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アラサー独女が「ゆたかさ」について本気出して考えてみた。

かつては30歳になることを恐れていた。

まるで人生のピークは29歳までで、30歳になると一気に失速していくものだと思っていたけど、なってみれば全然そんなことはない。何を恐れていたのだろうかとかつての自分に失笑だ。

時間にゆとりが出る。仕事も安定する。目まぐるしく過ぎて行った20代だったけど、30代は色々と考える時間が増えたように思う。当然好きに使えるお金も増えた。私がそんなにブランド志向ではないからかもしれないけど、豪遊でもしない限り欲しいと思うものは大抵手に入る。

だが、果たして自分は「ゆたか」なのだろうか。

寝るところがある。

仕事がある。

家族がいる。

気の置けない友人がいる。

衣食住に不安を抱えていないことはまず物資的にゆたかと言えるだろう。人間関係においても大切な人がいることはゆたかと言えるだろう。

しかし私は今決して満足をしていない。決して多くを望んでいるわけではなく、ただただまだまだ足りていないのだ。

きっとそれは物資的なものでも人的なものでもない。

「私って何?」という、一言で言ってしまえば思春期の頃と何一つ変わっていない青臭い自問自答が原因だ。

勿論中学生のまま時が止まっているわけではないし、自信をもって「私とは!」を言える時期もあった。しかし諸行無常。人は変化し移ろいゆくものであるから、一定の周期で「私って何?」という自問自答を繰り返していくものなのだと思う。変化し続けるものだから自己評価も変化させなきゃいけないのは当然なのだろうけど。

そしてこれは厄介なもので、誰になんと「あなたはこうだ」「キミはこういう人間だ」などとレッテルを与えられても自分が納得しなければ即ち答えではない。

自分の正体を掴んだとき、人は本当にゆたかになるのではないかと思う。

だから皆自分を知りたがる。カテゴライズされて安心する。自分を貫いている人を見ると羨ましくなる。嫉妬する。

ひとまず30歳の私が出した結論。

ゆたかさとは自分を知る、受け入れることである。以上。

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