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オーストリア ウィーン①観光編I

ドイツ以外の国の思い出をあまり残していなかったので、今日からはお隣の国オーストリアのウィーンの思い出を。
 
ウィーンには何度か訪れる機会があり、また大変思い出深い街だ。
今日は、ウィーン 観光地編Ⅰ。
 
私がウィーンの街に対して持っているイメージを一言で表すならば、『優雅』だろうか。
ドイツと同じ言葉を話し、食事も文化も似ている。
それでもウィーンに行くと決まると、他のドイツの街に遊びに行くのと違い、ワクワクだけでなく、ドキドキしてしまう。
何度訪れてもその美しさに感嘆し、何度訪れても飽きない。

そんなウィーンの街と切り離せないもの。
それがハプスブルク家だろう。
以下、備忘録。

ハプスブルク家について

1273年 スイスの諸侯ルドルフ一世がドイツ王(兼神聖ローマ帝国皇帝)として選出される
1315年 ハプスブルク家が、ウィーンを本拠地として制定する
1359年 ルドルフ4世の時代に、シュテファン大聖堂が建設される
1508年 マクシミリアン1世の時代は、政略結婚によりその基盤勢力は拡大する
1519年 カール5世の頃にその勢力は最大となり、『太陽の沈まない国』と言われる
1556年 オーストリア ハプスブルク家と、スペイン ハプスブルク家に分裂
1740年 オーストリア建国の母とも言われる、マリア・テレジアが即位
1918年 第一次世界大戦にて、ドイツと共に敗戦
同時に、オーストリア ハプスブルク家も終末を迎える
 
以下、市内の観光地巡り。

①シュテファン寺院 大聖堂 Stephansdom

ウィーンの中心に聳え、また2001年には世界遺産にも登録されている大聖堂。
シュテファンという名前は、キリスト教の最初の殉教者と言われているシュテファンから取られているそうだ。
塔の高さは107mで、世界で3番目に高い。
 
12世紀に建設が始まったというのだから、この場所は長い間、神聖な場所であり続けている。

塔の上からの眺めが素晴らしい。

双頭の鷲は、ハプスブルク家の紋章

大聖堂内部の様子

夜のライトアップされた姿は荘厳だ

②ウィーン国立歌劇場 Staatoper

世界三大オペラ座の1つで、1869年に開館。
美しい皇妃エリザベートを妻に持つ、皇帝フランツ・ヨーゼフが建設指示をしたという。
杮落しは、モーツァルトの『ジョン・ドバン二』だったそうだが、もちろんこの二人も観劇したそうだ。
オペラ座の完成までは大変な苦労があり、悲しい出来事もあった。
しかし、今はここを訪れる観光客から称賛され、世界の三大オペラ座にも数えられ、二人の建築家の魂も報われる事を祈っている。
 
ここで念願の『椿姫 La Traviata』を鑑賞。

入り口ホールの様子

開演前

③ホーフブルク宮殿 Hofburg

その歴史は古く、13世紀にはこの地にオタカル2世(オーストリア公)による城が建てられていたそうだ。
その後、ハプスブルク家の手に渡り、居城として利用されてきた。
2600を超す部屋数だというのだから、建物自体も大きなものだが、庭園を含める敷地面積は20万㎡以上で、東京ドームの4.2個分、もしくは東京ディズニーランドの半分近くにもなるだそうだ。

シシィミュージアム Sisi Musem・銀器コレクション・皇帝の部屋などは一か所に纏まっており、皇后エリザベートに纏わる歴史や、王宮で使われていた食器などが見学できる。

 銀器コレクションの一部

また、ここにはスペイン乗馬学校があることでも有名だ。
マリア・テレジアは、ハンガリー女王も兼ねていたのだが、ハンガリーの国民に受け入れてもらえるように乗馬の特訓をし、ブラチスラバで行われた戴冠式の際には馬に乗り颯爽とやってきて、国民の心を掴んだと言われている。
ウィーン市内では、馬車をよく見かけた。

④ウィーン市庁舎 Wiener Rathaus

この建築にあたっては、ドイツ人建築家フリードリッヒ・フォン・シュミットの案が、コンペで採択されたのだそうだ。
彼は、ケルンの大聖堂の建設にも携わったかたで、こんなところでドイツとウィーンが繋がっている事を知り、嬉しい気持ちになる。
たしかに、天高く聳える中心の塔は、ケルンの大聖堂にも通ずるような気がする。
1883年に完成したそうだ。
移動サーカスが来ていて、とても賑やかだった。

⑤モーツァルト像

彫刻家ヴィクトール・ティルグナーの作品。
以前はオペラ座の近くにあったそうだが、戦後修復を経て、王宮庭園に移されたそうだ。
像の手前のト音記号は、別の写真では黄色のベゴニアが植えられていた。
彼の人生には、赤が似合うと思うので、赤いト音記号と共に。

⑥ヨハン・シュトラウス記念像

彫刻家エドムント・フォン・ヘルマー作。
ヨハン・シュトラウス2世を偲んで市民公園に建てられてもので、除幕式にはウィーン・フィルハーモニーが美しき青きドナウを演奏したそうだ。
戦後一度、この像は黒く塗り替えられたというが、1991年からは再度、金色に蘇ったという。
ワルツ王は、やはり黄金に輝いていて欲しい。

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