどいないはずです。儒教の存在を日常生活の中で意識することなどまずありません。しかし、徳川幕府の時代だけでなく、教育勅語の存在が示すように、大日本帝国時代の日本においても、儒教道徳は体制の「公定イデオロギー」でした。敗戦後たしかに教育勅語の失効は宣言されてはいます。しかしながら、中世ヨーロッパを支配したキリスト教神学のように、教育勅語の根底にある儒教道徳が、徹底的に論駁され、葬り去られたとは到底いえません。長い歴史をかけて刷り込まれた思想の影響力は、容易に消えるものではないのです。儒教道徳が、日本人の政治意識の根底に横たわっている可能性は否定できません。>
※註は省略

前掲書 p.87

 現下日本において儒教道徳が政界や財界に広く残っているとしたら大問題です。政治の中枢を握っている政治家や官僚が自分にとって都合のいい政策を行ったり、素人呼ばわりする有権者の目を欺いて不祥事を隠していることを批判したりすれば、言論封殺を行われてしまう可能性があります。「我々の政策に楯突くなら、容赦しないよ。」という圧力がかかります。肝心の政府がおかしな政策を行って国民を欺こうとしていることを知り、批判しようにも「下僕のくせに分をわきまえろ」と言われたら黙認できるはずがありません。
 芸能人が政治的発言を行って干されてしまう理由もここにあるのでしょう。

 しかし、私は芸能人が政治や社会について語ることに勇気のいることですが、悪いことではありません。なぜなら、芸能人も我々と同じように一人の人間であり、「生活者」でもあるからです。
 芸能界は競争が激しい世界です。華やかそうに見えて、それぞれのタレントたちが持ちうる才能を生かして、仕事を獲得し、しのぎを削らなくては生きていけないのです。タレントや俳優などを陰で支える芸能マネージャーの方々も仕事を獲得していくために交渉に乗り出しています。苦心惨憺たる思いをしながらも全力で取り組んでいます。
 同時に所属するタレントもSNSを活用して自ら発信していかなければ、仕事を得ることができない時代になっています。生きていくことも大変なのです。

 2020年から2023年の間で非業の死を遂げた芸能人は少なくありません。どの方も国民にとって尊敬できる人物です。「あの人がいるから私も頑張れる。」と言い聞かせて人生の励みにしている人もいます。その大事な人が世を去るところをテレビやネットニュースを見て、悲しみが広がるのは当然のことです。これも政治の腐敗や社会の不安定が根底にあると考えてもいいと思うのです。
 だからこそ、困っていたり悩んでいたしたら勇気を持って声を上げることは必要ではないでしょうか。それこそ右であれ、左であれ、健全な議論を行っていくべきです。その事がかえって経済生活が少しでも潤うことがありうるからです。

芸能人同士の「言論」の機会を

 芸能人の中にはテレビで「姿を見なくなった」方々も多数います。斉藤和義氏、石田純一氏、ローラ氏、村本大輔氏(ウーマンラッシュアワー)、金剛地武志氏、松尾貴史氏、小泉今日子氏、ほんこん氏、秋元才加氏(AKB48)、きゃりーぱみゅぱみゅ氏、つるの剛士氏などの方々がSNSやテレビでの発言で批判を浴びたのです。その理由でテレビ局側は情報番組や芸能に関わる仕事を出さないという方針をとっていると考えられます。これは由々しき事態です。芸能人も政治や社会に関する発言を行う権利はあります。民主主義を享受してきた社会の中で残された手段だからです。その際、芸能の仕事と政治的・社会的発言は切り分けておくことが大切なのではないでしょうか。

 芸能人の中にもそれぞれ政治的価値観が異なります。それならば、芸能人同士が言論する機会があってもよいと思います。彼らでもかつて小中高の学校で現代社会や政治についての授業を聞いていたはずです。退屈なのは確かにその通りですが、頭の中で「そういえば公民の授業でそんなこをを学んだものだな。」と思い浮かぶ人がいるでしょう。やがて成熟した大人になってはじめて政治の動きが身近な生活に直結するからです。消費税の増減や年金問題、自民党の裏金問題などが例です。

 ですから、ジャーナリストの田原総一朗氏の『激論!クロス・ファイア』や『朝まで生テレビ』(この番組は深夜までやるので健康によくないと思います。)のような討論番組の「芸能人編」をつくって議論を交わす機会を設けてもよいのではないでしょうか。賛否は分かれるでしょう。

 右派(保守)陣営と左派(リベラル)陣営とに分けて、日本社会の諸問題についてどうすべきかを議論してみるとよいと思います。そうなれば、「姿を見なくなった人」もテレビの表舞台で大いに語り合うことが可能になります。有権者の中には尊敬していた人が「久しぶりにテレビで姿を見て、よかった。」と思う人がいるでしょう。反対に「あの人の考えには性に合わないし自分の価値観に合わないからテレビに出てほしくない。」と思う人もいます。しかし、後者を選択する人は不寛容です。価値観の異なる者同士で意見を出し合うことこそ、面白くなるからです。むしろ、芸能人の主張に対し人格攻撃や誹謗中傷を行って発言を慎むようにすることは論外です。それでも気に食わないのならば、見なければいいという話です。

 芸能人は一般の人たちと比べてかなり影響力が大きいです。「私の尊敬する人がある問題について発信しているから、勉強してみよう。」という動機づけになります。
 芸能人が政治や社会についての議題でうまく発言できないのであれば、そのことを専門家や文化人などの知識人の方々が補足説明を行えばよいのです。これで一段と議論が盛り上がることでしょう。ただ、自己主張が強すぎて水掛け論で終わってしまうのは本末転倒です。

 いずれにせよ、芸能人が政治や社会について語り合うことは日本社会が抱える問題について関心を持つきっかけになるでしょう。逆に政治や社会に関して素人である場合に、政治や社会に関心の幅が広い人がフォローアップすることも可能です。
 映画やドラマ、演劇などのエンタメが続けられるのは平和な社会であってこそです。エンタメをこよなく愛する我々にとっても芸能人に尊敬の念を持ち、良い未来に向かって考えていく動機になるはずです。

<参考文献>

 池田清彦『「頭がいい」に騙されるな』宝島社新書
 小谷敏『無能と失敗の社会学』高文研


ご助言や文章校正をしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。