見出し画像

エッセン 世界遺産の炭鉱業遺跡群

エッセンという街の名前をご存知なくとも、ルール工業地帯という言葉は、誰もが知っているだろう。
産業革命後、ヨーロッパの工業化の中心となった地域だ。

エッセン Essen
この街にあるZollverein ツォルフェラインは、2001年に世界遺産に登録された炭鉱業遺跡群。
大きく分けて、炭鉱、採掘坑、コークス工場の三つの施設群で成り立っている。

敷地面積は、100ヘクタール。
これは、ディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積に相当する。
あまりにも広大なため、今回は施設の目玉とも言える炭鉱、博物館エリアのみ見学した。

こちらにある建物は、バウハウス建築が取り入れられている事から、建築関係に興味のある方も良く訪れるそうだ。
そのため、規模だけでなく『世界一美しい炭鉱』とも名付けられている。
また、工場敷地内では数々のイベントが行われ、集客力も高い。
現在、この世界遺産の年間訪問者数は150万人というから、その人気の高さにも驚く。
日本の世界遺産では、白川郷や原爆ドームが年間訪問者数170万人レベルだそうだ。

こちらが、博物館の建物。

長いエレベーターが剥き出しのデザインは、何ともカッコ良い。

ガイドさんの案内で、一番の目玉となる炭鉱12番と呼ばれる建物内を見学する。

1847年、起業家のフランツ・ハニエルが、この地に最初の立坑を掘らせた。
1851年、採炭初年度に採掘された石炭は1万3000トンだったが、1890年には100万トンに達したという。
その後60年の間に、合計8つの立坑が建設された。
ここは、ルール工業地帯だけでなく、ヨーロッパ最大の鉱山企業であった。
ドイツ工業化の歴史は、この企業が担っていたと言っても過言ではないようだ。

この一つの輸送用貨車には、1トン積む事ができるそうだ。
立杭から手作業で掘り出される石炭は、エレベーターで地上に吊り上げられる。
最終的にはこの炭鉱の深さは、1000mにもなったそうだ。
後に機械化が進んでからは、採掘機で掘られた石炭を、更に大きな貨車で運び出すことができた。

作業場内スピーカーから、当時の作業音が流されるが、思わず耳を塞ぎたくなる程の騒音だ。
しかしこれでもまだ実際の騒音の半分程度だそうで、当時は耳栓の代わりにワックスを耳に詰めて作業していたらしい。
それでも、長期間に渡る勤務の影響で、聴力障害を負うかた、聴力を完全に失ってしまうかたも相当数いらっしゃったそうだ。

また、噴煙により肺にも悪影響が及ぶ。
後に訪れた博物館に展示されていた労働者の肺は、真っ黒だった。

労働者数は、地上と地下合わせて8000人。
設立時の1847年から、1986年閉鎖までの139年間、延べ労働者数は80万人とも言われているらしい。
工場では8時間労働が取り入れられており、2シフト制、そして残りの時間は機械の点検に充てられていたそうだ。

炭鉱は機械化、合理化を進めた結果、最盛期には1年間で250万トンもの石炭産出量があった。
この数字は、他の炭鉱の平均値の4倍にもなるという。
またこの数字は、100万キロワットの発電所を1年間運転するために必要な燃料とほぼ同じ。
因みに、100万キロワットとは、33万世帯の1年間の電力利用に相当するらしい。

採掘された石炭は、石と振り分けられ、更に細かく選別され、ベルトコンベアによって運ばれ、細分化されていく。
Kohlenwäscheと名付けられている建物があるのだが、Kohlen石炭 Wäsche洗う という単語なので、石炭を洗うとは何を表すのだろうかと不思議に思っていた。
ガイドさんのお話によると、採掘されたものを本当に水の中に入れて、比重の重い石は沈み、軽い石炭は浮かぶという原理を使っていたのだそうだ。

