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あっという間に50万部突破!2019年、オーストラリアで一番売れた小説。2/17刊『少年は世界をのみこむ』【試し読み】

2019年、オーストラリアで一番売れ、全豪50万部突破を果たしたベストセラー小説、『少年は世界をのみこむ』は1980年代オーストラリア東部クイーンズランド州の広大な都市ブリスベン郊外にある労働者階級が暮らす町を舞台に繰り広げられる青春物語。

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インディ・ブック・アワード2019ブック・オブ・ザ・イヤー受賞、MUD Literary Prize 2019金賞受賞、NSW PREMIER’S Literary Awards 2019読者投票部門と新人部門受賞を果たすなどオーストラリアの名だたる賞を獲得した本作は34カ国で翻訳され、国際的な出版現象にもなっています。

今回、2/17の刊行を前に試し読みを公開いたします。
どうぞお楽しみください!

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【2021/2/17発売】
『少年は世界をのみこむ』
トレント・ダルトン[著]
池田真紀子[訳]


少年、言葉を書く
Boy Writes Words

ミノ ハメツハ シンダ ブルー レン。
「いまの見た、スリム?」
「何を」
「何でもない」
 身の破滅は死んだブルー・レン。うん、それだ。ミノ。ハメツハ。合ってる。シンダ。ブルー。レン。

