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ささやかな幸せを大事にしたい

先週末、3歳の娘と二人で、散歩に出かけたときのこと。お花屋さんの前を通りかかったので、お花を買っていくことにしました。

以前に書いたことがあるのですが、Bloomee Lifeというお花の定期便を利用しているので、いつも家にお花はあるものの、たまには自分で選んでみるのもいいかな、と思ったのです。

娘がお花を見てウキウキしている様子だったので、「好きなの選んでいいよ」と言ってみたら「じゃあ、このピンクのお花と〜」と早速選び始めたので、結局、お花選びは娘にお任せすることにしました。

お会計のときに「ピンクにしたんだねー」とスタッフさんが娘に優しく声をかけてくださったのが、なんだかとても嬉しかったです。

そして、包んでもらったお花を受け取って、「ありがとう。バイバーイ」と言って手を振る娘を見て、ふと「なんかいいな」と思いました。

自分で好きなお花を選べるようになったり、お店の方とやりとりできるようになったりしたことに成長を感じたというのもあるし、こういう何気ない日常が、幸せだなと感じたのです。

考え方の癖なのかもしれないけれど、自分の人生を振り返るとき、幸せだなとか楽しかったなということより、嫌だったなとか恥ずかしい思いをしたなとか、ネガティブな記憶や感情がよみがえることが多くて。

例えば、以前に参加したとある研修で、自分の過去を振り返るワークがあり、中学生の頃の思い出を話す機会がありました。

中学校の思い出というと、部活や体育祭、文化祭などのイベントを頑張ったとか、友達との楽しいエピソードとか、そういう話が出てきそうなものですが、私はすぐには思い浮かばず。

文化祭で劇に出ることになっちゃったけど、引き受けなければ良かったという後悔や、修学旅行の部屋割りで揉めた苦い思い出とか、そんなことばかりが思い出されました。きっと、楽しかったことだってあったはずなのに。

でも、娘との日々を振り返るとき、嫌だったことや辛かったことは決してゼロだとは言わないけれど、嬉しかったこと、楽しかったこと、幸せだなと思ったことをすぐに思い出すことができるのです。

それはきっと、目の前にあるささやかな幸せに気付いているということなんだと思います。

今回の花屋さんでの出来事もそうだし、おいしそうにごはんを食べてる姿を見ているだけでも嬉しいし、保育園まで手を繋いで歩くことだって幸せだなと感じるから。特別なことではなく、毎日のことなのに。

過去の私は、日常にある幸せはほったらかしにして、嫌なことや苦しいことばかりを積み上げていたような気がします。でも、娘と出会えたことで、幸せはすぐそばにあるということを知ることができました。

これからの人生、娘のことはもちろんだけど、仕事にしても趣味にしても、自分自身のことで日々の小さな幸せに気付けるようになれたらいいな、そしてそれを大事にしていけたらいいな。今はそう思っています。

ちなみに、お花を買った翌日、花瓶に生けた花を見ていた娘が「〇〇(←娘の名前)が選んだお花、かわいいでしょ~」と嬉しそうに言っていて、またまた幸せを感じたのでした。

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