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エアコン工事完了と高校時代の思い出(大乱闘スマッシュ文化祭)修学旅行でのpassionEnglish

先日エアコンが壁から落ちかけた。
とりあえず電気工事のお兄さんにエアコンを取り外してもらい、工務店で見積りと施工の日程を取り付けた。いよいよ工事の日を迎えた。

工務店のベテランの職人さんはさまざまな道具を携えて我が家にやってきた。予定時刻の30分前にチャイムが鳴った。さすが、ベテラン。
時間には余裕を持っていてよかった。

まずは小型チェーンソーでキューーーンと長方形にくり抜いていく。
刃がトンカチ型で細かい部分までカットできる。
あっと言う間にコンクリート面が剝きだしとなった。


コンクリートがこんにちは

このコンクリに穴を開けて行った。
歯医者のような音が部屋に響き渡り、細かい粉が雪のように舞った。
今日イチの爆音だった。近隣の方ごめんなさい。
合計12か所の穴を開け、ビスコンで木の枠を作り固定する。

木の枠は微調整の為に付箋のようなものが挟まれている。


木の枠でガチガチに固定される壁

この木の枠を用意するのに事前にある程度の長さに切られていた木の棒だったが、微妙に長さが長く普通の、のこぎりでギコギコと切られていく。
なんかすごい職人っぽい空気だなと思う。しかも寸分の狂いもなく木は整頓されていった。コロンとした小さな木が可愛らしく床に転がっていた。

中学の技術の時間依頼、のこぎりは引いていないがあんなに切れ味のいいものは使わせてもらえなかった。当然プロの道具のは違うものだ。

コンクリートの状態の時、左下にあった錆びた釘をトンカチでいい塩梅の力加減で真下に向けてくれてそこにもスッと木枠をはめこんだ。まさに匠の技だ。何ということでしょう。

そしてこの真上にボンドで粘着させた板を貼りつけた。その上からまた電動ドリルでネジを打っていく。下のネジに当たらないように微妙にずらしている。職人には透けて見えるのだろうか。一度もネジとネジはかち合うことなく工程は進む。そして壁紙が張り付いている一番部屋側のベニヤをはめ込み、電気工事のお兄さんにもネジを付ける位置が分かるようにエアコンの裏面に隠れるが厚板を長めのネジで綴じつけた。こうしてコンクリートを基盤にして空洞は丁寧につないだことで各段に強度が上がった。

職人さんは20kgの耐荷重は余裕であるという。
エアコンは16㎏だ。作業の時に会話もしてくれるタイプの人でお孫さんもいる年齢の世代の方だった。
1人親方で今は生計を立てているという。昔は大勢いたのか一軒家も建てる経験もした。古い家の修繕も受け付けているという。今の若い大工には直せない技術力があるのだろう。

厳しい世界に身を置き、孫が出来る年齢まで一生懸命に働く姿はかっこよかった。息子さんも娘さんの旦那さんもみんな別の職種に進み跡継ぎがいないらしい。「なら、お孫さんが大きくなるまで元気でいましょう」と言うと笑ってくれた。「まだよちよち積み木で遊んでらぁ」本当に可愛い存在なんだと思った。本当にこの技術が失われていくのは惜しいと思った。

大工になるには基本的に弟子入りするらしい。
それか住宅メーカーの社員や会社に所属して先輩から見て教えて学ぶそうだ。
その職人さんは「見て覚えてやってみる時代」だったからこそハングリー精神が強く灯ったそうだ。何人か弟子もとってみたが30代半ばのこれからって時に辞めてしまったと悲しそうに言っていた。

私は口にこそ出さなかったが、転職限界年齢は35歳だからこそ将来をみこして諦めたのかもしれないなと思った。私ももうすぐその年齢になる。

最後に壁紙と壁紙をコーティング剤で埋めて薄く伸ばす。
まるで何事もなかったかのような綺麗な仕上がりになった。

料金を支払い、ビールを1ケースお土産に持って帰ってもらった。
みんな大好き、プレミアムモルツ。

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その数日後、エアコンを外してくれた電気屋のお兄さんにまた来てもらった。工務店の人に壁の工事をしてもらったので、元のエアコンをつけて欲しいと依頼した。

