先天性赤芽球癆(Diamond Blackfan貧血)~わが家の場合

入院中に書いた詩などをnoteに書くにあたって、ちょっと病気の経緯なども書いておこうと思ったので以下ざっくりと書きます。
思い出したことがあったら加筆修正します。
興味のある方だけお読みください。

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タイトルを読んでこの病気のことをすぐわかる人は少ないと思う。
再生不良性貧血のうち先天性のもので、わたしが知った時には新生児の100万人に1人の確率で発症していると聞いた。

最新情報は以下のリンクで。

この病気を知ったのは他でもない自分の第1子がこの病気だったから。

10月生まれで年賀状で出産報告をしたいのになにをやっても薄ら笑いしか浮かべない子供だった。
「赤ちゃん」なのに今思うと白かった。
くすみカラーのブルーベリー柄のロンパースを履いていたのに、唇の色がそのブルーベリーのくすんだピンクと同じ色をしていた。

3か月検診で担当した医師がそっと声をかけてくれた。
「予約はなくていいから、明日朝いちばんで病院に来てください」
穏やかな声だった。
なんだろうと思ったけれど、胸騒ぎは僅かだった。

翌日の採血で初めて知った。
重度の貧血で正常の3分の1ぐらいしか赤血球がないこと。すぐに紹介状を書いてあげるから市民病院に行って欲しいと言われた。
行ってすぐ緊急入院になった。
免疫に関わる好中球も500を切っていたから個室に隔離になっての入院だった。

すぐに輸血が行われた。

そんな重大なことになっているなんて気づかなかった。
初めてのこどもだったから。
考えて初めて赤ちゃんがあんなに白いことはおかしいと気づいた。
笑わないのは貧血が酷すぎて生きているだけで精一杯なぐらい怠くて辛いのだとわかった。

それから入院したけれど、実は病名がわかったのは治療もひと段落したおよそ2年後のことだ。
市民病院での1か月の入院の中、病名が判明せず輸血という対症療法しかできず大学病院に転院した。そこで血液学会でも「再生不良性貧血の権威」と言われる教授に診て貰えることになった。教授率いるチームでの実験的治療を開始して2歳を迎えようかという頃になってのことだ。

なぜそこまで病名が確定しなかったのか。
表題に書いた先天性赤芽球癆は貧血が起こる病気だ。

再生不良性貧血や白血病でも赤血球が下がって貧血が起きるのだけれど、その場合血小板も低下する。
つまり赤血球と好中球だけ下がるのは非典型的だった。ついでに言うと後で知ったことだがうちのケースではBリンパ球のみ以上にパーセンテージが高かった。

これが判断できなかった原因らしい。

わたしはチームの先生に「貧血と好中球減少症とふたつ病気になっているんじゃないんですか?」と尋ねたら鼻で笑われた。医学的にはセオリーから外れた考え方らしい。

でも結論から言って2つの病気にかかっていたことになった。
先天性赤芽球癆に対する治療法が効果を示したからだ。疑わしい幾つかの病気のうち、最も身体的負担の少ない治療法から順に試していって、反応を見て判断することになったから。
シクロスポリンなどよりステロイドの方が免疫的にも負担が少なかったから治療の第1選択になった。それが当たりだった。

薬剤抵抗性ではなかったのは幸いだけれど、ステロイドは本当に止めるのが難しい薬だ。生体ホルモンだからなのか。少しで反応が左右されると聞いた。
治療を開始して、点滴から服薬での外来診療、薬の減量からの再発という流れを2回経験した。
自宅での服薬治療期間、ちょっと激しめの遊びをしたとき顔面が蒼白になって一瞬白目をむくときがある。

直観があるとやっぱり再発していた。
殆ど全く赤血球を作らないから薬が減って作れなくなると貧血になる。
赤血球の寿命はおよそ120日と聞いている。そのぐらい減ったところで産生されなくなるのかまではわからなかった。

2歳で入院治療してまた点滴から服薬治療に切り替えるための退院検査をしたらそこで異常が見つかった。
血球が異常な形のものがある。
骨髄異形成症候群だった。

つまり病気が変化した。

主に老人がかかる病気だ。
抗がん剤治療にも反応が悪いというのが当時得ていた情報。
完全に治癒(完全寛解)するためには幹細胞移植しかないということだった。
恒例の場合は負担の大きい移植は選択しにくいので、抗がん剤治療をしながら寿命なのか曖昧に一生を終えるような印象を受けた。

生きるか死ぬかの選択だった。

生きる可能性をかけて移植を選んだ。
選んだからといって移植できるかわからないのがドナー問題だ。
わたしたち両親はHLAの型は一致しなかったからだ。

ドナーバンクに登録した。
献血はなんどもしていたけれどドナーバンクは登録していなかった。死後の臓器提供の意思表示だけだ。

幸い臍帯血バンクの方で適合する方があった。
臍帯血は出産時に対応の病院で提供するもので相手の方の日程や身体的負担健康状態を気にする必要がない。
でも出産の形を病院という場所に限定されてしまう。
一生に一度の体験を臍帯血の提供ということを優先して選択して下さった結果いのちの糸が結ばれている。
幸い幼児でからだが小さかったため量も充分だった。
わたしは自然な出産にこだわった人間だ。感謝せねばと思った。

