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ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタル 世界遺産の橋を見たくて

ドゥブロブニクからの日帰り旅行。

行先は、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モスタルの街。

距離にして、150km程だが、国境を3度超える。
ドゥブロブニクの記事に書いた通り、ドゥブロブニクが飛び地になっているためだ。

ドゥブロブニクから海沿いを北上、ネウムの街があるボスニア・ヘルツェゴビナ領に入る。
そこから更に北上し、再度クロアチアに入国。
その後、ボスニアヘルツェゴビナ領に再入国となるのだ。

150km程度なのに、この国境でのパスポートコントロールに、かなりの時間がかかる。
クロアチア領から、ボスニア・ヘルツェゴビナ領に入る時は比較的スムーズだが、その逆はコントロールが厳しい。
クロアチアがEU国であるからという理由もあるだろう。

普段、陸路でオランダやベルギー、フランスまで、何のコントロールもなく行き来してしまうのに慣れているので、陸続きのこんな近い場所へも、厳格なコントロールがあることを、何故か新鮮に感じてしまう。

海沿いを走り、次は内地を走る。
内地は、見渡す限りの広大な自然が広がる。

モスタルへの途中に、クラビカという街を通る。
ここには、綺麗な滝があるのだ。
Kravice Waterfalls

上部写真の右側が滝。

モスタルに到着。
モスタルは、クロアチアから来ると、より一層アジアの雰囲気が味わえる街だ。
街の中心部は、このような細い路地一本しかなく、両側がお土産店でひしめき合っている。

橋の近くには、水パイプ、銀細工、木工細工など、工芸品のおみやげ物が、所狭しと並ぶ。

この橋が見たくて、モスタルまでやって来た。
スタリ・モスト Stari most、古い橋という意味を持つこの橋は、世界遺産に指定されている。
2005年の事で、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ初めての世界遺産指定となった場所でもある。

ネレトヴァ川に架けられたこの橋は、16世紀にすでに完成していたそうだ。
技術的にも、とても珍しい技法で作られたものだという。

しかし、1993年、その国内紛争の最中に、クロアチア民兵により破壊されてしまった。
街の象徴でもあったこの橋は、2004年にようやく今の形に復元され、翌年に世界遺産に指定されたことになる。

橋の両側には、塔が聳える。
橋の守護神なのだそうだ。

橋に使われている石の表面は、すべすべとしている。
そして、橋の傾斜角度がきついため、とても滑りやすい。
そろりそろりと歩きながら、一体何人の人が、ここを通ったのだろうかと考える。

橋の再建には、当時と同じ技術を使い、地元の山からその石を切り出して来たのだという。
一つ一つの石が、再建のために大切に切り出されたのだ。

この橋の高さは、水面から25メートルもあるそうだ。(渇水時)
そして、橋の中央の一番高い場所から川に飛び込む大会が、毎年夏に開催されている。
これは、橋ができた当初から引き継がれている伝統らしい。
私はその様子を、テレビで見た事があった。
25メートルとは、マンションの8階に相当する高さだ。
とても私にできることではない。

橋を見渡せる川沿いのレストランでお昼ご飯を食べている時、橋の上が賑やかになっているのに気付いた。
なんと、この日にも、橋から飛び込む人が何人かいたのだ。
これには本当に驚いた。

お昼には、ボスニア風の焼き鳥 ラジュニチRažničiや、トルココーヒーを頂く。

トルココーヒーも、とても美味しい。
私も以前、このようなトルココーヒーを淹れるセットをプレゼントされたことを思い出す。

橋の上からの眺め。
川沿いのモスクが、とても美しい。

この川を挟んで、イスラム系住民と、カトリック系住民が住んでいた。
今まで共存していたはずの民族は、内戦により次第に争うようになり、お互いの架け橋であったこの橋は、ついには破壊されてしまったのだ。

ここも、クロアチアと同じく、民族、そして宗教による紛争の続いた土地だ。

スタリ・モストの橋は、多民族や多文化が共に生き、そして和解したことへの象徴としての意味も含み、世界遺産に指定されているという。

単に美しい橋というだけでなく、その橋の持つ深い意味を知る人は、この橋により魅力を感じる事だろう。

それはまさに、平和の架け橋だ。

私は、橋の中央に立った。
そして、川を挟んだ両岸を見ながら、その橋を両手でそっと撫でた。
この土地にある岩から、一つ一つ丁寧に切り出しされた石。

その石は、太陽の光で、ほんのりと温められていた。

平和の手触りは、温かく、そして心地良かった。

色鮮やかなキャンドルホルダーと、鍋敷きを記念に。

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