躁と鬱(ひとりごと)

双極性障害。
今はそう呼ぶようになったそうだ。

誰だったか芸能人がカミングアウトしたとか。

今の時代は心の問題について皆が打ち明けやすくなったのかな?

わたしが子どもの時はカウンセリングを受けに行くなんてとっても敷居が高いこと、秘め事のような問題だったように感じた。

「イエローピーポーが来る」なんて茶化しもあった。
精神疾患の人を黄色い救急車が迎えに来るのだと。

そんな嘘のような言葉が怖かったのは、その言葉の裏にある「レッテル」が正体なんだと思う。
社会からのはみ出し者のレッテル。

はみ出し者にも色々ある。
気がつけば立派に「はみ出し者」になってる。
いろんな所からはみ出している。

社会の物差しなんて糞食らえだと思う(失礼。この変換の文字はいただけない…)

自分自身を持て余している人。
伸び伸びして好き勝手しているようで痛みを抱えている人。

どこにも身の置き場がない人だからって身を縮こまらせて生きねばならない道理がどこにある?


わたしは誰の言葉を語っているつもりなのか。
全部自分じゃないか。

浮いては沈む心と人生。

鯨は潮を噴いてまた潜る
その海中でさえも自由で
愛の中に豊かなのだろう

人は沈んでいるとき
自分自身を見失っている

あなたの身近なひとが
ちょっと気まぐれだったり
気ままに感じたり

或いは無精なのか忙しいのか
たまに全く連絡をしない人だなと
或いはたまにしか連絡をしない人だなと

そう思ったならば

その時その人は「沈んで」いるのかもしれない

人知れず苦しんでいるかもしれない


ひとりで背負う質だから
頼り方を知らない人だから

悪いと思ってしまうから

元気なときだけ連絡する
問題なく言葉が綴れるときだけ連絡する

笑顔が自然なときだけ


彼らは鯨じゃないから
潜っているとき幸せを見失っているから

そのまま永遠の淵に潜ってしまいたくなることもある

永遠に


もし
瞳に誰か映るなら
心に誰かが映るなら

繋がっていて。
その手を離さないで。引き寄せて。

求められていなくても。
求められていると思わなくても。

それが
今日のわたしの小さな願い。


* * *

今日は一段と散漫な文章ですみません。
チャンネルの関係です(インプットとアウトプットのバランスが著しく崩れてます)
途中からブツブツな文になって前半と合わなくなりましたがまた折を見て編集します。

今日もありがとうございます。

ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!