 スリムの車のフロントガラスに入ったひびは、王族にお辞儀をする、のっぽで腕がない棒人間の形をしている。スリムの車のフロントガラスに入ったひびは、スリムそっくりだ。フロントガラスのぼくが座っている助手席側には、ずっとそこについたままの土埃の汚れをワイパーがこすってできた虹がかかっている。日常のなかのちっちゃなディテールを覚えておくには、その瞬間やイメージをいつも持っているもの、毎日起きているあいだ繰り返し目にするもの、においを嗅ぐもの、手で触れるものと結びつけておくことだとスリムは言う。体のパーツ、寝室にあるもの、キッチンにあるもの。そうすれば、一つのディテールに対して、思い出すためのヒントが二つできる。しかも覚えるヒントは一つですむ。
 スリムはそうやってブラック・ピーターを生き延びた。そうやって穴蔵を生き延びた。あらゆるものが二つの意味を持っていた。一つはここ、当時スリムが入れられていた、ボゴ・ロード刑務所の第二ブロックD棟9監房に結びつき、もう一つはどこか、スリムの頭のなかや心のなかに広がっていた、鍵のかかっていない無限の宇宙に結びつく意味だ。〝ここ〟にあるのは、緑色のコンクリート壁と何重にもなった暗闇、そして一人ぼっちでじっとしているしかないスリムの体だけだった。壁に溶接されたL字型の鉄棒と鉄の金網でできた寝台が一つ。歯ブラシ一本と刑務所支給の布の上履き一足。でも、監房のドアの配膳口から日にちのたったミルクのカップが無言で差し入れられた瞬間、それがスリムを〝どこか〟に連れていった。一九三〇年代のファーニー・グローブへ、ブリスベン郊外の牧場で乳しぼりをしている手足のひょろ長い若い農場労働者へ。肘と手首のあいだにある傷痕は、自転車を乗り回していた少年時代に行ける扉だ。肩のそばかすは、サンシャインコーストのビーチにつながるワームホール。それを指でさっとなぞるだけで、スリムの姿は消える。D 9監房の〝ここ〟にいながら脱獄する服役囚。自由ごっこ。でも、逃げ回らなくていい。刑務所に放りこまれる前、〝ごっこ〟ではなく本当に自由だったけれどいつも逃げ回っていたころと、どっこいどっこいだ。
 指の関節の山と谷を親指でたどれば、たちまち〝どこか〟へ運ばれる。ゴールドコーストの内陸部にある丘陵地帯へ、はるか遠いスプリングブルックの滝へ運ばれた瞬間、刑務所のD9監房の冷たい鋼鉄の寝台は、流れる水に磨かれたなめらかな石灰岩に変わり、素足を凍えさせる刑務所の懲罰房のコンクリート床は、夏の陽射しにぬくもった水に変わって、そこに爪先を浸した記憶が蘇る。ひび割れた唇を指でなぞれば、アイリーンの唇のように柔らかくて甘いものがそこに触れたときの感覚がめざめ、渇きを癒やすそのキス一つで彼の罪や苦悩はすべて拭い去られ、スプリングブルックの白い滝に打たれたように清められたことを思い出す。
 スリムが刑務所でふくらませた空想がそのままぼくの記憶にすり替わりかけている気がして心配だ。濡れて苔に覆われたエメラルド色に輝く岩に裸で横たわり、マリリン・モンローのようにコケティッシュに笑う金髪のアイリーン。首をのけぞらせ、けだるく抗しがたい魔力を放ち、世のあらゆる男の世界に君臨してあらゆる夢を司る女。その〝どこか〟の幻影が〝ここ〟でもう少し踏ん張る力、塀のなかにこっそり持ちこまれたナイフの刃にいつ何時襲われるかわからない境遇を、明日までひとまず忘れる励みになる。
