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レーゲンスブルク②世界遺産の街を散歩

街は徒歩で歩ける距離で、市内に見どころがたくさんある。

Goliathhaus ゴリアトハウス

石橋から南に向けて細い道を抜けると、目の前に大きな壁画が見つかる。

Goliardenとは、官僚を目指す学士のこと。
12世紀頃ここは宿泊施設で、学士達が集まる事からこの名前が付いたそうだ。
しかし、いつしか聖書の『デビットとゴリアト』のお話が壁に描かれ、それからは学士というよりは、このお話の壁画のほうが有名になってしまったという、少し可笑しな由来があるそうだ。

シンドラーの家

このゴリアトハウスの後ろ手に当たる場所に、オスカー・シンドラーの家がある。
戦後、1945年から1946年まで、妻エミーリエと住んだ事が記されている。

Kohlenmarkt 石炭市場

ゴリアトハウスから西に向かうとすぐに、広場に出る。
ここは、かつての石炭が売買されていた事からこの名前が付けられているそうだ。

Altes Rathaus 旧市役所

石炭広場の一角に旧市役所がある。
この建物の歴史も古く、13世紀に遡るようだ。

Don Juan ドン・ファン像

旧市役所の隣に、この像が建っている。
スペイン人のドン・ファンが何故このようなところに?と思うかもしれないが、彼はカール5世の隠し子で、4歳まではレーゲンスブルクに住んでいたという。
彼の生家とされている場所近くに、この銅像が建てられたそうだ。

Reichssaalgebäude 帝国議会の建物

旧市役所と並ぶ建物。
16〜17世紀にかけて、神聖ローマ帝国の議会はここで行われていた。
内部は30分おきにツアーにて見学でき、所要時間1時間。
帝国議会場や、地下にあるかつての牢屋跡なども見学できる。

入り口の上に飾られた石像は『シュッツ(庇護)とトゥルツ(防衛)』は見張り役。
おかしな人が入ってこないように、上から目を光らせているそうだ。

議会ホール前

謁見の間。

こちらが議会場ホール。
豪華さはないが、木造の天井は素晴らしく、重々しい雰囲気を感じられる。

天蓋の付いた中心部分は、3段の階段が付けられており、もちろん皇帝が座る場所。
前方両脇の赤いベンチは選帝侯。
緑のベンチは諸侯、その他色分けされていないベンチは貴族、聖職者と区別されている。

舞踏会会場としても使われたため、2階部分は音楽隊のための場所。

左の大きな扉が現在の議会ホールへの扉だが、以前は右の壁に塗り込まれてしまっている小さな扉が使われており、広場から階段で議会ホールまで来られるようになっていたそうだ。

地下に行くと、真っ暗でひんやりとした空気にゾッとする。
ここは拷問部屋と牢屋として使われていた。
椅子は持ち運び可能で、見せしめのために広場に運び使用していたそうだ。

これらの器具は、当時のまま残されているそうだが、頻繁に使われたわけではなく、特別な場合のみに使用されたとガイドさんからの説明があった。

大きな秤は広場に面した場所に置かれており、実際に市場で使用されたそうだ。
大変大きいが非常に繊細にできている。
ガイドさんが小さな鍵を置いただけで、すぐに反応した。
塩を始めとして、非常に細かい計測が必要とされた事から、この秤は貴重な存在だったろう。大砲は元々ここにあったわけではなく、保管できる場所が他にないため、ここに移動されたそうだ。

帝国議会入り口階段には、尺度を測るエレの表示も。

Café Prinzess カフェ プリンセス
ドイツ最古のカフェ

ドイツ最古の一つが、このカフェ。
ウィーンに欧州最古のカフェがあり、その文化がレーゲンスブルクに渡ったようだ。
コーヒーを嗜むというよりも、当時は薬として飲まれる事が多かったそうだ。
ケーキは、帝国議会にも提供されたとか、、、
旧市役所の反対側にあり、2階部分がカフェになっている。

訪れたかった場所

レーゲンスブルクでお勧めのお店の一つに、Dampfnudel Uniがあった。
このお店は2022年3月に、その長い歴史を閉じてしまった。
一度でいいから訪れてみたかった、洋風蒸し団子のお店。