移植は前処置を経て自分の免疫機構を働かなくして行う致死的な治療だ。
臓器が届かなければそのまま死ぬしかない。
臓器が定着しなくても、同様だろう。手は打つだろうけれど。

移植自体は注射のようにあっけなく終わる。
でもクリーンルームでの生活は非日常だ。

下痢とか嘔吐とか脱毛とか、GVHDとか。

教科書通りの反応が起きる中、特にこどもの想像を超えた悪気のない行動を除けば困ったことも起きず順調に回復していった。
勿論わたしはできることを最大限やろうとしてアロマセラピーからタヒボ茶(ハーブティー)、ヒーリングまで知りうることやれることは何でもやった。
そう、ヒーリングにであったのはこの時期だ。

回復の順調さは先生も驚くほどで「クリーンルームでベッドにミニテーブル置いてお箸でご飯食べている赤ちゃんは初めて見た!」と感嘆されていた(当時小さな子が病棟に少なかった時期で多くが小学校中高学年だったため2歳でも赤ちゃん扱いだった)。

日程通りか早いかくらいのスケジュールでクリーンルームを出て、個室から大部屋に移動した。
途中サイトメガロウィルス感染など面倒なこともあったけれどすぐ陰転して大事にならずに済んだ。

そこからは順調すぎて覚えていないぐらいだ。

毎週通っていた病院も2週間、ひと月、半年に1回と伸びて今は年に1回だ。
うちの子と同じ経過をたどった人はその再生不良性貧血の世界的権威である先生も国内でも1例しか知らず、その方が今どうなっているかは把握していないとのことだった。
つまりうちの子は大学病院では一応貴重なデータだと思う。
移植した以上血液型も変わり、血液のことは問題なくなったが貧血は元の病気の一症状に過ぎないので、低身長はそのまま。
今はホルモン外来で経過観察を行っているが、移植の影響なのか遺伝的な背の低さなのか個体差なのか、色々判別がつかないため判断に迷って治療に踏み切れなかったこともある。

永久歯が幾つか無かったりするし骨格は細いけれどとりあえず元気で生きている。

書き足すことがあるとすれば、3歳半下のこどももやはり同じ先天性赤芽球癆だったということだ。
この子は女の子なのだけれど生まれたとき完全に男の子かと思うほど骨格ががっしりしていた。そして本当に元気でよく笑う子だったけれど、6か月検診で病気が判明した。
そしてこの子も好中球減少症を併発していた。

兄弟姉妹でこの病気にかかるのは海外だとそこそこ例があるらしいが、日本人では6例目とのことだった。
実際2年ほど前だったか、染色体の検査の技術が向上したとのことで以前はターゲットを絞って検査していたのが一度にたくさん調べられるようになったとか何とかで、検査に協力してほしい旨が外来の時に同意書と共に渡された。
娘の血液はたくさん保管されているとのことで病院に行かなくてもそれで検査ができるらしい。その検査もなにかわかったら連絡がくることになっていたが、何もないところを見ると家族間の関連要素も見られなかったのだろう。

下の娘はもう親が慣れたものだから、減量の仕方が疑わしいと判断していたので先生の提案した方法からタイミングだけアレンジしてよりゆっくり減少できるようにした。

以来減量は成功し、娘は再発していない。

ただ移植をしていないのでウイルス感染がきっかけになって再発するリスクがあること(そういう例があることが分かっている様子)、予防接種の類は避けることが言われている。

こちらもそんな生死に関わるような病気になったと思えないほど元気だ。
この子の場合はCV(中心静脈カテーテル)も入れていないので外見からなにかあったとはわからないと思う。
2人とも見る人が見ればわかるマルクの痕ぐらいかな。

とりあえず人によってはすごく重い記憶にもなるであろう内容をざらっと振り返りつつ書いてみました。
個人のスペースは畳1畳ほどの生活の中、他人という名の同じような環境でいのちと向き合う仲間との家族以上の絆で繋がっていた濃密な時間でした。

ヒーリングや精神的な世界など子どもの頃繋がっていた世界とのリンクを取り戻したのはこの流れがあったからかもしれません。
或いはどうあってもこの世界に戻っていたかもわかりませんが・・・

そんなわけで非日常の世界だったので詩の背景としての世界としてここに残しておきます。
お読みくださった方ありがとうございました。
そして同じ病気の方(以前ブログに書いていた時もお1人いらしてくださいました。それぐらい稀な病気ですが)、希望を持って。長期的な視点で自分を狭いところに閉じ込めないでくださいね。
この病気の辛いところは病気になった本人が乳児だというところだと思います。母は自分を責めるものです。

でも責めなくて大丈夫だから。
親の責任とは関係ないところで運命は動いています。

壮大な計画を持った大いなる自分で創造し、自らの創造を体験しているものなのです。自分とはあなたを含め、患者である赤ちゃんも、関わる人すべての人のことです。

だから、信頼してください。

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!