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意識の境界

今日はまとまっていないぼんやりした話です。

わたしは意識の境界が薄めの人間です。

ちょっと前、学校に行っていた時は結構な壁を作ったりしていました。同じ学びの道にある仲間だからそういうことはわかるようで、何度か指摘されたりもしていました。

でもこのnoteでも何度かエンパスとかHSPとか書いたりしていますが、素でいるととても壁が薄いと自覚しています。
振り返ると他に人間がいないとき無自覚にそうなりやすい傾向があります。

どういうことかというと本当に自分という意識じゃないところとリンクしてしまいます。それはすべてが終わった後だから気づくこと。
それもそうなんだと理解できたのは最近のことなので昔はなにが起こったのかもわからず、わたしの肉体にはただ恐怖の感覚だけ残りました。

よく金縛りを恐怖体験として話すのに似ていますね。
わかってしまえばなんていうことない現象なのですが。

わたしがリンクしたので変わったものは昆虫と石でした。どちらもそんな長い時間ではなく一瞬のことだったはずなのですが、はっきり体験としてそれもリアルな感覚が残っていて、戻った時には物凄い恐怖と動悸がしていたのを覚えています。

特に昆虫の時はわたしは小学生でしたのでただ謂れもなく虫が怖いという認識になって、それ以来節足動物は全部苦手になりました。エビもカニも食べられないどころか見るのもおぞましくなってしまったぐらいです。
学校に行って、卒業して、それから幾つかの類似した体験を経て自分に何が起きていたのかを理解しました。

そして苦手意識は無くなりました。すべての昆虫類が得意なわけではないですが。

そしていま新たな認識に至ろうとしています。
今までわたしは自分という「個」の意識と昆虫の集合無意識などがリンクした。そう認識していました。

でも違うのではないかと。

そもそも「個」ではないからこそ繋がった状態を感じられたのではないかなと、そんな風にふと思ったのです。


この世界が分離しているという幻想。
自分がいて、それ以外の誰かがいるという幻想。
物質があって、誰かがお金を所有し、誰かはまたそれを得ることに恵まれていないという幻想。

わたしはまだこのことについて多くを語る立場ではないので控えますが、そんなことにふと気づいたのでした。昨日からの流れがあるのでしょうか。

いま本当に大きな変容の流れにいます。
多分同じソウルグループの方々もそうなのだと思います。
昨日はソウルグループの一点に向けてヒーリングを送りましたが、今日はソウルグループの皆に向けて送りたいと思います。

わたしという主体を超えて、ただヒーリングは起こるべくして起こる。
そう思います(知っています)。


* * * * * * *

写真は戴き物の落花生。
わたしがいまいる愛知県の三河では「地豆」と呼ぶそうです。
枝豆とか小豆のように地上で実を結ばず、地中にできるからかな。

夕刻義理の姉から戴いたのを早速圧力鍋で醤油煮にしてみました。鮮度が大事。
姉は友人宅に呼ばれて掘ってきたそうで・・・スマホ操作教えるだけなのに本当にいつも義理堅い・・・‼
思いがけない秋の味覚に感謝でした。

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