Heideplatz ハイド広場

石炭広場を更に西に向かうと、すぐに次の広場に出る。
ハイデとは、ヒースという野草の意味もあるが、野原や荒野という意味もある。
かつてはここも荒野だったのかと思うと、歴史の長さを感じずにはいられない。

広場は三角形になっており、中心には正義の女神の噴水がある。

Neue Waage 新計測場

橋の袂には塩倉庫があるが、この街はかつて塩を始めとして、多くの地方からの物品が集まる場所でもあった。
帝国議会の大砲の写真と共に、大きな秤が写っているが、この秤は昔からここに置かれて、物品を計測していたそうだ。
後にこの場所に計測場が移され、取引されるようになった。

さて、ベルリンには熊、ウルムには雀と、街のシンボルになる動物がいる。
この街には、小さなネズミがいるようだ。
そして、このネズミは、この新計測場で見つける事ができる。

Thon-Dittmer-Palais トーン ディートマー宮殿

かつての宮殿は、学校や図書館に変遷しながら、今は劇場としてその役目を担っている。

Goldenes Kreuz ホテル金の十字架

宮殿の隣にある要塞を思わせるような建物は、ホテルだ。
13世紀頃、街の有権者達はその富を見せつけるかのように建物を建てた。
この建物も、そのうちの一つ。
16世紀頃からホテルとして利用されており、今も宿泊可能だ。
カール5世もこのホテルに泊まり、その時のお相手が身籠り、ドン・ファンが産まれたそうだ。

Porta Preatoria ポルタ プレトリア

ゴリアトハウスから東へ進むと、この建物が見つかる。
これはトリアのポルタ・二グラと並び、アルプス以北で現存するローマ帝国の門だそうだ。
建設はなんと179年。
その歴史に唖然とする。

ここは、軍団宿営地カストラ・レジーナの北門として使用されていた。
レーゲンスブルクの衰退と共に、門は取り壊されていたが、1885年に元々あった建物を壊す作業をしている際に、遺跡が見つかったそうだ。

Legionslagermauer 城壁跡

更に東へ進むと、大きな道路とのT字路角に、この遺跡を見つける事ができる。

Karmeliten Kirche カルメル教会

Karmeliten Geiste カルメル蒸留酒

カルメル修道院にて作られる天然スパイスとハーブで作られた蒸留酒。
アルコール度数は、なんと75%。

Römerturm ローマ塔

残念ながら修復中。
強固な造りの塔は、金庫としても利用されていたとか。

新主要教会 Neupfarrkirche

ドーム広場から南へ向かうと、大きな広場に白い教会が見つかる。

中に入り腰を下ろした途端に、パイプオルガンの演奏が始まったので、心底驚いた。
大聖堂ほどは大きくないためか、教会の中には私一人しかいなかった。
次々と降り注がれる音の洪水に、私は静かに目を瞑った。
ただ、耳と身体で感じる音に、じっと集中していた。
音に包まれ、音に頭を掻きむしられ、音に癒される。
パイプオルガンの演奏は、何曲も続いた。
私は、一度も目を開けず、じっと耳を傾けていた。

私はこの旅に出る前に、ストレスを抱えていて頭がいっぱいだった。
心の中にある言葉にできない気持ちが、音と一緒にかき混ぜられて、そしてどこかに持ち去られたようだった。

パイプオルガンの演奏が、止んだ。
教会には、また静寂が戻った。

そっと目を開けると、一人だと思っていた教会内には、多くの人がいた。
多くの人がこの音楽を美しいと思い、この教会に入り、同じ時間を過ごしていたのだ。

私は今まで目を塞ぎ、心まで塞ぎ、私を助けてくれる人の事さえも、気付かなかったかもしれない。
ストレスは、自分が自分に与えていただけかもしれない。

旅に出て良かった。
私は、教会に入った時よりも軽い足取りで、教会をあとにする事ができた。

レーゲンスブルク③に続く。

大聖堂と石橋についてはこちら。

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