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なぜ蔓延するのか

こんばんは。貼り絵とんぼです。

Twitterのリプ欄にたまに貼られる画像にこんなものがあります。

筋肉ムキムキの男の人が筋トレをしていて、その横に立っているヒョロヒョロの人が横から「その筋トレ意味ないですよ」という画像です。

元は誰かのTwitterあるあるとしてツイートされたものが、汎用性の高さからたくさんの人がその画像を流用しているのですが。

要するに素人がプロやプロ級の人に分かったような口をきいている、というのがTwitterあるあるとして取り上げられているわけです。

当然これを見た人は「自分は違うけど」あるあるだなーと、このヒョロヒョロの人の方を分かっていない人認定するわけです。

※画像載せたいのですけど、利権とかよく分からないのでやめておきます。画像が気になる方はその筋トレ意味ないですよ、で検索して見てください。

つまりほとんどの人がこの画像の真意を理解しており、その上で自分はやっていないと思っている。

しかし私は、その割には未だにその光景をよく見かけるし、数も依然多いままな気がしました。

画像のヒョロヒョロの人間に対してはみな「何も分かってないやつ」と認定できるのに、その「何も分かってないやつ」がTwitterにもその他SNSにも多すぎると感じています。

私がふと思ったのは、未だにその「何も分かってないやつ」の行動をしてしまう人間は、自分が横槍を入れている人間が画像でいう「筋肉ムキムキの人間」であることに気づけていないからではないかと。

プロ野球選手に、もっとこうやって打ったほうがいい、とかアドバイスめいたことを言うお門違いな人ももちろんいます。先の画像では、こういう人たちのことをあるあるとして紹介しているのですが、これは分かりやすい例だと思います。真に厄介なのは、自分がおせっかいなアドバイスめいたものをしている相手が、画像で言うところの「筋肉ムキムキの人間」であることに気づいていないで言っているパターンです。

プロ野球選手は肩書きがあるので分かりやすいですが、例えば地元期待のホープで、これからプロ入り確実、と言われている選手なら、その情報はネットのワンシーンだけでは伝わりません。おせっかいをする人は、その期待の選手をただの素人と勘違いして自分の言いたいことを言う、そう言う構図が出来上がるのではないでしょうか。

どの世界でもそうですが、たかだかネットで一場面を見ただけの人間が、当事者とその周りの人間の考えていることなど分かるはずもありません。「その筋トレ法意味ないですよ」と、アドバイスしたがる人間は、あたかも自分が初めて新しい視点として意見してあげていると勘違いしがちなものですが、九割以上の確率で、そのような議論は当事者とその周りの人間とで議論し尽くされたものなのです。

ネットでワンシーンを見ただけの人間が、的確なアドバイスができるわけはないことを理解できていないからこそ、そのような、筋肉ムキムキな人間にヒョロヒョロの人間がアドバイスをすると言う構図が出来上がるのだろうなと思ったりしました。

以上。毒吐きました。読んでくださりありがとうございます。



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