指導者

指導者のあり方

スポーツの指導者は、怒ると叱るを区別できているだろうか。

怒るとは
「不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。」

叱るとは
「相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。」

ことである。

 小学校の頃からサッカーを続けてきた私は、スポーツの指導において「怒る」という要素はあってはならないと考えている。指導者が選手に対して「怒る」という行為は、指導者自身が自分の感情をコントールできていない状態にあるのではないか。チームを統率する立場の指導者が、自分の感情をコントロールできていないとなると、選手も指導者に対して不信感を抱き、この人にはついていきたくないと感じてしまうかもしれない。

 私が高校時代に経験したことを例としてあげる。
 当時は先輩方が引退し、新チームになるという段階で4-4-2から3-4-3(中盤ダイアモンド)へフォーメションの変更があった。4-4-2の時はセンターバック・ボランチのどちらかでプレーしていた私は、3-4-3となった時に3バックの左でプレーを行うことが多かった。しかし、怪我人などのチーム状況の兼ね合いで、左のインサイドハーフとして出場する機会が1度だけあった。サッカー人生の中でそのポジションは初めての経験で、どのようにポジショニングすればいいのか把握しきれていない部分があった。また、初めてのポジションであるため、その時までポジションの取り方など指導をされたことがなかった。自分が下手だという部分ももちろん承知しているが、前半を戦う中で、なんども監督からポジショニングに対する指示が出された。結局前半中に解決できず、ハーフタイムに監督に呼ばれ、「なんで言ってることができないんだ。」と「怒られ」、交代を告げられた。

 上記の文章の最後に「怒られた」というワードを用いたが、これは圧倒的に自分の主観である。監督からしたら「叱った」だったのかもしれない。しかし、その決定権は受け取る側にあると私は考える。監督が事前に選手全員に対して、「各ポジションのポジショニングを明確に伝えていたか」という部分を考えてみると、そうではなかった。
 事前に説明があれば、「こういう指示を出していたのに、あなたはそれと異なるこういう動き方をした」という話ができたはずだ。しかし当時の監督は、「言ってることができていない」という指摘をした。
 小学生に微分・積分をさせて、なんでできないんだと言っているようなものである。はたして、この指導法で選手が伸びるだろうか。

 技術的トレーニングももちろん必要だが、戦術的トレーニングも育成年代からもっとすべきである。事前に説明があった部分に「言ってることができていない」と言われるのであれば、言葉足らずではあるが「叱られている」という感覚になっただろう(監督に言い方にもよるところはあるが)。
 「怒る」という指導はあってはならない。指導者にフラストレーションが溜まることは当然のことのようにあるだろう。しかし、そのフラストレーションをぶつける前に、指導者自身が自分の選手の納得いかないプレーに対してきちんと指導していたかどうか省みることが必要であると考える。
 自分がこう指導したのに選手ができていないのであれば、「私はこう指導したのに、あなたはこういうプレーをした」という理屈で語れるはずだ。それを感情のままに「なんでできないんだ」「なんで理解できなんだ」という指導者は、今すぐにやめていただきたい。

 選手を育てることに「怒る」は必要ない。