「ホントに大丈夫ですよね?」と二度確認される。
「大丈夫、心配ないです。いっちゃってください」

工務店の職人さんがここにビスを打てと鉛筆で印をしてくれていた。
それを目印にエアコンのボードを付けていく。
全部のビスを付け終わってからボードにぶら下がってみる。
推定体重52kgのお兄さんが、うん大丈夫そうですねと言う。

ホースを室外機につながなければいけない。
長さにして約3m。配線も専門の道具を使ってパチンパチンと切っていく。
くるくるとナットを回して流れるような速さでくっつけていく。

このお兄さんもお喋りなタイプで、聞けば同い年だった。
平成ファーストチルドレン。中学を出てすぐに職人のもとで修業して独立したそうだ。私たちがぬくぬくと学生生活をしている中、時には殴られたりしながら技術を身につけた人だった。社会人経験が長いし場数もかなり踏んでいる。

ギリ体罰世代だったよね~、でも練習中に水飲むなとは言われなくなったのはラッキーだったよね、相対評価から絶対評価に変わって、ゆとりゆとりって言われた世代だよね~と共感しあった。ゆとり政策は大失敗だと思うが、ゆとり世代は格差世代だと思う。簡単に言うと真ん中がいない構図になる。高学歴と底辺がパキっと分かれた。

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ゆとり言われながらも名門校は名門校だし、私立はレベルを落とすことがなかった。私は公立高校に進学したが、絶対評価って言ったよね?が信じられないほど荒れた高校だった。

私は家から1番近い学校を選び、レベルを落として進学した。定期テストではもちろん首位付近にいた。このままいけば関関同立どこでも指定校推薦で行けると担任から言われていた。だけど普段の授業はほぼほぼ成立せず、動物園に毎日通っているようだった。髪を巻きだすギャルやスナック菓子を堂々とバリバリ食べる男子がそこにはいた。

問題は部活だった。おめーの席ねぇから!程のいじめは無いにしても先輩からそれなりの嫌がらせは受けた。足の速い1年が2人入ったことで先輩たちだけで組んでいたリレーメンバーは変更された。

私は馬鹿正直に顧問に「先輩たちだけで走りたいそうなんでメンバーから外して欲しいです。個人戦だけに集中したいんで」と直訴した。顧問は「チームとして勝たせたい」という方針で私の意見は却下された。

着替えている時に外から鍵をかけられて、ドアを叩きまくって他の部の人に助けてもらったこともあった。
そして微妙に嫌な空気を纏ったまま2年になった。陸上は実力がタイムとしてハッキリと分かるから残酷だ。

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そしてついに事件は起きた。
その年の秋の文化祭の時に部活会(運動部)で持ち回りで警備を所々に置かれていた。
廊下の前を通った時に、私のことを特に嫌っていた先輩がたまたま配置されていて「オメェはこっち見んな」と言われ睨みつけられて、今までの鬱憤が一気に爆発し、気が付いたら先輩の胸ぐらをつかんで座っていたパイプ椅子を蹴り飛ばしていた。大きな音が響く。

頭突きをかましてから、先輩も殴りかかってくるが簡単に避けることが出来た、組み合う形になりブラウスを襟に見立てて柔道でいうところの内股で相手を一瞬で浮かせて床に転ばせてから、一番近くの階段まで引きずっていき先輩の顔面をスリッパのまま踏みつけた。

そして馬乗りになり学校指定のリボンを乱暴に千切り後ろに放り投げる。ゴリラみたいな握力とパワーがあった。先輩のポニーテールを掴み何度も顔を殴った。「ねぇ、ここから落ちたい…?それとも今までのこと謝る?」どうする?と聞いた。

「どっちにしてもあと何発か、いかせてもらうけどね」と言いながらビンタをかます。「…謝るから!」鼻血を出しながら先輩は泣いていた。「うるせぇわ。〇ね」とまた頬を打つ。

「お前なんかとはチーム組めないよ。さっさと辞めろや」パイプ椅子を蹴った時点で大騒ぎになっており、集められた屈強な男の教員5人に私はひきはがされて応接室に閉じ込められた。
さようなら、指定校推薦。当然、素行面が狂暴すぎる人は推薦出来ない。

