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みぞれ玉

ことばには食感がある気がします。

音に色を感じたり、形に味を感じたりするようなことを共感覚と言うみたいです。
私のは弱い弱いなんちゃって共感覚みたいなものなのかと思っています。
本当はそんなのは無くて、共感覚なんてちょっと珍しいものに憧れているだけかもしれません。わからないけれど。

話を戻すと、気になったことばについて考えている間、そのことばを食べているような気がします。
口の中で転がしてみたり、喉の奥まで入れてみたり。
本当はことばを唱えるために口をもぞもぞ動かしているだけなのかもしれないけれど。

ある日"戯れ言(ざれごと)"ってことばが目に留まって、しばらく口に入れて転がしてました。
私の発言全てが戯れ言のように思えて、そしたらちょっと大きな存在になって、濁音と相まって口の中でゴツゴツしていて、中々消えてくれなくて、でも、そんなことばを口に入れていることは不快ではなくて、
あぁ、これ、なんか前に経験したことあるな。

ある時ふと、その正体に気づいてしまいました。
あ、これはあの飴玉だ。ザラメのついた大きいやつ。口の中痛くなるやつ。

調べてみたら、その飴玉の名前は"みぞれ玉"っていうらしいです。
(正式にはみぞれ玉は松屋製菓さんの商品名だと思います。)

みぞれ玉ってその可愛い見た目に憧れて口に入れた後、毎回後悔していた記憶があります。
たくさんの色があって可愛いけど、そんな外見とは裏腹にゴツゴツしていて口の中は痛いし、大きすぎてほっぺの中にも入れられないし、口はずっと甘さに占領されて飽きるし、でも、何故かまた口に入れてしまう。

ことばとか思考もなんとなく似たようなもので、その時々様々な効果があって頼もしいけど、上手く言い表せなくてもどかしいし、借りてきたことばは身の丈に合わないし、表現した後も物や他人の記憶の中にずっと残って恥ずかしいし、でも、やっぱり考えたり話したりすることはやめられない。
気がついたらまたあれこれ考えていて、話している。

出発点と着地点が全然違うところになっちゃったし、着地できているのかもわからないけど、私のことばをただの"戯れ言"だと思われるよりは、ゴツゴツしてる少し歪な"みぞれ玉"だと思ってもらえた方がお互いに楽しいかなとも思います。

私のことばはみぞれ玉。
さて、明日の飴は何色でしょう。

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