「おれはおとなの心を持ってた」スリムはいつもそう言う。ボゴ・ロード刑務所の地下懲罰房、通称ブラック・ピーターから生還できたのは、そのおかげだ。クイーンズランドの猛暑のさなか、スリムは中世の地下牢みたいな小さな監房に十四日間、放りこまれた。二週間分の食料としてパンを半斤渡された。コップ四杯か五杯分の水も。
 ボゴ・ロード刑務所時代の友達の半数は、ブラック・ピーターでは一週間も生き延びられなかっただろうとスリムは言う。服役囚の二人に一人は、いや、それをいったら世界中の大都市の人口の半分は、心は子供のままのおとなの男で占められているからだ。でもおとなの心は、おとなの男をどこでも好きな場所に連れていく。
 ブラック・ピーターには、ココヤシ繊維を編んだちくちくするマットがあった。大きさは玄関マットくらい、縦がスリムのすねの骨くらいの長さで、スリムはその上で寝た。毎日、コイアのマットの上に横向きに横たわり、長いすねを胸に抱き寄せて目を閉じ、アイリーンの寝室のドアを開けて、アイリーンの白いベッドシーツのあいだにするりともぐりこみ、アイリーンの背中に自分の体をぴたりと沿わせ、アイリーンの磁器のようになめらかなむき出しのおなかに右腕を回した。そうやって十四日間をやり過ごした。「クマみたいに体を丸めて冬眠したわけだ」スリムは言う。「地獄がすっかり快適に思えてな、地上に戻るのがいやになったくらいさ」
 スリムによると、ぼくは子供の体とおとなの心を持っている。まだ十二歳だけど、ぼくにはどぎつい話を聞かせても大丈夫だとスリムは思っている。男がレイプされる話、結び目を作ったシーツで首を吊った人の話、日当たり抜群の王立ブリスベン病院での一週間のバケーションを求めてとがった金属片をのみこみ、内臓をずたずたにした人の話を聞かせても平気だと。尻の穴を犯されると血が出るとか、スリムの話はいくらなんでもディテールが豊かすぎないかと思うことがないわけじゃない。「光と陰だ、坊主」スリムは言う。「光からは逃げられない。陰からも逃げられない」病気とか死とか、刑務所のなかの話を聞かなくちゃいけないのは、アイリーンにまつわる記憶にどれほど助けられたかを理解するためだ。ぼくにどぎつい話を聞かせても平気だと思うのは、魂の年齢と比べたら、肉体の年齢になど何の意味もないからだ。スリムはじっくり時間をかけてぼくの魂の年齢を測り、〝七十代前半と老衰のあいだのどこか〟まで絞りこんでいた。何カ月か前、いま乗っているこの車に一緒に乗っていたとき、おまえが同房者なら歓迎だとスリムは言った。ぼくは人の話をちゃんと聞けて、聞いた内容を覚えているから。そう言ってもらったとき、ぼくの目から涙が一粒こぼれた。スリムからルームメイトとして認められるなんて、これほどの栄誉はない。
「涙はなかにはそぐわない」スリムは言った。
 スリムの言う〝なか〟は刑務所の監房のことなのか、肉体の内側のことなのか。ぼくが泣いたのは、半分は誇らしかったから、もう半分は恥ずかしかったからだ。だって、ぼくはりっぱな人間じゃない。服役期間をルームメイトとして過ごしたい相手を指す言葉として〝りっぱ〟が適切なのかどうかわからないけど。
「ごめん」ぼくは涙のことを謝った。スリムは肩をすくめた。
「まあ、おまえは泣き虫だものな」
 身の破滅は死んだブルー・レン。身の破滅は、死んだブルー・レン──小さな青い鳥。