もちろん親も呼び出され生徒指導の先生が「反省してるか?」と聞いてきて、「先に嫌がらせをしたのは先輩なので。手段としては間違ったかもしれませんが根本的には正しいのはこっちです。部活の顧問に確認にして下さい。」と答えた。「逆に鼻血程度で済ませたことに感謝して欲しいです。被害者面してんなよ」と付け加え応接室の椅子も蹴る。

結局、私の処分は出席日数ギリギリのラインまでの停学となった。
毎日反省文を書かされて、外出は禁止・エアコン禁止・携帯禁止。
自主学習のプリントを毎日交代で教員が届けてくれる。

全部まともに守らなかった。
夜は当然のように外出していたし、エアコンも先生がくる1時間前までは普通につけていた。携帯で友達とも普通に連絡を取っていた。
先生が部屋に入った時、なんか涼しいな?と怪しまれたが、この部屋北側なので陽が差さないのでとシレっと嘘をつく。先生も暑いの嫌でしょ?

最終的には先輩(複数)たちからの謝罪を受けることになった。
あの日けしかけたのは先輩で、喧嘩は買っただけだった。
一緒にいた友達が証言してくれた。

親には迷惑をかけてしまったと思う。仕事中に突然「娘さんが、暴れて上級生に暴力をふるいました」と連絡を受けた母は「はい。そうですか…。」と、どないなっとんねん状態だったそうだ。
早退して駆けつけたら応接室で閉じ込められ不貞腐れた娘がいた。
朝は「文化祭楽しみ~3年の屋台のたません食べたい」と言っていた姿とは正反対の姿だったとのちに話してくれた。

母は「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。でも必ず理由があるはずです。今日の出来事だけではなくもっと遡って調査してください。」と先生たちにお願いしてくれた。

こうして私の暴力事件は幕を下ろした。
高校なんてみんなこんなもんだろうと父は特に驚かなかった。
ほどなくして先輩は最後の大会を迎えて引退した。

向こうは距離を詰めようとしてきたけれど、それを受け入れられるほど私は大人ではなく、無視しつづけた。友人もメンバーから外してもらい、予選であっけなく終わった。これが私の高校時代の部活の思い出だ。

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その後は出席日数の関係でサボることは許されず真面目に通った。
幸い友人関係はこじれることはなかった、私の変わり果てた本性を見て怖がる友人もいたらしいが寛容に受け入れてくれた。
本当は嫌だったが修学旅行にもいった。田舎の農村海外観光なんて面倒で、熱があると嘘をつきホテルから1歩も出なかった。単語帳を持ってきていたのでずっとそれを読んでいた。

しかしお小遣いとして持たされている2万円分のリンギットは日本で両替出来ない紙幣だったので、部屋を抜け出してホテル内にあるStarbucksで使った。foodとdrinkは一番大きなサイズのベンティで注文した、「ホイップクリームmore&on Chocolatesyrup please please」と身振り手振りでばっちりカスタムもした。残りは帰りの空港で適当につかった。

現地のお菓子は不評だと聞いていたが買った。逆に美味しく感じる人がいると思った。元大手SEのパソコンの授業の先生と仲が良かったのでその人にあげることにした。
案の定、マズッ!と言うが癖になるらしく、あれ結構美味しいかも?と言っていた。システムエンジニアっぽくてとにかくドライな先生だったけど面白かった。
社会人経験をしている先生のことは何となく好きになれた。修学旅行の話はいろいろありすぎてまた別に書きたい。

あの時信じてくれた母にも感謝は伝えている。もしも息子が学校で大乱闘をしてくる日がきたら同じように我が子を本当の意味で守ってあげたい。

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そんなことを思いながらエアコンは順調に壁に設置された。
ホースは2mの料金にまけてくれた。

電気工事のお兄さんは外した時点ではもう使わないと思って切ってしまったことに罪悪感があったらしい。最終的に切って欲しいと決断したのは私なので気にしなくてもいいのに有難かった。

料金を支払い、お茶を渡して電気工事のお兄さんを見送る。
そして部屋に戻り元通りになったエアコンを見上げる。
あぁ大変だったな。でもこれもいい経験だなと思う。
夫に作業が完了したことのLineを送る。
「最高ですね。」と帰ってきた。うん。最高だよ。

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無印良品のポチ菓子で書く気力を養っています。 お気に入りはブールドネージュです。