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守られているのはママだった

この話は娘が4歳の時の話です。幼稚園のお遊戯会が、数週間となった時に娘の咳が出始めました。風邪の引き始めかな??なんて軽く思っていたのですが、日を追うごとに酷くなり病院に行きましたが風邪との事で見守るしかありませんでした。

幼稚園の先生からも「お遊戯会の練習になると咳が出始めると止まらず心配です。」との事で再度受診しました。その日は担当の先生が不在だった為、別の先生になったのですが、診察後に娘を別室に移動させて先生と一対一でお話しする事になりました。何か重病なのかと身構える私です。心臓の音が漏れるのではというぐらいドキドキしたのを覚えています。

先生は「あれは咳ではなく、咳払いで心因性のものです。何か大きなストレスがあるようで、ずっと咳払いをしてるのではなく、何かの時に出ていると思うのですが、思い当たる事はありますか?」

???確か...朝、幼稚園に行く時...幼稚園から帰った時...幼稚園ではお遊戯会の練習をしている時...

娘は幼稚園も大好きだし、スポットライトを浴びるのを好むような前に出たがる子だ...幼稚園で何かあったのだろうか...それとも、私の言動が不安にさせたのだろうか...何故、気づかなかったのだろう...そして、何故、娘は不安な気持ちを伝えてこなかったのか...私の心はざわつき、頭の中では『何故』がぐるぐると回っていました。

先生は不安を取り除けば咳は止まります。いっぱいお話してみてください。漢方を処方しますが不安が強い時だけで大丈夫です。

先生が娘を呼んで「お咳辛いね。でも大丈夫だからね!ちゃんと止まるから!先生ね、お守りのお薬を出しておくから、出そうだなぁと思ったら飲んでね!」と笑顔で伝えてくださり、娘はホッとしたような顔をしていました。

帰りにドーナツ屋さんに寄り、娘と話すチャンスが巡ってきました。「お咳、大丈夫だって!良かったねー!ママ、安心したよー!」と娘に悟られまいと思いながら、変なイントネーションになって飛び出した言葉達。それが良かったのか、娘は吹き出して笑いました。

「ママ!大丈夫!?ママ、心配だったの??」

「うん。何か大きな病気なのかと思っちゃったけど、大丈夫って聞いて安心したよ。」

「私ね、お遊戯会の練習になると咳が止まらなくなるの。」

「何か心配な事があるの??」

「お遊戯会は楽しみなんだけど、この前Aちゃんと喧嘩して、私はBちゃんと遊びたいから『今はBちゃんと遊びたいから遊べない。ごめんね。』って言ったら、Aちゃんが怒って泣き出したの。それで上手く話せなくなったからC先生に言いに行ったら、C先生が...」そこで娘は涙を流し、咳払いを始めました...

「いいよ。ゆっくりで。大丈夫。」娘のその姿を見て泣きそうな自分にも「大丈夫」と言い聞かせて娘の言葉を待ちました。

「あなたが泣かしておいて何を言ってるの!!」と怒られたの。私は、どう言ったらわかるか教えてほしかったんだけど。怖かった。ママにも言おうと思ったんだけど、言うと困らせちゃうから」とわんわん泣き出しました。

そんな大きな事を娘は抱えていたのか...私が困るからと言いたくても言えなかったって...言葉に出来ない感情と泣きそうな自分を隠すように娘を抱きしめました。

娘の中で「ママ」という存在の大きさと、困らせる事が嫌われると思っていたのかもしれないと気づきました。

それは、私の娘への言動からそう感じるようになったのでしょう。それが私の「失敗」=「気づき」です。子どもはママが大好きで、ママを喜ばせる事が自分の喜びであるところがあります。

この一件から私は娘の性質を知りました。小学生になってからは、言いにくい事は交換日記や手紙で書いてくれるようになりました。毎日、必ず2人の時間を設けて一日の出来事や、自分の感情がどうだったのかを話します。

そして、寝る前には「大好きだよ」とお互い伝えて眠りにつきます。

抱き抱えていた娘は、いつの間にか私の心を抱きしめる存在になりました。日々の忙しさで素通りしてしまう感情を引き戻し成長させてくれています。

「失敗」=「気づき」沢山あっていいもの。自分に必要なもの。成長に必要なもの。

私の辞書にはそう書いてあります。

#あの失敗があったから #子育て #教育 #保育



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