 スリムの車のフロントガラスにかかった古い土埃の虹を、ぼくの左手の親指の爪に昇りかけている乳白色の月と結びつけて思い出すだろう。いつか死ぬその日まで、乳白色の月を見るたびに、ぼくはアーサー・〝スリム〟・ハリデー、人類史上もっとも偉大な脱獄者、伝説的で謎めいた〝ボゴ・ロードの脱出王フーディーニ〟が、ぼくことイーライ・ベル、老いぼれた魂とおとなの心を持った子供、刑務所のルームメイト候補の最右翼、外側を涙で濡らした少年に、錆の浮いた紺色のトヨタ・ランドクルーザーの運転のしかたを教えてくれたこの日のことを思い出すだろう。
 三十二年前、一九五三年二月、ブリスベン最高裁で六日間にわたって行われた裁判の結審日、エドウィン・ジェームズ・ドラウトン・スタンリー判事は、アソール・マコーワンというタクシー運転手を四五口径のコルト式拳銃で殴りつけて死なせた罪でスリムに終身刑を言い渡した。新聞はスリムを一貫して〝タクシー運転手殺しの犯人〟と呼んだ。
 ぼくはスリムをぼくのベビーシッターと呼ぶ。
「クラッチ」スリムが言う。
 スリムの左腿の筋肉が収縮し、七百五十本の年輪みたいなしわ─スリムは七百五十年くらい生きていそうだから─のあるこんがりと陽に焼けた老いぼれた脚がクラッチペダルを踏みこむ。こんがりと陽に焼けて老いぼれた左手がシフトレバーを動かす。唾液で濡れたスリムの下唇の端っこに危なっかしくぶら下がった手巻きのたばこの先が黄色く輝き、次に灰色に、最後に黒に戻る。
「ヌーーートラル」
 フロントガラスのひびを透かして、ぼくの兄貴のオーガストが見える。オーガストはぼくらの家の茶色の煉瓦塀に座り、人差し指を使って流れるような筆記体で空中に言葉を刻みつけている。
 少年、空中に書く。
 少年は、お隣のジーン・クリミンズならモーツァルトがピアノを弾くようにと形容しそうな流儀で空中に文字を綴る。どの言葉も、どこかから勝手に送られてきたものなのだというように。少年の忙しい心を超越したどこかで包装され、発送された小包。クリップボードに紙をはさんで、でもなく、タイプライターを使って、でもなく、空中に、目に見えない文字を書き綴る。その文字がときおり風になって頬をなでたりしなければ、そんなものが存在するとは誰も気づかないような、信じる者は救われる類いの行為。メモ、考え、日記。あらゆることが空中に書きつけられる。オーガストはぴんと立てた右手の人差し指を縦横無尽に動かし、虚空に文字や文章を書く。頭のなかのものを残らず外に出さずにはいられない一方で、物語を世界に吸い取って消してもらわなくてはならないと思っているように、見えないインクが入った底なしのガラス瓶に何度でも指先を浸す。言葉は〝なか〟に似合わない。どんなときも外にあったほうがいい。
 オーガストは左手にレイア姫を握り締めている。少年は姫を離さない。六週間前、オーガストとぼくは隣町のドライブインシアターに連れていってもらい、『スター・ウォーズ』三部作をいっぺんに観た。このランドクルーザーの後部シートに座って、はるか彼方の銀河の物語にどっぷり浸った。飲み終えた箱ワインの中袋を空気で膨らませて、ヘッドレストの代わりにした。その中袋は、スリムが釣り道具箱や古ぼけた石油ランプと一緒にいつも荷台に積んでいるカニ獲りかごに載せてある。その晩、クイーンズランド南東部の空には無数の星が輝いていて、ミレニアム・ファルコン号がスクリーンを横切って飛ぶシーンでは、一瞬、そのまま現実の星空に飛び出し、光速でシドニーまで直行しそうだった。
「聞いてるか」スリムが大きな声を出す。
「聞いてるよ」
 噓だ。ぼくが人の話をちゃんと聞いていたためしはない。いつだってオーガストのことばかり考えている。母さんのこと、ライルのことばかり考えている。スリムのバディ・ホリーみたいな黒めがねのことも。スリムの額に刻まれた深いしわのことも。一九五二年に自分で自分の脚を撃ってしまって以来、スリムがずっとへんてこな歩き方をしていることも。ぼくと同じように、スリムにも幸運のほくろがあることも。ぼくの幸運のほくろには特別な力があって、ぼくにとっては大事なものだし、緊張したり不安だったり自信をなくしたりしたときは右手の人差し指の第二関節にある濃い茶色のほくろをとっさに見るんだと話すと、スリムはすんなり信じてくれたことも。ほくろを見ると気持ちが落ち着く。でも、それってバカみたいだよね、スリム、とぼくは言った。どうかしてるよね、スリム。するとスリムは、自分の幸運のほくろを見せてくれた。右手首の丸い丘みたいに盛り上がった骨のてっぺんにある、真っ黒なほくろ。皮膚ガンってこともあるかもしれないが、自分では幸運のほくろだと思っているから、切除する気になれないんだとスリムは言った。D9監房ではそのほくろがお守り代わりになった。そのほくろを見ると、アイリーンの左の内腿の付け根に近いところ、〝奥の聖域〟からそう遠くない場所にあったほくろを連想したからだ。おまえもいつかかならず、女の内腿の付け根よりさらに奥にある貴重な場所を知ることになるとスリムは言った。そのとき、初めて絹というものに指をすべらせたマルコ・ポーロの気持ちがきっと理解できるだろうと。
 ぼくはその話が気に入った。だから、四歳くらいのころ、茶色の袖がついた黄色いTシャツを着て茶色の塩ビレザーの長椅子に座っていて、右の人差し指の関節にほくろがあることに気づいたのがぼくの一番古い記憶なんだとスリムに話した。その記憶のなかではテレビがついている。ぼくはふと人差し指を見下ろし、ほくろの存在に気づいて、また顔を上げ、右を向くと、たぶんライルだと思うけど、もしかしたら父さんかもしれない誰かの顔─父さんの顔はほとんど覚えていないけど─がすぐそこに見えた。
 だから、人差し指のほくろは、意識が目覚めた瞬間と結びついている。ぼくだけのビッグ・バン。長椅子。黄色と茶色のシャツ。そこにぼくが出現する。ぼくが唐突にこの世に現れる。それ以前については怪しいんだとぼくはスリムに話す。あの瞬間より前の四年間はなかったんだとしてもおかしくない。ぼくがそう言うと、スリムはにやりと笑った。そして、その右手の人差し指のほくろからおまえは生まれたんだなと言った。

