見出し画像

三日・三月・三年

人がなにかを継続しようとするとき、その継続が困難になるリズムがあるという。
その節目が三日、三月、三年なのだとか。

三日坊主、三年目の浮気、そんな風に耳にすることだからわたしに限ってのことじゃないのだと思う。

そう、初めの頃のnote記事にも書いたけれど、わたしも子どもの頃の日記や手帳、ノートの類を見るとみんな2枚ぐらいまでしか記入がない。
思い立つとすぐ行動するけれど、なかなか完成することが難しい性質があった。

理由はひとつのことに集中没頭して打ち込むタイプだから色んなことを同時進行することがとても難しいということもあるし、新しいアイデアやプロジェクトが次々湧いてきて、以前ほど興味や情熱を持てなくなったものもあるし、当時非常に完璧主義でなかなか良しとできなかったこともあるし。

やり直しがきかないと思うと失敗が怖くてあるポイントから前に進めなくなったり、単にその先のビジョンが湧かなかったり、忘れていたり。

本当に色々あると思う。

それなりに生きてきて、何者かになろうとしていた頃の自分としてはなにも為し得ていない自分自身に絶望したこともある。

自分に翻弄されることに疲れて、自分探しのようなこともそれなりにやったものの壁にぶつかったようなときもあった。

そうしてnoteを始めた。
とにかくなにか継続できるようになろうと。好きなことだけじゃなく、そうでないことにも精神的持久力をつけようと、そんな意図もあって始めたnoteだった。

一度なんだかうやむやに中断した時もあったけれど、3カ月とちょっとぐらいは続いていたようだ。

今回は多分97日目、あと3回で100回めの連続投稿、のはず。

もう今日は辞めておこうかな、とか。
毎日連続投稿ってなにか意味があるんだろうか、とか。

そんなことも思いながらとにかく続けてきて、3カ月はおろか3ケタの連続投稿をしたなんて、内容はともかく自分を褒めてあげたいと思う。
内容をどうでもいいと思えるならもっと継続は楽だったと思う。本当だったらもっと気軽にやるべきだったのかな?と今は思ったりもする。もっと軽く、シンプルな自分になっていけば・・・そうなっている自分もいる気がする。

でもとにかく言いたい気持ち。
自分、よくやったよ!と。

今は色々なことを続けるのが以前ほど困難に感じない。

だから決断しました。

毎日noteは100回めの投稿を区切りとして終わりにします

これからも書くという衝動はそのままに、日付が変わるということに縛られずに綴りたいと思います。
101回めの投稿は翌日かもしれないし、少し後かもしれないけれど、自分のペースで今度は3年を目指したいな、なんて思っています。

3年先とか考えて生きていなかったのですが(今も殆ど考えていない)。

以前記事で書いたことがあるように、インプットもアウトプットも色んな形があって、それぞれの目的や欲求に見合った形でアウトプット(またはインプット)を行う必要があることを身に染みて実感しました。

今は記事を書きながら別の形のアウトプットを同時進行しようと試みていますが、毎日noteという制約を外すことでその時望むかたち・必要なかたちでアウトプットができると考えています。

その方が時間的ゆとりができ、内面も充実するだろうとも予想しています。

継続ということに関してはいま語学学習を進めていますので、そちらが毎日やることとしてやりやすくなると思います。


もともと、ふざけているとき以外は必要性を感じない限り家族以外とはあまり話さないのでもとの沈黙に帰る時が来たなと、そんな風にも考えています・・・その分ことばをもっと大切に、最小限で綴っていけたらいいなと。

「珠玉の~」という表現がありますが、そんな風に例えられるようにことばを綴れたら。
そしたらわたしの書く行為もただのアウトプットではなく、いくばかりか価値のある行為になるかもしれないと思います。


思えば数字を数字として捉えるのが苦手なわたしが、パソコンの画面端の時計のデジタル表示とにらめっこしながら文を綴るのももう最期かな?
時間を気にして物事を仕上げるのも少しは上達したかもしれません。

たくさんの気づきをくれたnote。
真っ白い画面で私を鏡のように迎え入れてくれたnote。

思いがけず精神的持久力や時間感覚も育ててくれたnote.


これまでありがとう。
そして新しいスタイルのわたしになってからもよろしくね。

毎日noteというタグで繋がってくださっていたクリエイターの皆様もありがとうございます。
もうすぐこのタグから卒業します。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

振り返りnote

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!