問題はこの排水。
Emscheという川に流されていた水は、工場だけではなく、一帯の家庭や地域からの汚染水が流れ込んでおり、被害が酷かったそうだ。
現在はその復旧に力が注がれ、また魚の住める川に戻ったという。
写真を撮り忘れていたが、博物館内では当時の水のサンプルと、現在の様子が展示されていた。

また、これだけの量の地下資源を掘り出す事により、地域一帯の地盤沈下が起こった。
今でも、年間1mmずつ沈下しているそうだ。
建物に亀裂が入ったり、歪んでしまう。
こちらは、博物館内に展示してあった写真。
白い亀裂が痛々しいほどだ。

こちらは『スープは半分だけにするわね』と書かれた展示品。
理由が分からずに、貧困がその理由だろうかとパートナーと話していたところ、ちょっと違うのよ、と話しかけて下さったおばさまがいらっしゃった。 

この地方では建物が傾いているから、お皿をいっぱいにするとスープが溢れてしまうのよ

なるほど!これが地盤沈下のもたらした結果なのかと、改めて理解した。

半分で丁度良い水平線になる

最盛期には、ヨーロッパのみならず世界最大の炭鉱であった。
戦時中も大規模な被害は免れた事から、引き続き稼働を続ける事ができた。

1957年からはコークス工場が建設され、1961年から稼働。
こちらも最高の生産能力を持つ設備で、1万トンの石炭が焼かれていた。
こちらの設備の労働者は、約千人。
炭鉱の採掘は1986年に終了するも、コークス工場は1993年まで稼働していた。
現在はノルトラインヴェストファーレン州が所有し、2001年に世界遺産への登録を叶えた。

施設の中で一番高い建物は45m。
屋上からは、施設全体が見渡せる。

遠くに見える建物はコークス工場

写真を撮り忘れてしまったが、見学コースの出口には、炭鉱夫達の守り神バーバラが飾ってある。
1000mの地下から地上に出た時の気持ちを考えると、この女神に守られていると感じる事は、心の支えになったのではないだろうか。

1時間の見学コースを終え、博物館内のカフェでひと休み。

カリーヴルスト

休憩後は、博物館の見学。
炭鉱関連ではなく、このルール地方の歴史を展示するもの。
あまりにも膨大なため、一部のみ写真添付。

ドイツ語でお金の事をGeldというが、Kohle(石炭)と呼ぶ事もある。
また石炭は、黒いダイヤモンドとも呼ばれる。
もちろん、どちらも炭素から作られ、圧力によってその違いがある。
太古の植物達が受け止めた太陽の光が、地下に蓄積されたエネルギーでもある。

この巨大な炭鉱施設の中、産業革命前後の歴史を振り返っていた私は、マンモスを目の前にしてその事を思い出し、一気に何億年も昔に遡ってしまう。

最初のドイツマルク
戦時中の爆撃で溶けたタイプライター

私がドイツに来た頃に使われていた、電車やバスの自動販売機。
懐かしくて、思わず一枚。

サッカーの特別展示も見学。

見学しているうちに、すっかり暗くなった。
夜の建物はライトアップされ、更に美しい。

街の様子も少しだけ掲載。
大聖堂。

Lichtburgは、今年で95周年。
プレミア上映される、ドイツ国内ならず世界的にも有名な映画館。

グリロ劇場

Limbeckerplatzの大きなショッピングモールは、クリスマス一色で煌びやか。

クリスマスマーケットにも立ち寄ってみる。

エッセンは、デュッセルドルから30分程度。
世界遺産、お買い物、フィルハーモニーやオペラ座で音楽に触れたり、映画を楽しむも良し。
そして、Volkwang Museum フォルクヴァンク美術館もあるので、別の記事にて纏めたい。

今年のカーニバルは少し早く、2月12日が薔薇の月曜日。
エッセンも、カーニバルが賑やかにお祝いされる街の一つ。

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?