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ヨガをしていて最近思うこと。

「ヨガマットの上で人生を経験する」という言葉が好きだ。


人生の中でいろんなことに挑戦し、挫折し、時には成功してきた。


私の挫折の歴史は長い。
保育園の頃からたくさんの挫折の記憶がある。
例えば鉄棒の前周り。例えば長距離走。(あれは辛すぎた)
例えば体操教室。(結局跳び箱3段も飛べなかった)
例えば水泳教室。(3年通ったけど私は未だにビート板なしでは泳げない)


「挫折の経験」という風呂敷を広げるとその広さは際限ない。
底がない海のように、挫折の経験が後から後から頭に浮かんでくる。


そんな中、「挫折」してから巻き返して、そのまま続けていることもある。
例えば歌。小さい頃から歌うのが好き。他のことを全部置いておけるから。
中学からは習い始めた。たまに「なんでこの音が出ない?」と思ったタイミングもあったが、それでも今まで「歌う」こと自体を続けている。
例えば仕事。高校の頃にアルバイトを始めてから、私は常に何かしらの仕事をしている。「自分で仕事を作る」からはずっと逃げ続けているけど、「働く人」として人と接することを常に続けている。たまに、人間関係やコミュニケーションのことで悩む。それでも、続けている。それが私の自我でこだわりであると感じるくらい。
例えばカメラ。正直これのシステム的なことや技術的なことは何もわからないし、私は現像の仕方も知らない。一時期その辺りを学ぼうとも思ったが、挫折した。それでも、写真を撮って残したいという衝動からは逃れられないみたい。


そして、ヨガ。

ヨガスタジオに初めて行ったのは、高校2年生?1年生?くらいのことだったと思う。高校生になって、なんとなく行動範囲が増えて、地元の中の「街中」と言われるあたりにできたホットヨガスタジオに友達と通い始めた。
なんとなくその頃は、「みんながやってないことを大人に混じってする」ということに、あぐらをかいていたかったの。
何か嫌なことがあったり、人と比べて凹んだりしたときに、「でも私は○○をしてるから」って縋れる、何か人と違う個性が欲しかったの。

でもそれも何度か挫折した。

いっぱい通うぞ!と思っても、全然通えなかったの。
なんとなく「ヨガ行ってる」っていうものが欲しかっただけで、自分をどうしたいとか、ここに通うことでどんな私になりたいかとか、そんなものは何もなかったの笑

それでも、なんだかんだ、ずっとヨガは好き。
人生のいろんなタイミングで、なんだか戻ってきてしまう。
人生を歩いていくうちに、「名前のつかない体の中の変化を自分で治癒していくこと」「事象に名前をつけないこと」「人を種別づけしないこと」など、自分が東洋医学の考えの中で落ち着ける人であるということが分かってきたあたりで、私のヨガへの向き合い方が変わってきた。


それは20歳くらいの時期で、実際にヨガを伝える立場になった今とはもちろん感覚も価値観も違うけれど、その頃自分の内側を覗いてみたことは私にとっては劇的な出来事だったと思う。もがいてたの。自分が分からなくって。いろんなことに手をつけてみたの。失敗もその後の今の自分がいたら、全部成功になるの。


就職してから、また少しずつスタジオへ行くフットワークが軽くなった。
まだその時期、「ヨガをしてる自分を見て!」っていう感覚は体の中にあって、だから面倒になったら行かなくなっちゃったの笑
ただ、なぜか、ヨガをしている時の自分が好きだった。その時間の中に、自分が自分とマンツーマンで向き合ってる時間がある感じが、していたのかもね。当時はその無敵感(?)がなんなのか、全然文章化できなかったんだけど笑


そのあと仕事で異動をしても、異動先でヨガに通ったり、コロナ禍ではYoutubeを見ながらヨガをすることもあった。
その頃は自分の体を変えようとか、そんな気持ちが強くて、ちっちゃなことで落ち込むことを繰り返してたけど、それだけじゃない何かをヨガに求めていたような感じもしたの。


今の会社に入社して、「できなかったことをそこで止めてしまうから挫折になる」という言葉をもらった。


入社してから、私がヨガに求めていたもの、人生に求めていたもの、私にとって核となる部分がどこなのかが明らかになっていった。
今まで挫折してきたことがたくさんあったけれど、それでも人生を続けてきたし、「挫折した何か」の中でも、その後もなんだかんだ続けているものがあることにも気づいた。
私が今ここにいて、生活をしていて、生きているってことが、挫折を挫折のままにしないで進んできた結果だということなんじゃないかと、最近では思うようになった。


ヨガをしていると、時折挫折する。最近だったら、ヘッドスタンドが全然できなくて落ち込んだし。
けれど、振り返って自分がチャレンジしたことを見つめていたら、その過程に私の素晴らしさがあるし、できるとかできないとか、そんなものどうでもいいって気づいたの。
今この瞬間のこの体を体感できて、体の感覚があって、今自分の体と心がフィットしているということが何よりも素晴らしいことなんだと思える。
それを科学的な側面からいうと、「練習を続けることで脳神経の巡りが良くなり、新しい神経が生まれ、体の表面へ行動を引き起こすまでのスピードが速くなる」ということなんだろうけど、実感としてそれを感じられることがとんでもなく気持ちよくてとんでもなく心地よくて、私の体ってただ存在してるだけで最高だなと思うの。


「ヨガマットの上で人生を経験する」
って、初めは動きに対してできる・できないを求めたり、体がどうなる・どうならない、見た目がどうなる・ならないが気になって、それが達成されないと落ち込んで、そのまま諦めたりしてしまうけど、
それでも続けていくってことだと思うの。

私が歌で挫折しても歌と付き合い続けているのと一緒で、ヨガマットの上で、挫折をしながらもその自分も受け入れながら、その過程に楽しさや価値を見つけることだと思うの。


最近そんな風に思ってたら、突然体の動きが良くなったり、脳が静かな状態が勝手に続いたり、少しずつ私の変化が感じられる。
思考が変われば目に見えるものや肉体感覚、身体感覚、何もかもが変わっていくんだと体感しつつある。これがあと少し経てば、言葉にできない実感になる。


私はまだこの世界の奥深さの一部しか知らないけど、この感性を持って、私が私として、これからも進んでいきたい。


そして、「20歳の時の私はね」ってこうやって語ってるみたいに、「25歳の頃の私はね」って言いたい。自分が歩いてきた過程を、愛し続けていきたいな。


(サラバ!!って小説のお姉ちゃんが言ってた、
「核を自分の中に持つ」って、私が今立ち会っている人生の中のもの自体な気がする。
貴子さん。)

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