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今を生きれば、どんなに忘れられない「後悔」も必ず武器になっていくはず

振り返れば小学生の頃から成績は悪くはなかった。
天才ではなかったが、自分はちゃんとやらないと何もできない
みたいな自覚がしっかりあった。だからこそ大抵のことはこそっと勉強したり練習したりして万能人間のふりをしていた。

今だから思うが、そこには一種のプライドの高さなのか、失敗を恥とおもってしまう面があったのかもしれない。

「ちゃんとやる」ことの行動原理がどのようなものであろうと、昔から真面目であったことに変わりはない。真面目にやっていれば学校という社会では評価され、自身がまるですごい人材であるかのような感覚になれるのである。

しかし、この行動原理をおろそかにしていたことがまずいことだったと今になって思う。

私が真面目にやっていた理由は、学問に興味があったからでも将来なりたいものがあったからでもない。
大人に褒められるから、怒られたくないから、同級生からよく見られるから。すべて、他人が軸に置かれていたわけだ。


いやまあ、シンプルにまじめにやるべきことはやるべきとおもっていたからってのもあるけどね!


神妙な雰囲気がぶち壊れた。
けど今回は何とかこの雰囲気で文字を残したい。


判断軸が他人からの評価に偏っていた私にある試練が訪れた。
大学生活である。
何もかも自由で可能性だらけの4年間だったと思う。
多くの友人ができた。やりたかった陸上も思う存分できた。マーケティングの面白さを知った。ついてでに大卒という資格ももらった。
本当に楽しかった。
一生大学生したい。おっと本音が。
並べてみれば、「あぁ、十分じゃないか」そう思える。

だけど、意志をもって「自分の可能性を拡大する」そんな選択を全く取れなかったことが今でもひっかかている。
あんなに時間があったのに俺はなにをしていたんだ?
そんな疑問におそわれる。

ここ1年で取得した資格たちなんて大学時代にとれるものだし、それこそ新卒だったならかなりの評価を得ていたと思う。本当に何をしていた?


自分の人生に責任や覚悟を持ちきれなくて、そんなブレブレな状態で新卒就活に臨み、選択肢の多さに混乱して体を壊してしまった。
真面目に勉強して歩いてきた堅実な道は、本当の意味で堅実だったんだろうか。
自分の道に覚悟をもてていなかった。
この時点で、あまりに線路だらけの新卒就活駅前での脱線事故は確定していたのかもしれない。


他人軸だらけなくせにいっちょまえに自分の考え方があった。
思考が止まらないタイプだが、それを言語化することも得意だったので外面はものすごく芯があるような人間に見えるらしい。
だからこそ、覚悟を決めれないわりに敷かれたレールを走る電車の中で身を任せることさえもできなかったんだろうと思う。
中途半端な自我が「てきとうに」を許さなかったということだ。

あまりに不器用が過ぎる。


現状、路線の復旧は地道に進んでいる。
なかなかに遅延が起きていて、その悲惨さに頭を抱えることばかりだった。
しかし、今に目を向けて必要なことを洗い出して一つずつ取り組んでいくしかないのである。

一度脱線したレール。戻ろうなんてしないで自分でレールを敷いていったほうが楽しいそうだなと今では思える。
まだまだ苦しいが、自分の人生に覚悟を持つという感覚が分かってきて悪くない。


後悔なんてしたら際限がない。
社会人となり成長していく同級生。ためたお金で楽しむ同級生。
結婚なんてしちゃったりして。もうパパ、ママに!?
脱線していなかったら自分はそんな未来をはしっていたのかな?

比較してしまったり、ifを考えたり人間は本当に想像豊かでマイナス感情と仲良くするようにできているなと感心する。
とはいえ、どれもこれも考えたところで何も変わらないのである。


未来への不安も止まらない。
俺はこの現状を打破して立派に自立できているのだろうか。
キャリアをつむげているだろうか。結婚は。誇れる自分になれているだろうか。
そんなことは誰に聞いたってわからないのである。
だってまだ起きてないことなんだから。
近未来猫型ロボットくらいにしかわかりえないことを我々人間が想像したところでこれまた無意味なのである。


人はとにかく後悔や不安と仲が良い。
だからこそ、意識して今に目を向けることに重点を置いていたい。
後悔と不安にさいなまれて過ごしてしまったここ数年を糧にして
今やるべきことを一つずつ成していきたい。

それが未来の私が笑っている唯一の方法だと思うから。

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