 イグニション。
「おい、ソクラテス。ついさっき、おれは何と言った?」スリムが吠える。
「ペダルはそっと踏め……?」
「おまえはおれをじろじろ見てるばかりだった。人の話をちゃんと聞いてるみたいな顔して、実は何も聞いちゃいなかった。おれの顔のここを見たりあそこを見たりしてるばかりで、一言も聞いちゃいなかった」
 悪いのはオーガストだ。少年は一言も話さない。かしましいこと指ぬき並み、おしゃべりなことチェロ並み。しゃべれないわけじゃないのに、絶対にしゃべろうとしない。ぼくの記憶にあるかぎり、オーガストは一言も話したことがない。ぼくにも、母さんにも、ライルにも。スリムにさえ、一言も口をきかない。意思の疎通に問題があるわけじゃなかった。腕に軽く触れたり、笑ったり、首を振ったりするだけで、言いたいことは充分以上に伝わってくる。オーガストは、パンに塗るベジマイトの瓶の蓋のひねり方一つで、そのときの気分を伝えられる。バターをパンに塗る動作一つで、どんなにうれしいか、靴紐の結び方一つで、どんなに悲しいか、相手に伝えられる。
 長椅子に並んで座ってブロックくずしのビデオゲームで盛り上がっているとき、何気なくオーガストの顔を見ると、何か言おうとしていたとしか思えない瞬間だったってことがたまにある。「何だよ、言えよ」とぼくは言う。「何か言いたいんだろ。言っちまえよ」するとオーガストは笑みを浮かべ、首を左にかしげて左の眉を吊り上げ、右手で空中に弧を描く。目に見えないスノードームをなでるみたいな身ぶり。ごめんと言いたいとき、オーガストはいつもそうやって手を動かす。(ぼくがどうしてしゃべらないのか、いつかおまえにもわかる日が来る。けど、今日はその日じゃないんだよ、イーライ。ほら次、おまえの番だぜ。)
 母さんによると、オーガストが口をきかなくなったのは、母さんが父さんを捨てて家を出たときだ。オーガストは六歳だった。母さんに言わせると、ちょっとよそ見していた隙に、宇宙がオーガストの言葉を盗んだ。そのとき母さんは別のことで頭がいっぱいだった。ぼくがもっと大きくなるまで話せない事情─母さんの息子を盗んだ宇宙が、ぼくがこの八年というもの二段ベッドの上下で寝ている成績オールAの謎めいたエイリアンを代わりに置いていった背景にあった事情─に気を取られていた。
 ときどき、オーガストの不運なクラスメイトが、一言もしゃべろうとしないオーガストをからかったりする。オーガストの反応はいつだって同じだ。その〝今月、誰より口が悪かったいじめっ子〟、オーガストの怒りの導火線が恐ろしく短いことにうっかり気づかなかったクラスメイトにまっすぐ近づいていって、自分の行為の背景を説明する能力がオーガストには欠けていることを誰でも知っているのをいいことに、母さんの長年のボーイフレンド、ライルから何種類か教わったボクシングの十六連パンチのなかのどれかを、そのクラスメイトの傷一つないあごや鼻や肋骨にお見舞いする。ライルは冬のあいだの無限に終わらない週末に、裏庭の小屋に下がった茶色い革の古いサンドバッグを使ってぼくらに根気よくパンチを教えた。ライルはこれといった信念を持たない人だけど、折れた鼻には力関係を一変させる力があると信じている。
 学校の先生はだいたいオーガストの味方につく。オーガストはオールAの優等生で、オールAの優等生らしく勉強熱心だからだ。児童心理学の観点からあれこれ言い出す先生がいると、母さんは、別の先生はこれこれこんな風にオーガストを絶賛してくれていましたけどと反論する─どの授業もオーガストがいるだけでスムーズに進むとか、オーガストみたいな生徒、一言もしゃべらない生徒が増えたらクイーンズランド州の学校教育制度には大きなメリットがあるだろうとか。
 母さんによると、オーガストは五歳か六歳だったころ、自分が映る物体を何時間でも見入っていたらしい。母さんがキャロットケーキを作っている足もとでぼくがおもちゃのトラックをがんがん床に打ちつけたり、ブロックで遊んだりしている横で、オーガストは母さんの化粧用の古い丸鏡をじっとながめていた。水たまりのそばに何時間でも座りこんで、水面に映る自分の姿を見つめていた。ギリシャ神話のナルキッソスみたいに自分に見とれていたわけじゃなく、母さんの観察によれば、何かを探しているような目をしていたという。本当に何かを探しているみたいに。ぼくらの寝室の入口を通りかかったときなんかに、合板の抽斗の上に置いていた鏡に向かってオーガストが百面相を作っているのを見かけることがあって、一度、ぼくはこう尋ねてみた。「どう、見つかった?」ぼくが九歳のときだった。オーガストは鏡の前から振り返った。無表情だったけど、上唇の左端がほんの少しだけ上を向いていて、クリーム色の壁に囲まれた寝室には収まりきれない世界、ぼくにはまだ行く準備ができていない、ぼくがいる必要もない世界が別にあるらしいとぼくにもわかった。それでも、オーガストが自分を凝視しているのを見かけるたびに、ぼくは同じ質問をした。「どう、見つかった?」
 オーガストは月が出ているとかならず月を見上げた。月がぼくらの家の上を通り過ぎていくのを寝室の窓から目で追った。月の光の角度を熟知していた。ときどき、真夜中にパジャマ姿のまま寝室の窓から外に出て、園芸用の散水ホースを前の通りの歩道際まで引きずっていき、何時間もそこに座って、通りが水浸しになるのを無言で見つめていた。角度がぴったり合っていると、巨大な水たまりを銀色の満月が埋めた。「月のプールだね」ある寒い晩、ぼくは高らかに宣言した。するとオーガストはぱっと顔を輝かせ、右腕をぼくの肩に回してうなずいた。お隣のジーン・クリミンズが大好きなオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の幕切れには、モーツァルトもきっとあんな風にうなずいただろう。オーガストは地面に膝をつき、右手の人差し指を立てて、月のプールにみごとな筆記体で単語を三つ書いた。
 少年、世界をのみこむ。
 ディテールを観察することを教えてくれたのはオーガストだ。人の表情を読むこと、言葉以外のものからできるだけたくさんの情報を引き出すこと、言葉では表現されないけれど目の前にある断片を一つ残らず集め、そこに埋もれた感情や会話や物語を掘り起こすこと。四六時中、話を聞いていなくたってかまわないことを教えてくれたのはオーガストだ。観察するだけで足りることもある。


続きは本書(2/17発売)でお楽しみください。


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