見出し画像

ジャカルタでのワークショップ

コロナ禍で国内・海外での協働実践や視察もままならない日々が続いている。私は職業柄、夏休みと春休みを使うしか長期出張できないのだが(授業を持っているからである)、ヨーロッパの長いバカンスを考えると基本的には春休みに海外出張してきた。それが無くなった1年目、つまり去年の春は喪失感で鬱々としたが、2年目の春ともなるともうこれが当たり前というか、海外に行くのが怖いとすら感じるようになった。コロナは人を引きこもらせるところがあるようだ。

このままコロナに負けていてはいけない、今まで国内外で見てきたもの、やってきたことを写真をもとに振り返ることで、何を考えて動いてきたかを振り返ろうと思った。そこで、最も印象に残っているワークショップについて、まずは最初の記事として書くことにした。2013年9月22日-23日にジャカルタのスラムで行われた実践の視察に行ったものである。

このワークショップは、After fire Projectというものの一貫で実施されていた。もともとジャカルタに関心を持っていたのは当時付き合いのあった大学院生が留学していたからだったが、そこ経由で情報をたどるととんでもない実践を知ることになる。人口爆発を遂げるジャカルタには町と町の間にスラムがあり、そこが「暗闇」となっている。

画像2

気に入らないことをした人がいると、村八分にする習慣があって、火をつけて追い出すのだという。その焼け跡地に、白壁の光まぶしい図書館を建てようとして奮闘する日本人学生がいるというのがこのプロジェクトの内容だったと思う。住み込みで、図書館を創るその過程では、何度も途中壊され、木材が近隣の川に投げ入れられることもあったようだ。それでも、その日本人学生は徐々に受け入れられ、図書館がついにできた。そして、そのお祝いにワークショップが実施された。

すごいのは、そこに集まってきた子供の数である。びっちり埋まっている。聞けば、教育体制が整わず、小学校が二部制で、午前早くに学校が終わってしまう子と、昼前に帰って来る子が居るのだという。

画像1

学びたいという熱気に私は押された。日本の高等教育の現場に居て、私にはそれまで教育という言葉を使うことにそれまで照れのようなものがあった。しかし、ここには本当に、学びを求めている子供たちがいるのだということを目の当たりにした。そして私はこのときから、自分の専門を教育学、と胸を張って名乗れるようになった気がする。

もう一つ印象的だったのは、スラムで台所もお風呂も共用という生活をしていても、彼らにとって安くなかろうベネッセの通信教育をやっていたり、iPadのパチモノみたいなのが路地で売られていたりして、親は子供の教育に熱心だということだった。親は沢山の子供のうち一人でも成功者になり、一族に金銭的豊かさをもたらしてくれることを願い、ITに夢を託しているようだった。ジャカルタのパワーを感じた渡航だった。やはり、行って見なければわからないこと、感じられないことがあると私は思う。

画像3


私の記事を読んでくださってありがとうございます。サポートされると今後の実践・研究の励みになります。よろしくお願いします。